4月15日
星に願いを — 東京ディズニーランドの開園とウォルトの夢
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米国以外では初となるディズニー・テーマパーク「東京ディズニーランド」が開園した日
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photo:Disney  

今では信じられないが、開園当初の東京ディズニーランドは空いている日が多かった。

そう、今日―― 4月15日は、今から35年前に千葉は浦安の埋立地に、“夢と魔法の王国” が誕生した記念すべき日である。かの地では、今日から『東京ディズニーリゾート35周年 “Happiest Celebration!”』が開催される。ご興味のある方は、ぜひ―― と言いたいところだが、まっ、ゴールデンウィークまでは激混みでしょう。

そうなのだ。ディズニーランドと言えば、今や混雑を覚悟するのが当たり前だけど、開園当初は週末はともかく、平日はかなり空いていた。雨でも降れば、もうガラガラ。人気アトラクションも並ばずに何回も乗れたものだった。

―― というのも、80年代はディズニー自体が “暗黒の時代” と呼ばれ、ヒット映画は長らく生まれず、せいぜい往年の名作―― 『白雪姫』や『シンデレラ』が夏休みの小学校の体育館でかかる程度。日本人にとって、清く正しく美しいディズニーアニメは、半ば時代遅れの烙印を押されつつあったのだ。

面白い話がある。東京ディズニーランドが開園する前年―― 1982年8月、アメリカのコミック『リトル・ニモ』を原作とする日米合作の映画化のプロジェクトが立ち上がり、ロサンゼルスで両陣営の顔合わせを兼ねた研修会が開かれた。日本側から高畑勲・宮崎駿両監督が、アメリカ側からはディズニー・スタジオの伝説のアニメーター “ナイン・オールドメン” の2人、フランク・トーマスとオリー・ジョンストンが参加した。

とはいえ、当時の高畑・宮崎両氏はまだキャリアが浅く、ディズニー側から教えを乞う立場。ところが―― 2人の自己紹介用に上映された映画『ルパン三世 カリオストロの城』と『じゃりン子チエ』を見て、ナイン・オールドメンの2人が驚く。

「もはや、我々が教えることは何もないじゃないか」

結局、『リトル・ニモ』のプロジェクトはその後、アメリカ側のプロデューサー、ゲーリー・カーツの横暴で高畑・宮崎両氏が降板して、散々なてん末を辿るんだけど―― それはまた別の話。

ともかく、80年代前半の時点で日本のアニメ界はかなり進んでおり、日本の若者たちはディズニーアニメよりも、『機動戦士ガンダム』や『Dr.スランプ』などに夢中。開園したばかりの東京ディズニーランドが混雑しなかったのは、そういう事情もあった。

ディズニー映画が89年公開の『リトル・マーメイド』で復活し、翌90年、京葉線が東京駅に乗り入れ、舞浜駅と結ばれるまで、もう少し待たねばならない。

開園に至るランドの誘致の話は、ホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫監督の著書『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』(講談社)に詳しく書かれている。彼は、知る人ぞ知るディズニーフリーク。ここから先は、少し長めに引用させていただく(ちなみに、この本はエンタメ業界で働く人、または志す人にとって必須の知識が網羅されているので、おススメです)。

時に、開園からさかのぼること9年前の1974年12月1日――。三井・三菱という日本を代表する2つのグループの招きで、ウォルト・ディズニー・プロダクションズの経営陣が来日する。三菱側はグループの三菱地所が所有する富士山麓に誘致するプラン。一方の三井側はグループの三井不動産の関連会社、オリエンタルランドが所有する浦安の埋立地に作る計画である。

この時の三井側のプレゼンが抜群に面白い。場所は、帝国ホテルのバンケットルーム「錦の間」。プレゼンテーターは当時、オリエンタルランドへ常務として出向していた電通の堀貞一郎サンだ。プレゼンに先立ち、ディズニー社のドン・テータム会長がこう挨拶した。

「本来なら、我々が日本語を勉強し、日本語を理解できるようになって来るべきだったのに、その時間がなく、みなさんに英語でプレゼンテーションしていただくことを、最初にお詫びしたい」

午前10時、プレゼンが始まった。事前の段取りでは堀常務が日本語で話し、それを通訳がマイクを通して英語に訳すはずだった。しかし、テータム会長の挨拶を聞いて、堀常務の考えが変わる。突如、通訳のマイクを奪い、オーバーな身振りで、日本語で話し始めたのである。

