9月8日

ウィノナ・ライダーもお気に入り、ケイト・ブッシュ「魔物語」のアート性

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ケイト・ブッシュのサードアルバム「Never for Ever(魔物語)」がリリースされた日
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Kate Bush / Never for Ever


ケイト・ブッシュ「神秘の丘」が発売37年目の首位獲得


2011年11月に10th アルバム『50 Words for Snow』をリリースして以降は新曲の発表がなく、目立った話題も聞こえてこなかったケイト・ブッシュが、このところ俄に大きな注目を浴びていますね。

彼女が1985年にリリースした楽曲「Running Up That Hill (A Deal with God)(神秘の丘)」が、Netflixから配信されているドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」のシーズン4でフィーチャーされたことで、2022年6月17日、英国チャートで首位を獲得したからです。

シングル発売当時は最高3位だったので、リリースからなんと37年を経ての首位獲得となり、この間隔は、“WHAM!”の「Last Christmas」を超える最長記録だそうです。また、彼女にとっての英シングルチャート首位獲得はデビュー曲の「Wuthering Heights(嵐が丘)」以来で44年ぶり、これもトム・ジョーンズの42年を抜いて同チャート史上最長とのこと。

そのドラマ「ストレンジャー・シングス」は設定が1980年代なので、ことあるごとに80年代のロック/ポップ曲が流れてくるのですが、主役のひとり、ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)が子供の頃からケイト・ブッシュが大好きで、彼女の曲を使ってくれるようずっとお願いしていたとのことです。

売上を左右するアートとエンタテインメントのバランス




「Running Up That Hill」を収録するアルバム『Hounds of Love(愛のかたち)』の中では、個人的には「Cloudbusting」が最も好きだけど、ともかく何十年もの時を経て、自分の中で高く評価している音楽がヒットするなんて、とてもうれしい驚きです。

私は自分を偏っているとは思わないけれど、好きなものと世間の人気や売れ行きが一致しないことはよくあります。音楽に限らず、文化には「アート」と「エンタテインメント」という二つの側面があると思いますが、基本的に人間は楽な方に流れがちなので、エンタテインメント性が高いほうがよく売れる。アート性の高いものは評論家には可愛がられるけど、売上が伴わないことが多いです。

私は、エンタテインメント性もやはり求めますが、より重視するのはアート性です。新しいことへの冒険心がない音楽は、耳触りがよくても、すぐに飽きます。ただ、すぐに飽きても、いくらでも代わりが出てくる。なので世の中にはいつもバカっぽい音楽が蔓延しています。そしてもちろん音楽はビジネスですから、レコード会社など送り出す側も当然売れる方に力を入れるわけで、彼我の差は益々開いてしまうのです。



そういう意味で、ケイト・ブッシュはアート性が高い人ですから、ともすれば、「評価は高いけどあまり売れない」チームに入ってしまう可能性も大だったのですが、実際はそれどころか、デビューシングル「Wuthering Heights」が全英4週連続1位、デビューアルバム『The Kick Inside(天使と小悪魔)』も全英3位という、いきなりの商業的成功を収めることができました。

その作品のアート性の高さ以外に、端麗な容姿、ユニークなダンス、すべて自作曲ながらまだ19歳という話題性など、彼女には様々な武器がありました。もちろん、最大の武器はその個性的かつ魅力的な声と抜群の歌唱力。それらが強力なエンタテインメント性となってレコードの売上を後押ししたのです。

アルバムをプロデュースしたアンドリュー・パウエル(Andrew Powell)の功績も大きいと思います。実はケイトは、既に共にライブも展開していた“KT Bush Band”の面々を使って、自らプロデュースすることを希望していたのですが、レーベルのEMIがそれを許しませんでした。

最初のシングルも、EMIが「James and the Cold Gun」を選んだのに対し、彼女は「Wuthering Heights」を主張し、しかもジャケットに使う写真の選択で揉めて、発売日が2ヶ月遅れるという、19歳の女性には珍しいほど、明確なビジョンを持っていたくらいですから、たぶんセルフプロデュースでもしっかりした作品はつくったでしょうが、もしそうしていたら、よりアート性が勝ったものになっていたでしょうし、あのような華々しい成果は得られなかったかもしれません。



2nd アルバム『Lionheart』(1978)もパウエルのプロデュースでした。このアルバムにアシスタントエンジニアとしてクレジットされているナイジェル・ウォーカー(Nigel Walker)と、私は10年ほどあとに、土屋昌巳さんや遊佐未森の作品で、エンジニアとディレクターという関係で仕事をしましたが、ケイト・ブッシュの音づくりへのこだわりは異常だった、というような話をしてくれたのを思い出します。

