1990年1月27日、江戸アケミは36歳の若さで死んでしまった
東京近郊で暮らしていると強烈な寒さを感じることなどほとんど無いが、1月下旬から2月上旬にかけての数日は疑いなく寒い。いや、冷たいといったほうが的確か。風すらなく、ただひたすらに冷え込んでいる。
そんなヒリヒリとした空気に包まれると、必ずこみ上げてくる音楽がある。それが今日取り上げるJAGATARAの音楽だ。好きな音楽は星の数ほどあれど、ここまで強く突き動かされる音楽はない。
うしろからしがらみが
追いかけてくるけれど
そんなことは少しも問題じゃない
昨日は事実
今日は存在
明日は希望
1990年1月27日、このバンドのヴォーカルだった江戸アケミは36歳の若さでこの世を去ってしまう。あれからもう33年。その知らせを耳にした夜も底抜けに空気が冷たかった。
JAGATARAというバンドを知ってるかい?
バンドについて簡単に説明しておこう。JAGATARAとは江戸アケミを中心とする日本のファンクバンド。名うてのアーティストも多数在籍。1982年に暗黒大陸じゃがたら名義でアルバム『南蛮渡来』を世に出すも、83年から85年にかけてアケミの精神疾患によりバンドメンバーだけの活動を余儀なくされる。
多くの人の力を受け、86年にはアケミが復活。ライブにライブを重ねつつ、S-KEN や MUTE-BEAT らと伝説のオールナイトイベント『東京ソイソース』も開催。翌87年には『裸の王様』『南蛮渡来(再発)』『ロビンソンの庭(サントラ)』『ニセ予言者ども』といったアルバムを矢継ぎ早に世に放つ。“裸” と “ニセ預言者” の2枚は、彼らの最高傑作と言っても過言ではない。
そう、アケミが戻ってきたJAGATARAは飛ぶ鳥を落とす勢い。たおやかなアフロビートに乗って辛辣なメッセージを叫び続けていた。ちなみに私のJAGATARA体験はこのタイミングから。その後、89年にメジャーデビューを果たす彼らだが、この時期の活動が乗りに乗っていた証でもある。
このままじゃ
どこまで行っても同じ事さ
このままじゃ
どこまで行っても出口知らずさ
この「岬でまつわ」のフレーズも、日本経済がピークを迎える直前に書かれていた事実に改めて驚かされる。86年といえば、空前の好景気を前に世は夢心地。まさに江戸アケミが預言者と呼ばれる所以である。
今が最高だところがっていこうぜ
そして、80年代後半はバブル景気のど真ん中。古くてダサいものは取り壊され、お洒落でトレンディなものに塗り替えられていった。東京のウォーターフロントには倉庫を改装したクラブやカフェバーが次々とオープン。前出のイベント『東京ソイソース』はそんな場所で行われていた。
言ってみれば時代の最先端。東京中のファッショナブルで尖った人たちが集まっていた。ニューウェーブ、レゲエ、ダブ、ヒップホップ、ファンク、ジャズ… 日本のクラブカルチャーはこの『東京ソイソース』あたりから広がりを見せていった。
でもその中で、JAGATARAは、いや、江戸アケミだけは違っていた。間違いなく、あのキラキラした時代に凄まじい危機感を抱きながら、同時に抗うこともできないと感じながら、今としっかりと向き合い、苛立ちながら必死にもがき続けていた。
今が最高だと言えるようになろうぜ
今が最高だと言えるようになろうぜ
今が最高だところがって行こうぜ
今が最高だところがって行こうぜ
江戸アケミが遺した “ことば”
2023年1月25日、JAGATARAのオリジナルアルバム4作と2枚組のベストが、久保田麻琴のリマスタリングで再発売される。どんな音に仕上がっているのかとても興味深いが、それよりも、このリイシューがきっかけでより多くの人に知ってもらえればと長年のファンとしては強く願っている。
当時のJAGATARAを体験した人の多くは、今でも江戸アケミの遺した “ことば” が心に引っかかっているだろう。その警告や憂いはほとんど現実となり、とてつもなくリアルにのしかかってくる時代になってしまったが、アケミは今もってなおアジりながら語りかけてくる。
お前はお前のロックンロールをやれ!
やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ
1980年代、東京にJAGATARAというバンドが存在していた事実を忘れてはいけない。そして、それをリアルタイムで体験したものは、拙く僅かな力であったとしても、希望を鳴らし続けなければならないのだ。
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2023.01.27