よくよく考えてみれば、なにか心惹かれる音楽に出くわしたとき、歌に共感する前に、声に惚れているのでは? ぼくがそう気付いたのは1992年だった。
1992年の春先、Mr.Children(ミスチル)のデビュー作『EVERYTHING』(ミニアルバム)を、ぼくはデビューに先がけて関係者用に作れられる試聴用テープで聴いたのだが、すっかり大ハマリした。なぜあんなにハマったのか、最初、自分でもよくわかんなかった。
恋愛や友情を描いた、初々しく(ぼくからすれば)もはやリアリティのない収録曲を、それでも何度も聴きたくなり、彼らがデビューする頃にはどれも口ずさめるようになっていた。とくに、しばらく後にシングルカットされた「君がいた夏」は、サビ前でうたわれる “キリンぐらい首を長くしてずっと” というフレーズのセンスが気に入って、ひとりで車に乗っているときにはよく大声でうたったりもしたくらいだ。
そう。当時、桜井くん(失礼)22歳、ぼく33歳。まだ22歳の彼がその作品で歌っていた7曲はアマチュア時代のレパートリーだから、それこそどこか青春の甘酸っぱい香りが残る歌で、ぼくはもうそれにどんぴしゃ心酔するような年齢ではなかったが、まちがいなく心を奪われたのだ。
彼の歌声が気持ちよかったのだと思った。もちろん歌はうまいが、うまさじゃなくて気持ちよさ。ぼくにとっての。なんというか、肌が合った。この感覚はなんだろうと、そのとき、過去の似たような記憶を探して活発に脳が働いたことも記憶している。
1992年以降、ミスチルは新しい歌をどんどん世に送り出し、いつのまにかどんどん深く描かれるようになっていった歌詞の世界にもぼくは共鳴していくようになるのだが、ことの始まりはやはり『EVERYTHING』。でも。もしその頃、そこに並ぶ収録曲を誰か歌のうまい人がカラオケで歌ってくれても、そして画面に流れる歌詞テロップをしっかり目で追いかけたとしても、まるで興味を持つことはなかっただろう。桜井くんの歌声じゃなきゃきっとダメだった。
人は理詰めで何かを好きになるわけじゃない。ほんの一瞬の「感覚」がスパークして好きになる。好きになってはじめて、その対象の細部を紐解くように、もっと理解を深めようと夢中になっていく。歌であれ、人であれ、モノであれ。少なくともぼくはそのようだ。
59歳になった今も、ぼくがミスチルを好きでいるのは、『EVERYTHING』で桜井くんの歌声の気持ちよさにスパークしたからだし、その歌声で、あるとき以降、めまいがするほど奥行きを感じる言葉をつむぎはじめた彼に、そしてその世界観に、今も快く共鳴しているからだ。
※2016年10月10日に掲載された記事をアップデート
2019.03.08
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