80~90年代の矢沢永吉を支えたアンドリュー・ゴールド
アンドリュー・ゴールドは1976年にアサイラム・レコードからデビューしている。
アサイラム・レコードというと、イーグルスやジャクソン・ブラウンを真っ先に思い浮かべる人がほとんどだろう。70年代のウエストコーストのロックシーンを支えた名門レーベルであり、アメリカンロックの歴史を語る上では欠かすことのできないレーベルだ。
そんなアサイラムのレーベル・カラーからは外れるのだけれど、70年代後半のアメリカンロックをとことんポップに表現していたアーティストがアンドリュー・ゴールドだ。
アンドリュー・ゴールドというと、ここ日本では矢沢永吉の80~90年代の作品におけるプロデューサーとしての知名度の方が高いかもしれないが、ウエストコーストでは70年代初頭からセッションミュージシャンとして活躍していた。1977年にリリースしたセカンドアルバム『自画像(What’s Wrong With This Picture?)』からのシングル「ロンリー・ボーイ」がビルボード最高7位の大ヒットでその名を広く知られるようになる。
続いて、1978年にリリースされたサードアルバムにして彼の代表作でもある『幸福を売る男(All This And Heaven Too)』について、本日は語ってみよう。
ウエストコースト随一のビートルズ・チルドレン
この時期のウエストコースト・サウンドは、アメリカのルーツロックを爽やかに鳴らすことで大きな支持を集めていた。アンドリューもデビューアルバムでは、爽やかで抜けの良い演奏にのせて、ゆったりとした楽曲を中心に歌っていたが、作品を重ねるごとに捻くれたポップミュージックのセンスが導入されていく。
1951年生れのアンドリューの年齢を考えると、多感な10代にビートルズの影響をもろに受けていることは容易に想像できる。1950年代前半に生まれ、ビートルズやローリング・ストーンズに憧れて、音楽を始めた最初の世代のロックミュージシャンと言えるだろう。
当然、作り出す音楽にもこうした影響は反映され、サードアルバム『幸福を売る男』では、ブリティッシュロック的な凝ったサウンドとウエストコーストらしい爽やかなサウンドが絶妙にブレンドされ、とても洗練されたポップミュージックを聴かせてくれる。
アメリカよりもイギリスで大ヒットしたアルバム「幸福を売る男」
本作『幸福を売る男』は、アンドリューのディスコグラフィーの中でも代表作の1枚と言われる作品だ。それでは本作のチャートアクションはどのような状況だったのだろうか?
アメリカでは、シングル「気の合う二人(Thank You For Being A Friend)」がビルボード・シングルチャート25位、アルバムは同アルバムチャート81位でお世辞にも大ヒットとは言えない結果だ。
しかしこのアルバム、意外なことにイギリスでは受けており、シングルの「彼女に首ったけ(Never Let Her Slip Away)」は5位、「愛しているのに(How Can This Be Love)」は19位。アルバムも31位と本国アメリカよりもイギリスでの人気が高いのだ。
前述のとおりブリティッシュロックの捻くれたポップ感覚がブレンドされた本作は、アメリカ人の感性よりもイギリス人の感性に合っていたのだろう。
また、80年代には、同じようなポップセンスの持ち主である元10ccのグレアム・グールドマンとWAXというグループを結成している。ここでもボーカリストとしての才能は勿論のこと、ソングライター、プロデューサー、マルチミュージシャンとしての能力の高さも発揮し、イギリスでは商業的にも大成功している。
アサイラム=アンドリュー・ゴールドでなくても超一級品のポップロック
アサイラム・レコードは、70年代に数多くの名アーティスト、名盤を輩出した。
イーグルス、ジャクソン・ブラウン、トム・ウェイツ、リンダ・ロンシュタット、ジョニ・ミッチェル、ネッド・ドヒニー、ウォーレン・ジヴォン… 枚挙にいとまがない。
「アサイラムと言えば?」と聞かれて、アンドリューの名前がすぐに出てくるかというと、なかなか難しいところなのだが、本作『幸福を売る男』を始め、この頃のアンドリューの作品はどれも超一級品のポップロックであり、名盤と断言できる充実ぶりだ。
こうした優れたポップ感覚を持ったアメリカのシンガーソングライターというと、ビリー・ジョエルやトッド・ラングレンが思い出されるのだが、それに続く名前がなかなか出てこない。
本来ならアンドリュー・ゴールドの名前が出てきても良いところなのだが、ビリーやトッドほどの突出した個性にはやや欠け、地味な印象と言わざるを得ない。
アンドリュー・ゴールドが放つエヴァーグリーンな魅力
しかし、そんな控え目な立ち位置も含めて、アンドリュー・ゴールドの魅力なのだ。アサイラムというレジェンダリー軍団の中にいながら、誰もが認める実力を持ったポップ職人の仕事はとても魅力的で私の耳を捉えて離さないのだ。
矢沢永吉のプロデューサーとしてだけではなく、ソロアーティストとしてのアンドリュー・ゴールドの魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいと切に願う。同時に70年代後半のアメリカンロックをポップに彩ったレジェンドとしてもっと高く評価されるべきアーティストだと声を大に断言したい。
残念なことにアンドリューは肝臓癌を患い、2011年6月3日に59歳という若さで帰らぬ人となっている。存命であれば、いぶし銀のポップロックを聴かせてくれたり、プロデューサーとしての手腕を発揮してくれただろうと考えると残念でならないが、70年代後半に彼が残した抜群にポップな作品はエヴァーグリーンな魅力を今日でも放っており、決して色褪せることはない。
追記
私、岡田浩史は、クラブイベント「fun friday!!」(吉祥寺 伊千兵衛ダイニング)でDJとしても活動しています。インフォメーションは私のプロフィールページで紹介しますので、併せてご覧いただき、ぜひご参加ください。
2021.06.03