5月25日

ジャニーズじゃない男性アイドル列伝!本田恭章のデビューはロックビジネス成熟前夜

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ロックミュージシャン風路線で売り出された16歳


このシリーズは、必ずしもメインストリームには属さなかった80年代の男性アイドルの存在をリマインドするものである。

1982年は空前の新人アイドルラッシュ年である。そのほとんどが女性アイドルだったが、シブがき隊、新田純一、そして今回取り上げる本田恭章などわずかながらに男性アイドルも存在した。

本田恭章には、“イギリスのロックバンド・ジャパンの日本公演の会場でスカウトされた” という公式プロフィールがあった。厳密には下記のような流れだとされている。

①ジャパンのライブ会場で音楽雑誌『ミュージック・ライフ』(シンコーミュージック刊)のフォトグラファーに写真を撮られる

②その写真が『ミュージック・ライフ』編集部が手掛けていたジャパンのファンクラブ会報に掲載される

③読者の反響をきっかけにシンコーミュージック(当時は芸能プロの機能も有していた)の所属となる

本人はのちのインタビューで、小学生の頃からキッス、エアロスミス、クイーンなどを聴き、遡ってT・レックス、デヴィッド・ボウイなども聴くようになり、一方で最先端のニューウェイブやパンクの影響も受けたと語っていた。当時のニューロマンティック風のファッションを好み、普段から顔にメイクも施していた。自然な流れとしてギターを練習し、『ミュージック・ライフ』を愛読していたとか。

一方、『ミュージック・ライフ』は、クイーンや、本国イギリスでは無名だったジャパンを日本で売り出した雑誌である。また、1982年頃からはデュラン・デュランをプッシュするなどビジュアル性の高いバンドを推す傾向もみられた。海外ミュージシャンをアイドル的に扱う『ロックショウ』という系列雑誌もあった。

シンコーミュージックと本田恭章は相思相愛の関係だといえた。シンコーミュージックは、本田恭章が指向する音楽に日本でもっとも近い出版社兼芸能プロダクションだった。一方、本田恭章は音楽性、ビジュアル、ファッション性などあらゆる面でシンコーミュージックが『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』の世界を国内で再現するのに最適な逸材だった。

ただ、当時は国内でロックのビジネスが成熟する以前である。また、本田恭章はまだ16歳であり、本格ロックミュージシャンとしてデビューさせるには経験が浅かった。そのため、シンコーミュージックは、既存の芸能界のシステムを利用し、“ロックミュージシャン風のアイドル” として売り出すことになる。

他の男性アイドルたちと一線を画す本田恭章のキャラクター


本田恭章はまず、1981年4月スタートの学園ドラマ『2年B組仙八先生』(TBS系)にナイフを持ち歩く転校生・上田夏彦役でレギュラー出演した。現実世界の学校でもそうだが、転校生は目立つ。端正な顔立ちと演じた役のインパクトもあり、彼がアイドル的な人気を得るのは必然だった。

そして、ドラマ終了から2ヶ月後、17歳になったばかりの1982年5月に、「0909させて」という曲でレコードデビューを果たす。このデビュー曲は自作ではなく、作詞が大津あきら、作曲が鈴木キサブローとプロの作家による楽曲だ。また、バンドを従えてはいたが、両手で振り付けを披露しながら歌うスタイルだった。ロックのイメージとは縁が薄い『おはようスタジオ』(テレビ東京系)、『歌う天気予報』(TBS系ほか)にも出演した。

『明星』(集英社)、『平凡』(平凡出版*現:マガジンハウス)などのアイドル雑誌では、毎回カラーページが割り当てられた。ただしそこでは「友達はいない」「高校のデザイン科に通っている」「スポーツはフェンシングを好む」「化粧は趣味である」といった旨の発言が強調されている。アイドル雑誌において、元気ハツラツな他の男性アイドルたちと一線を画すキャラクターを守った。それこそが初期本田恭章の魅力だった。ハメ込まれた枠の中で、自分ができることに取り組む姿こそが美しかった。

また、当時は周囲の無理解という壁もあった。近年、CSで再放送されたが、『レッツゴーヤング』(NHK)での扱いがそれを象徴している。サードシングル「☆BOY」を歌った際は、パイレーツ系ファッションでギターを持った本田恭章の後ろで、まったくテイストの異なるフィフティーズ風の衣装の女性ダンサー10名ほどが踊っていた。

