うららかな80年代の始まり、二大化粧品メーカーの広告対決は、久々に(78年夏の「時間よ止まれ」「Mr.サマータイム」以来)両社CMソングが揃ってベスト10入りするという華やかな春を迎えた。
先行したのは、1/21発売のカネボウCMソング・渡辺真知子「唇よ、熱く君を語れ」〈詞:東海林良 / 曲:渡辺真知子〉。オリコンチャートでは週間最高4位、年間24位、TBSザ・ベストテンでは2位まで上昇した。そして2週ほど遅れて発売されたのが、資生堂CM曲・竹内まりや「不思議なピーチパイ」。オリコン週間最高3位、年間30位、ザ・ベストテンでもベスト3入りし、売上40万枚を記録した。
強調しておきたいのは、80年1月の時点では、渡辺真知子の方が竹内まりやより遥かに格上だったということだ。デビュー曲「迷い道」(オリコン最高3位)を始め、「かもめが翔んだ日」(5位)「ブルー」(10位)と立て続けに大ヒットを飛ばし、安定感は抜群。声楽科→YAMAHAポプコン→CBSソニーと正統派の出自。渡辺の方が1歳年下だが、デビューは1年早い。さらに初期の渡辺の編曲を一手に引き受けていたのは、筒美京平の弟子筋にあたるヒットメーカー船山基紀だ。そして彼女は、音楽活動のみの勝負に徹し、芸能人っぽいメディア露出を一切していない。音楽一本道の実力派、ぜんぜん迷い道クネクネなんてしていない。
かたや、竹内まりやはというと、「ぽっと出の女子大生シンガー」というのが当時の世間の認識だった。今でこそ名曲の誉れの高い〈作曲:林哲司〉の「セプテンバー」ですら、シングル盤としては売上10万枚、チャート最高39位止まり。「不思議なピーチパイ」にしても〈詞:安井かずみ/曲:加藤和彦〉であり、彼女は出来合いの曲を歌う、カワイ子ちゃんシンガーでしかなかった。
資生堂の竹内まりや起用の狙いも、彼女の将来のミュージシャンとしての資質を予想して、なんてものではなく、単純に「話題の女子大生シンガーの曲で、光文社のJJ読者層をガッチリつかもう」くらいの軽いものだったろう。
おりしも1980年、音楽界はアイドル不在の時代に突入しようとしていた。山口百恵はすでに数ヶ月後の引退が決まっており、ピンクレディー人気は消滅。テレビは、それまで追いかけていた対象が一斉にいなくなってしまい、カメラを向ける相手を探していた(聖子はデビュー直前、明菜はもう少し後)。
そのため、竹内と新人賞を競った桑江知子をはじめ、越美晴、杏里、松原みき… など若手女性ミュージシャンが、アイドルの代わりをさせられており、竹内もその文脈で語られる一人に過ぎなかった。事務所もレコード会社も、それを唯々諾々と受け入れてしまっていたし、幸か不幸か、「不思議なピーチパイ」の大ヒットによって、テレビを中心とした芸能チックな活動にさらに拍車がかかった。まりやの迷い道クネクネは、山下達郎との結婚まで連なる道程だった。
(つづく)
2016.11.09
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