やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ
東京・三軒茶屋のとある道が二股に分かれるその真ん中にその店はある。その看板には《やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ 江戸アケミ》と書いてある。今は気まぐれにしか店を開けなくなった、レコードショップ フジヤマだ。
映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の中で、その店の前に主人公・ユーイチ(峯田和伸)が佇むシーンがある。劇中、現在にタイムスリップするのはここだけだが、そんなシーンを無理やりインサートしたくなる田口トモロヲ監督の気持ちはよく分かる。その意味は映画を見て確認してほしい。店のすぐ近くにはバンドマンたちの練習場、サウンドスタジオノアがある。そこで練習する若い世代にはあの看板の意味が分からなかったに違いないが、もしかしたら、彼らの世代にようやく “引き継ぎ” ができたのかもしれないという気がしている。
そして、もう1つ。「♪日本人て暗いね 性格が暗いね 昔 江戸アケミは歌った 全くその通りだと思った」。これは和久井光司の楽曲「同胞(はらから)」に出てくる一節だ。和久井が率いたバンド、スクリーンは1981年にデビュー。そのニューウェイヴ・ポップというべき音楽性は “東京サウンド” などと呼ばれたが、その一方でスターリンと共演したりもしていた。あの時代は出している音でジャンルを決めたりせず、そのアティテュードに通じるものがあれば仲間になれた。その中心にあったのが “自分の踊りを踊れ” ということだったのだと思う。
前置きが長くなったが、『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』はそんなふうに自分らしさを求めた時代が確かにあったことを描いている。そして、それを体現してきたバンドの1つが劇中では “ごくつぶし” というバンド名で描かれたJAGATARAだったのだ。
東京のアンダーグラウンド・シーンで存在感を増していったJAGATARA
JAGATARAの結成は1979年。初ライブは1979年3月8日、上馬ガソリンアレイで、エド&じゃがたら名義だった。共演は下北ウォーター・ビジネス・バンド。その演奏メンバーに名を連ねていたのは、妹尾隆一郎、山岸潤史、吾妻光良、山田淳、チャールズ清水、小堀正、松本照夫、清水祐一(マック清水)、金子マリ、上村かをるといった面々。1970年代の東京でブルースシーンとニューウェイヴが入れ替わって行く瞬間だった。
しかし、この初ライブのメンバーに物足りなさを感じた江戸アケミは、渋谷ヤマハの告知板に “当方南部ロックやります。ウェット・ウィリー、マーシャルタッカーバンドなどの音を目指します。あくまでプロとしてやっていくつもりです。” とメンバー募集の告知を出す。そこに応募したのがEBBYら初期のじゃがたらとなるメンバーだった。JAGATARAの土着的なグルーヴのルーツがサザンロックだったことは実に興味深い。
バンドは、エド&じゃがたらお春、財団呆人じゃがたらお春、財団法人じゃがたら、などと名前を変えながら活動を継続。東京のアンダーグラウンド・シーンの中で存在感を増して行く。その過程でアケミは自身の額をナイフで切りつけたり、生きたヘビを食いちぎる、放尿、浣腸といったパフォーマンスを繰り広げる。スターリンの遠藤ミチロウが豚の頭や内臓を投げるパフォーマンスをしたのはアケミの影響だったというが、単純にパフォーマンスを真似たというよりも、JAGATARAもスターリンも、東京ロッカーズも含めた既存の勢力からは距離を取った孤高の存在だったことへの共感があったのではないか。
日本のロックの最重要アルバムともいえる「南蛮渡来」
しかし、そのパフォーマンスばかりが取り上げられることに嫌気がさしたアケミは、音楽に専念し、ナイジェリア出身でアフロビートの創始者、フェラ・クティのような音楽性を強めていく。この背景には、ギターのOTOをはじめとする音楽的に優れたメンバーがいたことも大きかっただろう。そして、1982年に暗黒大陸じゃがたら名義でリリースしたのが、これまで何度もジャケットを変えながら再発され続けてきた、日本のロックの最重要アルバムともいえる『南蛮渡来』だった。
このアルバムのヒリヒリするような切迫感と強烈なグルーヴは、時代を超えて、近田春夫のビブラストーンや渋さ知らズ、現代のCEROのようなバンドにまでつながっていく。先に書いた「♪日本人て暗いね 性格が暗いね」はこのアルバムの1曲目に収録された「でも・デモ・DEMO」の一節だ。
アケミの復活を祝うライブアルバム「君と踊りあかそう日の出を見るまで」
1983年には、バンド名をじゃがたらと改める。篠田昌己など生活向上委員会のホーンズが加わり、サウンドをより充実させていくが、この年の年末頃からアケミの精神状態が不安定になり、奇行が目立つようになって入院。故郷の高知県に戻って長期療養することになる。その後、アケミは1985年から断続的に活動を再開。翌1986年に再び東京に居を移し、バンド表記をJAGATARAに変えて本格的に活動を再開した。
ここからの数年間がJAGATARAの音楽的な最盛期だ。1987年にセカンドアルバム『裸の王様』、12月にサードアルバム『ニセ予言者ども』をリリース。どちらもファンキーで甲乙つけ難い名盤となった。特に後者に収録された幽玄かつスピリチュアルな「都市生活者の夜」の「♪昨日は事実、今日は存在、明日は希望」というフレーズの圧倒的なリアリティが心を揺さぶる。
お前はお前のロックンロールをやれ!
また、1987年10月にはじゃがたらの初期のプロデューサーでアケミの復活に尽力した山本政志監督の映画『ロビンソンの庭』のサウンドトラック盤もリリースされる。さらに1989年にはメジャーデビューを果たし、アルバム『それから』をリリース。メジャーに行ってもその音は変わらなかった。同年12月にはアルバム『ごくつぶし』をリリース。しかし、さらなる新作をレコーディング中だった翌1990年1月27日、アケミは自宅で入浴中に溺死。バンドは解散を余儀なくされてしまう。最後にレコーディングされた作品は、『おあそび』として1990年7月にリリースされた。
アケミは、自分が救われたいからリズムを求めた。ライブは気持ちよくなった者の勝ち。まさに “自分の踊り方でおどればいいんだよ” ということだ。アケミはライヴのMCで “お前はお前のロックンロールをやれ!” とよく言っていた。これは『それから』に収録されている「ヘイ・セイ!(元年のドッジボール)」の中にも出てくるフレーズだ。そして、アケミは “お前はお前の仲間を作れ” とも言った。映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の最後では、アケミをモデルとするヒロミ(中村獅童)が両手にレコードが入った袋を下げて、ユーイチらの前に現れるのだ。
ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。
▶ 公開日:2026年3月27日
▶ スタッフ:
監督:田口トモロヲ
原作:地引雄一「ストリート・キングダム」
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
▶ キャスト:
峯田和伸、若葉竜也、吉岡里帆、仲野太賀、間宮祥太朗、中島セナ、神野三鈴、浜野謙太、森岡龍、山岸門人、マギー、米村亮太朗、松浦祐也、渡辺大知、大森南朋、中村獅童
▶ 企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
▶ ⓒ 2026 映画『ストリート・キングダム ⾃分の⾳を鳴らせ。』製作委員会
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2026.04.03