『レッツゴーヤング』には、出演者が欧米のヒットソングを歌うコーナーがあった。本田恭章もそこに出たことがある。それこそ、ジャパンの曲を歌うのならアリかもしれない。だが実際には、嶋大輔とのデュエットで、1983年に世界的に大ヒットしたポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「Say Say Say」を歌ったのだ。大雑把に “ロック系” という枠組みでのキャスティングだったのだろう。

しかし、本田恭章がジャパンのライブ会場でスカウトされた人物であるのに対し、嶋大輔はTCR横浜銀蝿RSのライブ会場でスカウトされた人物である。両者の音楽性が一致していなかったのは明白であるし、そもそも「Say Say Say」は、本田恭章の路線とも、嶋大輔の路線とも異なるものだった。

しかも、英語の原詞ではなく、「カモン ベイビー ヨロシク!」といった、番組独自の日本語詞が用意されていたのが強烈だった。そして、それをきちんとこなす本田恭章はやはり美しかった。

ハノイ・ロックスのメンバーと共にロンドンでレコーディング


1982年のうちに「ジュテーム・スキャンダル」「☆BOY」と同じ作家陣のシングルをリリースした本田恭章だったが、デビュー2年目にはシングルの連続リリースをストップし、代わりにロック色を強調した3枚のミニアルバムを立て続けに制作。前後して作詞・作曲もスタートする。ただし、用意された活動内容は必ずしも一貫性がなかった。1983年11月発売の約1年ぶりのシングル「サヨナラのSEXY BELL」は、安全地帯として「ワインレッドの心」をリリースする直前の玉置浩二の作曲だった。

一方で、同年12月にはフィンランド出身のロックバンドであるハノイ・ロックスのメンバーと共にロンドンでレコーディングしたアルバム『ANGEL OF GLASS』を発表と、本人も満足できると思われる環境が用意される。しかし、自作ではない次のシングル「SHAKE&SHAKEパラダイス」(1984年5月)は森永製菓の「シェイクシェイク」という商品のCM曲で、自らが出演したそのCMは極めてアイドル的な演出がなされた。



今日の視座で俯瞰すると、方針の揺れは激しかったものの、このあたりまでは関係者に “とにかく本田を売ろう” という熱意があったことをうかがい知れる。海外ミュージシャン専門である雑誌『ロック・ショウ』は、例外的に彼を表紙に起用するなど大プッシュをしていた。そうしたプロモーションの成果もあり、1984年11月には日本武道館でのコンサートが実現している。ただ、必ずしもレコードセールスは爆発的ではなかった。シングル曲がヒットチャートの上位を走った歴史はない。本田恭章がアイドル的な売り方をされたのは、デビューしてから3年間ぐらいだった。

その後の本田恭章は、バンドブーム前夜ともいえる1986年にツインドラム編成の “The TOYS” というバンドを結成し、脱アイドルを果たす。しかし、The TOYSはバンドブームの波に乗ることはなく、マイペースな活動を続けた。

バンド解散後の1991年にはソロに戻るが、メジャーレーベルでの活動は1993年にシングル、アルバム各1枚をリリースしたのが最後であり、平成のCDバブルの恩恵に預かることもなかった。

還暦間近の今も0909し続ける本田恭章


それでも本田恭章は音楽をやめなかった。1995年に映画『人造人間ハカイダー』にナルシスト的な悪の支配者役で出演したのを唯一最大の例外として、コマーシャリズムとも距離を起き、積極的にメディアに打って出ることもしなかった。インターネットの普及後は、 “ビジュアル系のルーツ” といった評価も受けるようになったが、本人はそこに食らいつくこともしていない。ただ、30代、40代、50代とバンド形式の音楽活動だけは続けた。愚直なほどに続けた。いや、続けている。

男女問わず80年代にデビューしたアイドルのなかで、今日に至るまで継続的な音楽活動を行っている人物は10名に満たないだろう。少なくともそのなかの1人に本田恭章は含まれている。そして当人は、アイドル時代の自らの音楽活動を否定的に捉えている様子はない。公式You Tubeチャンネルでは、2023年1月に行われたファンクラブイベントにて、今年57歳(当時は56歳)の本田恭章が、ギターを演奏しながら「0909させて」を歌う動画を確認できる。

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2023.08.25
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