「成田に旅客機がガーッと降りて、高速道路をビューッとクルマで都心まで飛ばすと――」

ほどなくして、ドン・テータム会長が叫ぶ。「ストップ!」

そして、常務の言葉を制して立ち上がった。

「先ほど、私は日本語を勉強してくるべきだったと言ったが、訂正する」

一瞬の静寂があたりを包んだ。そして、こう続けた。

「ミスター・ホリ、きみの日本語はよくわかる。われわれは、日本語を勉強してくる必要がなかった」

会場にドッと笑い声が起こった。

三井側のプレゼンは、これで終わらない。堀常務はライバル三菱のプランの弱点を都心からの距離と見ていた。富士山麓までは100キロもある。対して、浦安まではわずか12キロ。ここをアピールしない手はない。

午後、ディズニー社の幹部たちを現地の浦安に案内するため、一行は帝国ホテルの前からリムジンバスに乗り込んだ。都心の道路は12時~1時の昼食時が空く。ここを移動時間にあて、車中で昼食をとってもらえたら、移動時間は短く感じられるという算段だ。

車内には振り袖姿のコンパニオンを2人置いた。彼女たちは、ディズニー幹部に食前酒の注文を聞いて回る。「遠慮なくご注文ください。何でもございますから」。だが、車内を見渡すと、小さな冷蔵庫が1つあるだけだ。

「本当に何でも?」

副社長のロン・ケイヨは訝し気に思いながら注文する。

「では、ブラディメアリーを。ウォッカはストリチナヤで」

振り袖の美女は、小さな冷蔵庫からトマトジュースと、ストリチナヤのウォッカを取り出し、ブラディメアリーを作ってみせた。

その後も―― ペリエ、ペプシコーラ、スミノフのウォッカトニック等々、ディズニーの幹部たちが注文する飲み物すべてが、小さな冷蔵庫から取り出された。この魔法にロン・ケイヨがつぶやいた。

「あれはアイスボックスじゃなくて、マジックボックスだ」

―― もちろん、このマジックにはタネがある。堀常務は、あらかじめ三井物産ロサンゼルス支店を通じて、ディズニーの幹部が日頃どんな食前酒を飲んでいるか、綿密にリサーチしていたのだ。

まだ続きがある。

昼食は、帝国ホテル特製のステーキランチを用意した。堀常務は、かの村上信夫総料理長にこう依頼した。

「金に糸目をつけないから、アメリカ人がひとくち食べたら時を忘れるランチを作ってください」

そうして―― “マジックボックス” から取り出された食前酒に、“時を忘れる” ステーキランチを食べ終わったころ、バスは静かに浦安に到着した。

その日の夕方、ディズニー社から三井へ “決定” の知らせが届いたという。

―― 以上、馬場監督の著書から長めに引用・要約させてもらったが、彼のディズニー愛は、これに留まらない。1985年にホイチョイ・プロダクションズが上梓した『OTV』(ダイヤモンド社)の中でも、馬場監督は最終章を丸々「ディズニーランド」に当てている。こちらも引用・紹介させていただく。

時に、1985年3月のある寒い土曜の夜――。

馬場監督はその月に始まったばかりのエレクトリカルパレードを観るために、東京ディズニーランド・ウェスタンランドの前の通りに立っていた。通りの両側は子供連れの観客で、すでに立錐の余地もない。通りの向こう側の人混みの中に、黒いコートを羽織った外人の一団が談笑しているのが見える。プレス関係者がこっそり教えてくれた。

「スウェーデンのグスタフ国王ですよ」

国王はお忍びで来たという。ロイヤルボックスに収まるでもなく、警備の警官が周りを固めるでもなく、国王は、肩から水筒を掛けた小学生や、父親の肩にしがみついた幼児たちの中で、じっとパレードを待っていた。やがて、鮮やかな光と音を放ちながらパレードがやってきた。子供たちが歓声を上げ、ミッキーマウスに手を振る。国王も瞳を輝かせ、無邪気に笑い、山車を見送る。

その時の心境を馬場監督はこう綴っている。

「国王と、名も知れぬ子供たちが、身分も年齢も越えて、同じ人間的な微笑みを浮かべるのを見た、あの夜―― わたしは、娯楽を信じ、夢を訴え続けたウォルト・ディズニーの生涯がたどり着いた先を、自らの眼で見届けたような気がした」


 星に願いをかけるとき
 人に差別はありません
 心に願う望みはすべて
 あなたのものになるでしょう


「星に願いを(When You Wish Upon A Star)」は、1940年公開のディズニーの長編アニメ第2弾『ピノキオ』の主題歌である。同年、アカデミー主題歌賞を受賞した。

1966年12月15日、ウォルト・ディズニーはその66年の生涯を閉じた。だが、あの夜、馬場監督が目撃した、パレードを一緒になって見送る国王と子供たちの笑顔に象徴されるように―― 死してなお、ウォルトの夢は生き続けている。

2018.04.15
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カタリベ
1967年生まれ
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