5月28日

愛すべき伊達男 ブライアン・フェリー、波乱に満ちた女性関係とその美学

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photo:UNIVERSAL MUSIC  

以前、ジャパンの「ライフ・イン・トーキョー」について書いた記事の中で、“ニューロマンティックにおける美学とはこれでもかとばかりに飾り立てられたダンディズムであり、その源流のひとつにロキシー・ミュージックの存在がある” と書いた。

しかしこの、ロキシー・ミュージックという、音楽的には素人(だった)けど頭のブッ飛んだインテリ集団が作り上げた新しい音楽性… いや、それ以前に、ブライアン・フェリーというフロントマンがそのキャリアを通して貫いたその美学にこそ全てがあると個人的には思っている。

… ので、ここでもう一度ブライアン・フェリーという愛すべきロマンチストについて考えを巡らせてみたい。それもアーティストとしてではなく、一人の男として… である。-- 私は彼のことを、愛をこめて “ミスター・ダンディ” と呼んでいるが(どうでもいい)、彼がその作品で表現してきたものとは、彼の極めてプライベートな人生、というか、もはや恋愛遍歴そのものだからである。まさしく歩くラブソング先生。そんな波乱に満ちた女関係の数々から、後のアーティストたちに影響を与えたその美学がどのように出来上がっていったのかを書いてみようと思う。

まず、ロキシー・ミュージック作品に関して言えば、毎回アルバムのアートワークには美女モデルを登場させることで有名だ。バンドの実権はフェリーが握っていたのだから彼の趣向が反映されていたのは間違いないだろう。デヴィッド・ボウイの愛人でもあったアマンダ・リアをフィーチャーした『フォー・ユア・プレジャー』(1973)や『ストランデッド』(1973)のマリリン・コールなど。しかもこれらの美女を毎度しっかりとお持ち帰りしていたのも彼なのだ(笑)。

そして、ついにそこまでやったか!と突っ込みたくなるのは1974年の『カントリー・ライフ』。森の中でランジェリー姿で立ってる美女二人組はなんとフェリーがポルトガルのパブでナンパしたドイツ人のロキシーファンなのだそうである。ついに素人さんまで登場させてしまった。

しかしこんな風にお気に入り美女をジャケットにセクシー姿でのっけてしまうフェリーの癖も、彼の “美しきものを追い求める姿勢” がそのままアルバムの内容とフュージョンしているのだからこの男は潔い。ちなみにこの美女ジャケットスタイルはデュラン・デュランもがっつり影響を受けている。ついでに言うと、サイモン・ル・ボンの歌い方は、フェリーの無駄に吐息交じりな歌唱法とダブる。この辺はジャパンのデヴィッド・シルヴィアンからも伺えるので、ジャパン好きを度々公言しているサイモンがどちらに寄せていたのかはさておき…。

そして、この “美女ジャケ” シリーズの極めつけが、かの有名な『サイレン』(1975)における当時の婚約者、ジェリー・ホールである。ギリシャ神話に登場する半人半鳥の妖婦「セイレーン」に扮した(させられた)彼女は当時18歳のスーパーモデル。いかにもそんな彼女を自慢したい気持ちがあからさまに現れたジャケットで、収録曲「ラヴ・イズ・ザ・ドラッグ」(1975年11月10日付全英チャート最高位2位 / 1976年3月10日付全米チャート最高位30位)の中では「♪ 恋は俺にとって麻薬、俺はこの恋に完全にハマっちゃったのさ」なんてイケイケに歌いあげている。ちなみに、この曲のベースラインは、あのシックの名曲ディスコ「グッド・タイムズ」(1979)にインスピレーションを与えたというのだから、そのノリノリっぷりは侮れない。

しかしその後、ジェリー・ホールはフェリーと婚約中にも関わらず彼女を熱烈に口説き続けたミック・ジャガーによって略奪され、挙句の果てに二人は結婚。フェリーの恋愛人生における挫折が訪れる。鬱状態のフェリーはこの後、ソロ作『ベールを脱いだ花嫁(The Bride Stripped Bare)』(1978)で暗いテンションと二人への恨みつらみをそのまま作品へと持ち込み、結果商業的にも失敗してしまった。

しかし、西海岸のアーティスト陣をゲストにアメリカンロックに方向転換を図った本作は、その後のロキシー再結成における音楽スタイルの一助ともなっていてなかなかの良作だ。現にその後、フェリーがアメリカでも少しづつ人気が出ていたことを考えると、彼が失恋から得たものは少なからずあったのだ!と私は言いたい。

そして、ロキシー最後の記念碑にして最高傑作と名高い『アヴァロン』(1982)。兜をかぶり後姿でジャケットに映るこの女性こそ、失意の底から立ち直ったフェリーが、当時ついに結婚を決めた14歳年下の貴族出身の女性である。ちなみに “アヴァロン” とはケルト伝説で語られる極楽浄土の島のことで、そんな天国に一番近い島にたどり着いた平穏を歌ったかのような美しい静けさ漂うアルバムだ。この時きっと、フェリーは長い恋の旅を終えたのだろう… 一旦(笑)。それは本作に収録された名曲「モア・ザン・ディス」にも表れている。


 I could feel at the time
 いつも 感じていたことだけど
 There was no way of knowing
 知る方法が みつからなかった
 Fallen leaves in the night
 夜に舞い散る 木の葉たちが
 Who can say where they're blowing
 どこへ吹かれて行くかなんて 誰が知ろう
 As free as the wind
 自由な 風のように
 Hopefully learning
 願わくば 学びたいものだけど
 Why the sea on the tide
 なぜ(寄せては返す)海の波は
 Has no way of turning
 向きを変える 方法を知らないのか
 More than this
 これ以上のことは
 You know there's nothing
 何も無いだろう
 More than this
 これ以上のものが
 Tell me one thing
 あるなら 教えてくれ
 More than this
 これ以上のものは
 Ooh, there is nothing
 何も無い


この歌詞にはフェリーが散々使い倒した “LOVE” の言葉は出てこないが、全ての、自然の、あるがままの姿を愛でた、これまでとは違うロマンに溢れた一曲。それは長年刺激的な恋に一喜一憂しながら生きてきた “ブライアン・フェリー” という男が、静かな愛に生きることの喜びを知った瞬間の表れなんじゃないだろうか。

… しかし、ロキシー・ミュージックは本作を最後に活動を停止。ソロ作に専念するフェリーだったが、後にこの時の奥さんと離婚。20も30も年の離れた美女たちと交際を始めたと同時に、ロキシーを再結成させ、精力的な活動を展開させていく… それを考えると、やはりこの男は “恋に生きる” のが創作の源になっているであろうことは否めない(笑)。

だが、そんな “懲りないブライアン・フェリー” だから良いんじゃないか。自らを「救いようのないロマンチスト」と揶揄する彼の美学を支えているものは、愛なのか恋なのかは定かではないが、極めてプライベートな “LOVE” なのである。これほどまでにありのままを曝け出して歌うロックスターなど、後にも先にも居やしないのだ。その生き方こそがダンディズムの教科書なのだから。これぞミスター・ダンディ!美しいものを人生を賭けて追い求める愛すべき伊達男!彼の美学が後のアーティストに与えた影響は計り知れない。

2019.10.31
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  YouTube / Roxy Music
 

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カタリベ
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