1992年 5月25日

【佐橋佳幸の40曲】槇原敬之「もう恋なんてしない」イントロの魔術師が奏でるスライドギター

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佐橋佳幸の40曲 vol.5
もう恋なんてしない / 槇原敬之
作詞:槇原敬之
作曲:槇原敬之
編曲:槇原敬之



槇原敬之の大ヒット曲「もう恋なんてしない」のレコーディングに参加


1992年5月25日に発売された槇原敬之5枚目のシングル「もう恋なんてしない」。サードアルバム『君は僕の宝物』からの先行シングルとしてリリースされ、累計出荷枚数約150万枚、週間チャート2位、1992年度の年間チャートでも7位という大ヒットを記録した。言わずと知れた槇原の代表曲のひとつだ。佐橋佳幸はこの曲で初めて槇原のレコーディングに参加。その後、レコーディング、ライヴの両方で数多くの共演を重ねてゆく。

ふたりを引き合わせたのは、音楽プロデューサーの木﨑賢治だった。沢田研二や吉川晃司、山下久美子から槇原敬之、トライセラトップス… およそ半世紀にわたり数々のアーティストを手がけてきた名プロデューサー、日本ポップス史の名伯楽として知られる木﨑。バンド解散後にスタジオセッションの仕事を始めた佐橋にいち早く目を留めた制作者のひとりでもあった。佐橋が木﨑に呼ばれた最初の仕事は安藤秀樹のレコーディング。その後もさまざまなセッションで木﨑との信頼関係を築いてきた佐橋は、彼の指名により「もう恋なんかしない」のギターダビングに起用された。

「木﨑さんには安藤秀樹くんや吉川晃司くん… いろんな仕事で、とってもお世話になっていたんです。マッキー(槇原敬之)とは以前、仕事終わりに寄った三宿のカフェバーで木﨑さんとバッタリ会った時に紹介されたことがあったの。それで、木﨑さんが “あの時に会った佐橋くんだよ” って。それがスタジオでの初対面。この当時も今と同じく、マッキーは作詞・作曲から編曲まで全部自分でやっていて。最初にマッキーが打ち込みでベーシックな編曲をして。それをプログラマーと一緒に仕上げて。で、最後にギターとかのダビングをする… という作り方。もともと打ち込み少年として音楽を作り始めて、それが教授(坂本龍一)の耳にとまって… というのがデビューのきっかけだった人だからさ。

ただ、デビューしたばかりの頃はまだ編曲だけはプロのアレンジャーに任せていたの。そうすると、アレンジャーさんが選んだミュージシャンたちが次から次へとスタジオにやってくるでしょ。当時の彼にしてみたらものすごい年上のベテランミュージシャンばかり。そりゃもう気難しそうに見えるし、特に大御所の方々だと話しかけるのも怖いような人が多いし。だからスタジオミュージシャン=怖そう… というイメージがあったんだって。でも僕、こんな見た目じゃん? だからすぐに仲良くなって(笑)」



2曲連続の大ヒットに続くシングル、絶対に失敗は許されない


「もう恋なんてしない」は、大ブレイクのきっかけとなった「どんなときも。」、そして「冬がはじまるよ」という2曲連続の大ヒットに続くシングルだった。アーティスト自身にとっても制作陣にとっても、ここでつまづくわけにはいかない大事な局面。大きなプレッシャーがあったであろうことは想像に難くない。大ヒットが大前提。そんな状況の中で書き上げられた会心の1曲のレコーディングの最終段階に佐橋が呼ばれたのだ。野球でいえば、試合の行方を決める終盤に登板するワンポイント・リリーフ・ピッチャー。絶対に失敗は許されない。シビれる展開だ。

「最初、オケを聴いた時に “これはちょっとジョージ・ハリスンっぽいアプローチをやってみようかな” と思ったの。だから、ベーシックなリズムギターはリッケンバッカーの12弦で弾いた。マッキーも気に入ってくれて、“やったー! 佐橋さんのおかげでなんかすごいキラッキラになりました!” みたいなことを言ってくれたの。当初そこでもう “お疲れ様でしたー!” って雰囲気だったんだけど。でも、なんかね、マッキーがキーボードで弾いたイントロがすっごくよかったのよ。それで、いや、ちょっと待てよ、と(笑)」

ギターを弾いている時以外はずっとレコードを聴いている。寝る暇もないほど忙しい時でも、レコード屋にだけは足繁く通っている。そんな音楽マニアとしての耳でギターダビングを終えたトラックを聴き返した時、佐橋の中でひらめくものがあった。そこで、“これ、ちょっと余計なことかもしれないんだけどさ…” と、佐橋は槇原と木﨑に自分のアイディアを話してみた。

「“よかったら、イントロにジョージ・ハリスンっぽいスライド・ギター入れていい? ” って言ってみたの。“キーボードで弾いているフレーズがすごくいいから、これはもうひと押ししたらもっと良くなると思うんですよ” って。そしたら木﨑さんもマッキーも “おお、面白そう!” って言ってくれて。

