デヴィッド・ボウイが69歳で逝去して早2年の月日が流れた。
その後も、プリンス、トム・ペティ、遠藤賢司などなど、ボクが10代の頃に心ときめかせたミュージシャンが次々とこの世を後にしていった。江戸アケミの言葉を借りれば「時は流れ人はまた去る 思い出だけを残して」ということだろうか。
訃報に接した際は、信じられない… という想いも強かったが、歴然とした事実である。ボクたちはその事実を事実として受け止めねばならない。人は必ず死ぬのである。そんな自分も人生の折り返しをとうに過ぎているからこそ、10年前よりは自覚的に生きているつもりである。
—— それはさておき、ボクがデヴィッド・ボウイを初めて聴いたのは、ご多分に洩れず、1983年にリリースされた『レッツ・ダンス』からだった。RCA から EMI に移籍して第一弾の作品、全世界的なビッグヒットとなったアルバム。
日本では、ほぼ同じタイミングで 映画『戦場のメリークリスマス』が公開され、そのルックスも相まってクラス中の女の子が騒ぎまくっていた。それが1983年の春。ボクが高校3年になった時の出来事である。
とはいえ、ボウイに関しては、前年の1982年からかなりのノイズが上がっていた。やはり、『戦メリ』の前パブの影響が大きかったのかもしれない。『宝島』を中心としたサブカル雑誌がこぞって取り上げ、美形ロックスターをネタにした『8ビートギャグ』というロック漫画にも頻繁に登場していた。
ボクは女の子たちのそんなミーハーな感じを引き気味に見ているひねた男の子だったから、「ああ、ボウイね、ふーん」みたいな感じでスカしたことを言っていた記憶がある。当時は『ジギー・スターダスト』すら聴いたことなかったのに(笑)
さて、この「レッツ・ダンス」は、シックのギタリスト=ナイル・ロジャースがプロデュースを手掛け、80's のトレンドを一気に加速させたサウンド。カルトスターであったボウイをメインストリームへ押し上げたこともあって、熱心なボウイファンからはあまり好かれることのない曲だが、そんなことはどうだっていい。
当時、ボクの心を一瞬で鷲掴みにしたこんな一節がある。
Let's dance,
Under the serious moonlight
踊ろう、シリアスな月の下で
永遠に忘れることのできない普遍的なメッセージ。ボクは、このワンフレーズで彼の虜になってしまった。—— ちょっと前に比べれば窮屈になってしまった世の中なのかもしれないが、80年代も今も大して変わりはしない。音楽が鳴っている限り、踊り抜くのみである。
さあ踊ろう、シリアスな月の下で
※2016年1月15日に掲載された記事をアップデート
2018.04.14
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