アート性が高い「Never for Ever」も結果オーライ


その執念がようやくレーベルに聞き届けられ、エンジニアのジョン・ケリー(Jon Kelly)との共同クレジットながら、初めて自身のプロデュースで制作したのが、3rd アルバム『Never for Ever(魔物語)』でした。

それまではほとんど使っていなかったシンセやドラムマシーンを駆使したサウンドが、このアルバムの特徴です。特に「Fairlight CMI」という1980年に発売されたばかりの、サンプリング機能やシーケンサーを内蔵したシンセサイザーの導入が先駆的でした。

やがて、トレヴァー・ホーンというプロデューサーが、“Art of Noise”(1983〜)や“Yes”の『ロンリー・ハート (90125)』(1983)で使うことで一世を風靡した高級シンセですが、1980年時点では知る人はほとんどいなかったんじゃないかな。私が担当していた“GONTITI”が、デビューアルバム『ANOTHER MOOD』のレコーディング(1983年3月後半)で、たまたまこの「Fairlight CMI」が使えたのですが、その時点でも日本にはまだ2台しかないという話でした。



ケイトはピーター・ゲイブリエルのアルバム『Ⅲ』(1980)に参加した時にその存在を教えてもらったようです。まだ目立った使い方ではないですが、「Army Dreamers(夢みる兵士)」のシャッター音のような印象的なパーカッションは、おそらく「Fairlight CMI」によるサンプリングだと思います。

やっと念願かなったセルフプロデュース、充分な時間もあって、彼女のアート性はフル回転ですが、かと言って難解だったり尖り過ぎたりすることはなく、「Army Dreamers」などのポップな曲もあって、音楽面の「アート/エンタテインメント・バランス」はうまく保たれていると思います。

ただ、ジャケットはかなりアート寄り。ニック・プライス(Nick Price)という画家が描き下ろしたイラストがすごい。絵本の仕事が多い人みたいですが、ざっとネット検索で見た限り、彼にとってもこの作品が最高傑作じゃないですか。夢に出てきそうで怖いんだけど、ずっと見てしまう…。

裏ジャケも面白い。コウモリのような姿になったケイトが4体、舌を出したりしながら飛翔しています。このアイデアと写真は、ケイトの上のお兄さんで、詩人で写真家のジョンが担当しました。下のお兄さん、パディはデビューの時から、コーラスや民族楽器などの特殊な楽器をいろいろ演奏して、サウンド面で妹をフォローしていますが、ひょっとしたら、家族のほうがケイトよりもアーティスティックだったのかもしれませんね。

ということで、全体的にはややアートが優勢なアルバムだったかもしれませんが、既に成功していましたから、このくらいのアート性は敬遠されることはなかったんでしょう、成績の方は見事、自身初の全英アルバムチャート1位を獲得。もちろん、アートを求める人たちはこの作品に快哉を叫び、ケイト・ブッシュ信者はその数を大きく伸ばしたでしょう。

それでEMIもやっと信用したらしく、以降は100%セルフプロデュース体制にすることを認めましたが、彼女はちょっと調子に乗ったのか、次作の『The Dreaming』(1982)ではアート性を出し過ぎました。すると売上も下がってしまったので、その次の『Hounds of Love(愛のかたち)』(1985)では多少エンタテインメント寄りに引き戻し、再び全英1位。そこからシングルカットされた「Running Up That Hill」も全英3位のヒットとなりました。

デビュー作を本人がプロデュースしていたら今回のヒットもなかった?


英国史上最長の時を経てのチャート首位獲得。「Running Up That Hill」という曲に込められたケイト・ブッシュの天才を証明するできごとですが、ただやはり、ウィノナ・ライダーが彼女の大ファンだったということと、この曲が今も一定数の人々の記憶に残っているという状況がなければ、人気ドラマでフィーチャーされることにはならなかったんじゃないかと思います。

つまり、デビューシングル&アルバムの成功という事実がもしなければ、そして「評価は高いけどあまり売れない」人になってしまっていれば、こういう結果も生まれてこなかったかもしれないということです。

前述のように、デビュー時の成功には、ケイトの意志に反して、外部プロデューサーを配することで、エンタテインメント性を確保できたことが寄与していると思います。それはレーベルの好判断だったわけですが、とは言え、それほど深い考えがあってのことだとも思えません。この場合はアンドリュー・パウエルに任せたことがたまたまうまくいっただけで、アートとエンタテインメントのバランスは、いろんな要素の相互作用によってすぐにでも変化し、そのさじ加減はたとえ優秀なプロデューサーにとっても、簡単なことではないと思います。

ただ、その微妙なバランスは、先々までアーティストの運命を左右するくらい、音楽にとって重要なものであり、だからこそ、そこから様々な物語も生まれてくるのです。

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2022.08.17
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カタリベ
1954年生まれ
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