それですぐエンジニアに、“じゃ、俺に4つチャンネルください” と言って(笑)。ツインのスライドギターをダブルでダビングしたんです。リッケンバッカーと共にジョージが愛用していたもうひとつのギター、グレッチを出してきて、それをたぶん変則チューニングして。で、イントロの後半から僕のスライドでメロディをなぞって、ちょっと合いの手も入れて…。要するにキーボードのイントロをスライドギターで補強させてもらったの。ふつうスライドギターでイントロ補強しないけどね(笑)。しかも、この時代はまだジェイ・グレイドンとかの全盛期。こんなこと思いつくオタクはいないだろ、とね(笑)」

セッションギタリストの中で誰よりも “過去” という引き出しを持っていた佐橋佳幸


けっして当時の流行最先端サウンドというわけではなかった。が、洋の東西を問わず、他にはない新しいアイディアのヒントは往々にして “過去” にある。佐橋は昔からよくそんなことを口にする。そして確かに、92年当時のセッションギタリストの中で誰よりも “過去” という引き出しを持っていたのは佐橋だった。売れっ子ギタリストとして業界内での評価が高まるのと同時に、そういったこれまでの “リスナー” としての蓄積が仕事でも生かされるようになってきたことを、この時期、佐橋自身も実感していた。

「たとえば「もう恋なんてしない」を最初に聴いた時、僕が何をイメージして “ジョージ・ハリスンっぽいアプローチを…” と思ったかというと、バッドフィンガーの「デイ・アフター・デイ」だった。この曲にはああいう感じもあるなと思って。あの時期、トラヴェリング・ウィルベリーズにハマっていたのも大きいかな。ウィルベリーズの最初のアルバムを聴いた時は本当に衝撃的だったし、ちょっと前に2枚目のアルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.3』も出たところだったし。あのバンドでのジョージのスライド、最高なんだよ。



あともうひとつ、ジョージがソロで出した「セット・オン・ユー」のイメージもあったかな。つまり、“リスナー” の僕としては、ジョージ・ハリスンを大いに再認識していた時期だったの。そんな時に “ギタリスト” の僕に来たのが「もう恋なんてしない」のセッション。両方がうまい具合にカチッとはまったんだよ。あの時代の王道J-POP的ではなかったかもしれないけど、洋楽的にはけっこう旬だったかなとは思う」

スライドギターを加えたイントロを聴いた槇原は、“今の佐橋さんの最後のダビングで、この曲、間違いなくヒットする気がしてきた” と言ってくれたという。いい仕事をした佐橋も大満足で “そうなったらいいねぇ” と答え、スタジオを後にした。結果は、言うまでもない。



槇原敬之が語る「もう恋なんてしない」レコーディングエピソード


つい先日も槇原敬之は自身のラジオ番組『槇原敬之・Sweet Inspiration』(FM COCOLO)で「もう恋なんてしない」をかけ、レコーディングでの佐橋との思い出や、最近久しぶりにライブで共演したことなどを語った。そして番組の放送翌日、スポーツ紙サイトにはこんな見出しの記事が掲載された。

《槇原敬之もヒットを予感 初共演曲がミリオン達成「彼がイントロを弾くと売れる」と言われたギタリストとは》

(2023年11月5日 スポニチ・アネックス電子版)



そんな見出しの下、《「彼がイントロを弾くと売れる、と言われていた」と当時の業界内での評判を紹介。》《槇原は「もう恋なんてしない」のレコーディングで、「イントロを(佐橋に)弾いてもらった時に、僕も “あ… なんかこれは売れるんじゃないかな” と思ったのをよく覚えています」と振り返った。》など、槇原が番組内で語った佐橋にまつわるエピソードがかいつまんで紹介されていた。

この曲がリリースされたのはちょうど小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」と藤井フミヤ「TRUE LOVE」の間だった。日本の音楽シーンがミリオンヒット黄金期へ向けて急加速を始めた時代、音楽業界の中に “イントロの魔術師” サハシに頼めば必ずヒットする…という伝説があったとしても不思議ではない。

「まぁ、小田さんのヒットがあまりにインパクト大きかったからね。確かにいろんな現場でけっこう頼られてはいたと思う。プロデューサーやアレンジャーに “あのさー、サハシくん、このイントロに何かないかなー” 、“何かちょこっと考えてくれないかなー ”って丸投げされて、おいおい、それ考えるのはそっちの仕事だろっ… みたいなこともけっこうあったしね(笑)。でも、この曲の場合は、マッキーと木﨑さんが僕を信頼して、僕のイメージどおり自由にやらせてくれたことが何よりも大きかった。“何かないかなー?” じゃなくてね。作詞・作曲だけでなく編曲まで自分で手がけるマッキーが、“いや、そうじゃないんだ。僕が最初に思ったとおりにやってほしい” とは言わずに任せてくれたことがすごいんだよ。自分たちが選んだミュージシャンを信じてくれるマッキーや木﨑さんの自由度がなければ、僕はあのイントロは弾けなかったわけだから」


次回【佐橋佳幸の40曲】につづく(12/9掲載予定)

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2023.12.02
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カタリベ
1964年生まれ
能地祐子
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