1992年 5月21日

チェッカーズが最後までバンドであり続けた証!最高傑作アルバム「BLUE MOON STONE」

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ビートルズと同じように進化を遂げ、革新的な作品をリリースし続けたチェッカーズ


1983年9月21日に「ギザギザハートの子守り唄」でデビューしたザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)は、ラストシングルとなる「Present for You」を92年の11月20日にリリースする。

作品単位で活動期間を考えると約9年と半年。この期間から、どうしてもザ・ビートルズ(以下ビートルズ)を思い浮かべてしまう。1962年10月5日にシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」で英国デビューしたビートルズは1970年5月8日、事実上の最後のオリジナルアルバム『レット・イット・ビー』をリリースする。その期間は約7年と7ヶ月。それぞれの活動期間が長かったのか短かったのかは別にして、この期間でアルバムごとに進化を遂げ、革新的な作品をリリースし続けたという点では非常に類似している。

ビートルズも最初はアイドルだった


チェッカーズのリーダー武内享が、かつてチェッカーズの現状を示唆し「ビートルズも最初はアイドルだった」という趣旨の発言をしていたことが印象的だった。彼らの姿をテレビで見ない日はなかった頃の話だ。この発言を聞いた時から僕はチェッカーズとビートルズをどこかダブらせていた。

ビートルズがバディ・ホリーやリトル・リチャードといったロックンロール黎明期のアーティストの模倣から始まったようにチェッカーズもまたアマチュア時代にコースターズをはじめとするドゥーワップ・グループのカバーに明け暮れていたところなども酷似している。

ビートルズがこれまでのフォーマットを明確に昇華させた『ラバー・ソウル』がチェッカーズ、セルフ・プロデュース第1弾の『GO』に当たるのだろうか。そして、実験的要素の集大成であった『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、ハウスミュージックに傾倒し、それまでのバンドサウンドを大きく覆した『OOPS!』かもしれない。

7人でしか奏でられない音の集大成「BLUE MOON STONE」


しかし、ラストアルバムの『BLUE MOON STONE』となると、ビートルズが解散間近、4人それぞれの独自性が際立ったのとは少し違う。『BLUE MOON STONE』はチェッカーズ7人の強い結束と、7人でしか奏でられない音の集大成だと感じる。あえてゲストミュージシャンを入れず7人で作り上げた7人の世界――『BLUE MOON STONE』は紛れもないチェッカーズの最高傑作だ。

最高傑作と断言できる理由として、音楽性やテクニックを凌駕する精神性―― つまり、メンバーそれぞれの溢れる思いがリリックに、アレンジに、演奏に感じ取れること、そしてファンとの揺るぎない関係性が随所に表れているということが挙げられる。

例えば、オープニングの「Count up '00s」にしてみても藤井郁弥(現:藤井フミヤ)のボーカルスタイルは、譜面通りに正しく歌うというのではなく、バンドのグルーヴに任せながら自由にそしてエモーショナルに、ダイレクトなライブ感を感じさせてくれる。

「これがラストアルバムか?」という熱量、いやラストアルバムだからこその熱量を感じる。そこには最後まで全身全霊で駆け抜けてきた矜持すら感じる。

ここからのインストナンバー「FINAL LAP」へ。UKソウル、アシッドジャズを経由した滑らかなグルーヴ。徳永善也、大土井裕二の堅固かつ変幻自在のリズム隊を土台に、主体となる藤井尚之のサックスは、インプロビゼーションとも思えるほど独創的で、奥行きのある世界を醸し出している。そして、3曲目は先行シングルとしてリリースされ、アルバムタイトルにもなった「Blue Moon Stone」だ。「FINAL LAP」から続く滑らかなグルーヴはフックを効かせて、リリックが胸に落ちてゆく。このアルバムがリリースされた時、チェッカーズは解散を表明していなかった。しかし、のちに気づくことになる。一見ラブソングだと思われるリリックは、ファンに向けての飾ることのない真っ直ぐな気持ちだと言うことを。

 両手広げ すべてを受け止めよう
 いつもそばで 勇気づけてあげよう
 So 君に出会うため生まれてきたのさーー

 見上げれば白夜に浮かぶBlue Moon Stone

ファンとの揺るぎない関係性を綴ることが解散への序走となり、この最高傑作を作り上げたことになる。

チェッカーズが最後までバンドであり続けた証


アルバムは中盤、7人でしか奏でられないグルーヴが加速してゆく。武内作曲の「Sea of Love」、鶴久政治がリードを取る「マリー」では、バンドを始めたばかりで楽しくて仕方がないティーンエイジャーのような性急さも垣間見られる。

つまり、これも音楽性やテクニックを凌駕するチェッカーズの精神性だ。それは彼らがバンドを始めた時のモチベーションをラストアルバムまで持ち続けたということだろう。最先端のアレンジに、巧みなグルーヴ。それなのに性急さを感じてならないのはチェッカーズが最後まで “バンドであり続けた証” なのだと思う。

そして、藤井郁弥の艶っぽさを全面に打ち出した名バラード「ひとりきり2nd.Ave.」へ。アルバムは起伏を感じさせながら、その輪郭を形成していく。高杢禎彦がリードをとる極上のファンクナンバー「Yellow cab」、後期チェッカーズの音楽性を語る中で、不可欠となったレゲエテイストの「Don’t Cry Sexy」へと続く。つまりこのアルバムは、ドゥーワップ・グループとしてキャリアをスタートさせたチェッカーズが飽くなき探究心で開拓してきたブラックミュージックのエッセンスをオリジナルとして昇華させてきたキャリアの集大成でもあるのだ。

終わりの向こうにある未来を見据えて作った最高傑作


ラストナンバーは、「Rainbow Station」。ファンなら色々な想いが交差するだろう。この曲で藤井郁弥はあえて、“おいら” という一人称を使って歌う。ロックンロールの歌詞の常套句であるこの言葉をあえて使う真意はどこにあるのか―― それはおそらく、デビュー以来変わらず、ずっとファンの側にいたという飾らない本心からではないだろうか。そして、今までも、これからもチェッカーズは変わらずにファンの心に生き続けられるようにという願いからかもしれない。変わらないアティテュードで真摯に音楽と向き合い、革新的に音を開拓していったチェッカーズの音楽性やテクニックを超えた部分の精神性が、この “おいら” という一人称にも表れている。

 何処までも続くレールの上を
 おいらは何処まで走り続ける

 いつか愛するあなたに届くように

『BLUE MOON STONE』でチェッカーズは終止符を打った。しかし7人は終わりに向かい走り続けたのではない。終わりの向こうにある未来を見据えてこの最高傑作を作った。久留米で7人の不良少年で結成されたチェッカーズは、結成当時のマインドのままで9年間を走り抜け、『BLUE MOON STONE』にたどり着く。しかし、その先にもレールは続いていた。

藤井フミヤが、チェッカーズファン全ての気持ちをひとりで受け止めた「TRUE LOVE」をリリースするのは、93年の11月10日。92年の『第43回NHK紅白歌合戦』出場を最後に解散した11ヶ月後であった。



特集:THE CHECKERS 40th ANNIVERSARY

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2023.10.06
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カタリベ
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