1976年 6月25日

萩原健一もカバーした「酒と泪と男と女」河島英五が伝えたかったメッセージとは?

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河島英五のファーストソロシングル「酒と泪と男と女」がリリースされた日
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4月16日は河島英五の命日


2001年4月16日、河島英五は48歳の若さでこの世を去った。

河島英五といえば「酒と泪と男と女」を思い浮かべる人が多いと思うし、この曲が彼の代表曲であることは間違いない。けれど、もしかしたら多くのリスナーのこの曲の受け取り方と彼が込めた思いとの間には、もしかしたら少しズレがあるのかもしれない。そんな気がすることがある。

河島英五は1952年4月23日の大阪生まれ。彼が中学生の頃にはフォークキャンプをはじめとする関西独自のフォークムーブメントが動きはじめていたから、おそらく彼も影響を受けていたのだろう。すでに中学生の頃には自分で曲を作り始めて自分でも歌うようになり、高校卒業後に3人組フォークグループ、ホモ・サピエンスを結成し、そのリーダーとして本格的な活動に入った。

河島英五が本格的に活動を始めた1970年代初期には、関西のフォークムーブメントも転換期に入り、さまざまなタイプのアーティストが登場して多様性を見せていく。そうした状況のなかでホモ・サピエンスは1973年にシングル「気狂いバンドを見捨てないで」でインディーズからレコードデビューしている。

河島英五とホモ・サピエンスでメジャーデビュー


ホモ・サピエンスが所属した京都レコードは、「赤とんぼの唄」などのナンセンスソングで “支離滅裂派フォーク” と呼ばれたあのねのね(清水国明、原田伸郎)などを抱えており、河島英五も一緒に活動することが多かったようだ。

もしかしたらこの時代には、ある意味ストレートすぎるメッセージソングを歌うホモ・サピエンスも、逆に “フォークの亜流” と見られていたのかもしれない。

ホモ・サピエンス解散後、河島英五は4人編成の河島英五とホモ・サピエンスとして活動し、1975年6月にシングル「何かいいことないかな」でメジャーデビュー。同年6月にはアルバム『人類』を発表する。
そしてセカンドシングルとしてこの『人類』に収録されている「てんびんばかり」をリリースする。ちなみに、このB面に「酒と泪と男と女」が収められていた。



河島英五の “原点” ともいえる2曲


荒削りだけれどパワフルなヴォーカルでリアルな心情を歌いあげていく河島英五とホモ・サピエンスは、初期の吉田拓郎を思わせると話題にもなったが大きくブレイクはせず、アルバム2枚を残して1976年に解散。そしてソロとなった河島英五が、初のシングルとして発表したのも「酒と泪と男と女」だった。

この曲は、彼が18歳の頃、法事に集まった親戚の様子から発想してつくられた河島英五の “原点” ともいえる曲のひとつだ。

萩原健一もカバーしたカラオケの人気曲


「酒と泪と男と女」は、河島英五がソロシングルを出す前年1975年に萩原健一がカバーしていたこともあってヒットし、文字通り彼の代表曲として知られることになり、カラオケでも人気曲となっていく。

この曲で描かれている、哀しみを酒で紛らわそうとする男、哀しみを正面から受け止めて涙を流す女という姿には、人生に向き合う男女の本質が捉えられていると言えるだろう。

そんな人の機微を、パワフルでいながら繊細な情感を感じさせるハスキーヴォイスでじっくりと歌い上げる河島英五の歌唱は、有無を言わせずに人の心に刺さる。まさに、人生の本質を捉えた曲と言えるだろう。

さらに言えば、ある意味で “人生を俯瞰した” とも言えるこの歌詞を、自分の体験としてでなく、18歳の多感な少年が、大人たちの振る舞いから感じ取ったという絶妙な距離感が、この曲を必要以上に重過ぎず、しかし心の深い部分まで届くものにしているのだとも思う。

「酒と泪と男と女」の本当のメッセージとは?


ここから先は僕個人の勝手な解釈になってしまうのだけれど、もしかしたら男たちの中にはこの曲を違う捉え方をしてしまっている人もいるのではないか。そんな気がする。

それは、その後の河島英五のヒット曲となる「野風増~おまえが20才になったら」(1984年)や「時代おくれ」(1986年)とこの曲の距離が気になってしまうからだ。

「野風増~おまえが20才になったら」も「時代遅れ」も河島英五が書いた曲ではない。「野風増」は山本寛之が歌った曲のカバーであり、「時代遅れ」は阿久悠の詞(作曲は森田公一)による曲だ。

これらの2曲に共通しているのは、酒を通して “男の生き方の美学” が描かれていること。いわば男がひたるための歌なのだ。

しかし「酒と泪と男と女」はそうではない。最初のブロックを聴けば、酒に託して辛さを乗り越えていく男の美学と見えないこともないし、続く “女の泪” を女々しさと受け取れば、歌謡曲にも通じる男女の在り方と捉えることもできなくはない。

けれど「酒と泪と男と女」の本当のメッセージはそこではなく、

 又ひとつ 女の方が偉く思えてきた

―― という部分にあるのではないかと僕には感じられるのだ。

人生の悲しみや辛さに正面から向き合って泣く女に対し、それを正視せずに酒に逃げる男の “ずるさ” を見抜く視点が、この曲にはある。そして、そんな男のなさけなさを知りながらも、自分は男として生きるしかないという覚悟を決める。「酒と泪と男と女」の深さなのだと思う。

同じ酒をテーマにしながらも、「野風増~おまえが20才になったら」や「時代おくれ」では男だけの世界で完結しているが、「酒と泪と男と女」には男と女が相対的な視点で描かれている。その意味で、これらの曲を同じ系譜に置くことにはちょっと違和感を覚えてしまう。

もちろん。河島英五がこれらの曲を発表した時代の流れや年齢を考えれば、明らかに問題提起を含むメッセージソングである「酒と泪と男と女」を歌っていた彼が、もう若くはない男のための鎮魂歌とも言える「野風増~おまえが20才になったら」「時代おくれ」を歌うようになったことも理解できるし、それが “大人になることだ” とも思う。

しかし、フォークシンガーとしての視点で河島英五を見直そうとするなら、その原点としての「酒と泪と男と女」から別の楽曲の系譜をたどることもできるのではないかという気がする。

たとえば、「酒と泪と男と女」と並ぶ事実上のデビュー曲であり、その後もさまざまな状況によってバージョンを変えて歌い続けられた「てんびんばかり」に込められているメッセージを改めて受け取ってみたり、加藤登紀子に提供して彼自身も歌った「生きてりゃいいさ」(1979年)へとつながっていく彼のうたの系譜を探ってみることにも意味があるという気がする。

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2023.04.16
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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