77年に本格化した資生堂ーカネボウのCMタイアップ戦争。春に尾崎亜美『マイピュアレディ』、夏にダウン・タウン・ブギウギバンド『サクセス』(年間22位)と先手を打った資生堂。それに対し、カネボウは秋のキャンペーンソングに、意外にも、ある無名の歌手を起用する。その名は、新井満。広告代理店・電通の社員だ。 新井は、前年の76年に森敦の芥川賞作品「月山」の文章にメロディをつけるという風変わりな企画のレコードを出しており、ワイドショーで取り上げられたことがあった。しかし、それはほんの一時のこと。彼自身も歌手活動は終わったつもりでいた。ところが、その「月山」を聴いたカネボウ宣伝部からCMソングを引き受けてほしいと切望される。難色を示す新井に対し、スポンサーに協力せよと社命が下った。やむなく新井はレコーディングに臨むことになる。 そうして出来上がったのが『ワインカラーのときめき』である。曲はヒットし、年間チャート74位を記録。新井はこれがきっかけでメディアの寵児となり、やがて小説を書き、自身も芥川賞作家となる。巷では、前年の資生堂CM曲『揺れる、まなざし』の小椋佳が銀行員、カネボウCMソングの新井が広告マンということで、ともに副業サラリーマン歌手として比較され、話題になった。 ここで、時計の針を少し戻して、CMタイアップ史の元祖『揺れる、まなざし』についてもふれておかねばならぬ。 民間放送が始まって以来、CMのために作られた曲は数多あれど、それらはあくまでCM専用。商品名の連呼などクセが強すぎて、宣伝のための音源をわざわざお金を出して買う人などいるとは思われていなかった。73〜77年に大滝詠一や山下達郎が録音した三ツ矢サイダーの音源は、CM尺だけの長さしかなく、完全な楽曲ではない。また、既成の曲をBGM的に選曲することも昔からあったが、これも音の隙間を埋める安易な手法としか思われていなかった。それらとは違って、タイアップとは、広告と同時に作品コンセプトを合わせて、完成した楽曲のレコードとしても一般発売する手法だ。 CMとタイアップした日本最初の楽曲が何だったのかは、諸説ある。古くは佐良直美が歌って大ヒットした67年『世界は二人のために』(明治製菓アルファチョコ)だが、CMでは佐良は歌っておらず、後になってからメロディを流用したのに近い。72年BUZZ『ケンとメリー』(日産スカイライン)も、CMとレコードの歌詞は異なる。歌詞の内容と広告の文言が同一連動していなければ、正式なタイアップとは言い難い。同じく72年の吉田拓郎『HAVE A NICEDAY』(富士フイルム)は販促用ソノシートのみで一般売りはされなかった。その意味で、タイアップとしての要件を満たし、かつ、ヒットチャートを賑わした最初の楽曲は、76年の資生堂CMに起用された小椋佳『揺れる、まなざし』なのである。 小椋は、前年に布施明の歌った『シクラメンのかほり』でレコード大賞を獲得。しかし、本業である第一勧業銀行でのサラリーマン生活を優先していた。資生堂のCMタイアップをやることになったのも、旧知の間柄であった資生堂の宣伝部長に頼まれて断れず、という経緯であった。それでも、楽曲の良さ+映像美+テレビ大量オンエアによって、76年の年間27位、週間最高2位という大ヒットになる。 それにしても、このフィルムに映る真行寺君枝の妖艶さよ。若干16歳、高校2年生である。早熟といわれた山口百恵や中森明菜ですらも、わずか16でここまでの色気は出せまい。離婚、破産といったその後の彼女の波乱の経歴を鑑みるに、人生における一瞬のきらめきとはなんだろうか、と考えずにはおれない。 (つづく)
2016.09.07
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