彼女の父親はお酒の問題を抱えている。
「この老いた体じゃ働けない」というのが彼の言い分だが、それほど歳をとっているわけじゃない。母親はそんな父親に見切りをつけ、出ていってしまった。でも、彼女はその家に残って暮らしている。誰かが父親の面倒をみなければならないからだ。そのために学校も辞めた。
彼女はコンビニエンスストアで働いている。変わりばえのしない毎日の中で、心を擦り減らしながら、少しづつ貯金をしている。なにか目的があるわけでもなく、ただ貯金をつづけている。
彼女の恋人は速い車を持っている。ある日、彼に肩を抱かれながらドライブをした。車がスピードを上げると、街の灯りは流れ去り、どこまでも飛んで行けそうな気がした。そのとき、彼女はこことは違うどこかへ行きたいと思った。そうすれば、きっと自分も変われるはずだと。
彼女は恋人にその気持ちを打ち明ける。州境を超えて都会へ行きたい。少しだけど貯金はあるし、そこでお互い仕事を見つければいい。そうすれば、生活することの意味がわかるはず。ふたり一緒ならきっとやっていける。今夜どうするかを決めましょう。ここを出て行くのか、死ぬまでこうして生きていくのか。
ふたりは町を出る決心をする。車がスピードを上げると、どこまでも飛んでいけそうな気がした。
今、彼女はスーパーマーケットで働いている。でも、恋人には働く気がない。彼は夜ごと酒を飲み、子供よりも友達と過ごす時間の方が多い。これからはうまくいくと思っていた。恋人も仕事を見つけて働き出し、自分は昇級して、いつか郊外の大きな家に住んで…。でも、そうはならなかった。
彼女の恋人は速い車を持っている。それさえあれば、どこへだって飛んで行けるのではないだろうか。今夜、彼女は彼に決断を迫る。この家を出ていくのか、死ぬまでこうして生きていくのか。
トレイシー・チャップマンの「ファスト・カー」。この歌が持つテーマは重く、そして深い。当時はこんなストーリーとは知らずに聴いていたが、歌詞の意味を理解する前から、どんな歌なのかはわかっていた気がする。それほど彼女の歌声は悲しく、胸に迫るものがあったからだ。
恋人の速い車は、彼女が抱いた希望の象徴だ。その速さが、彼女に人生を変えられると思わせた。簡単ではないことくらい彼女もわかっていたはずだが、その気持ちにすがるしかなかったのだろう。そして、曲の最後で、彼女はそれを手放そうとする。すべては幻想だったのだろうか? 恋人も、彼の速い車も。
結局、彼女の希望が叶うことはなかった。それでも、僕はこの歌を聴くたび心が洗われ、勇気づけられる。厳しい現実を生きる彼女の姿に、その魂の気高さに、胸を打たれる。そして、これからもつづいていくであろう彼女の人生に幸せが訪れることを願うのだ。
この曲がリリースされた1988年、アムネスティー・インターナショナルが主催したコンサート『ヒューマン・ライツ・ナウ』で、僕はトレイシー・チャップマンの演奏を聴いた。彼女はまだデビューしたばかりの20代前半の女の子だったが、その歌声の凛とした佇まいを今でもはっきりと思い出すことができる。
彼女は歌った。ここを出ていくのか、死ぬまでこうして生きていくのか。今夜決めなくてはいけないと。人生は決断の連続だ。そのひとつひとつが未来へと繋がっていく。
気高くあれ。そして、幸あれ。
2018.01.31
YouTube / Tracy Chapman
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