デビュー50周年記念の国立競技場ライブ。動員数は延べ12万人!
1972年キャロルデビュー。2022年の今年、矢沢永吉のミュージシャンとしてのキャリアは50周年を迎えた。
このアニバーサリーに3都市4公演の『EIKICHI YAZAWA 50th ANNIVERSARY TOUR「MY WAY」』を敢行。国立競技場2DAYS、延べ12万人のファンを動員し、9月18日福岡県のPay Payドーム、9月25日大阪京セラドームでの公演を控えている。
名実ともに日本のトップシンガーと言える矢沢永吉の50年を一言で言ってしまえば、“自分自身との戦い” であったことに他ならない。
75年、ソロデビュー。ライブに軸足を置き全国を周るも、キャロル時代のように、チケットが当たり前のようにソールドアウトしていたわけではなかった。時には、1,000人を超えるキャパを持つホールで、チケットの売り上げがその1/5だったこともあったという。その時、矢沢はステージ上でこう言い放った。
「俺は今悔しい。だけど今来ている人は幸せだよ。何故なら、こんなに素晴らしい矢沢が見れるからさ」
有言実行。この日眼前にいたファン200人のために、そして自分のために、更なる高みを目指しツアーを重ねていく。矢沢の名言である、
「最初はサンザンな目にあう。二度目、落とし前をつける。三度目、余裕。こういうふうにビッグになっていくしかない。それには、サンザンな目にあった時、落ち込んじゃだめだ」
―― を体現していた。
「時間よ止まれ」の大ヒット、アメリカ進出、毎年欠くことのない全国ツアーではスタジアム級の会場を沸かせる。9月14日で73歳を迎える矢沢だが、きっとソロデビュー直後のモチベーションで今も限界など見据えていないだろう。もちろんそのためには、周到適切な準備を重ね、今に至っているのだと思う。矢沢にとって年齢は記号でしかない。
50周年を記念する今回のツアーはこの大きな節目であると言い切ってもいいだろう。
矢沢永吉に近づきたい!自分自身の道標になった偉大な男に会いにいく
「コンサートは、音を聴くだけのとこじゃない。何か気持ちをもって歌っている男に、会いに行くものなんだ」
―― と矢沢は言う。
2022年8月27日、国立競技場初日、会場の周りには早い時間から、人生をかけて恋焦がれた矢沢永吉と会うためにここを訪れた多くのファンは、白いスーツにハット、肩に “E.YAZAWA” のタオルをかけている者も多い。彼らはこれから始まる夢のような時間に向けての期待感で溢れている。この光景は、知らない人からすると、一見 “コスプレか?” と思うだろうが、決してそうではない。矢沢永吉になりたいのではない。矢沢永吉に近づきたいのだ。
それはファンが発するオーラ、熱量からも一目瞭然だった。「こんな時、矢沢ならどうするだろう?」と自分自身に問いかけ、決して平坦ではなかった人生を矢沢と共に歩み、自分の道を切り拓いていった彼らは、自信に満ち溢れていた。
そう。自分自身の道標になった偉大な男に会いにいく。彼らの白いスーツはその神聖な儀式のための正装のように思えた。
いざ開幕!“反逆” というモチベーションを昇華させた矢沢永吉の世界観
国立競技場の観客席、アリーナ共に埋め尽くしたファンの数はおよそ6万人。その全ての人が、開演時間を待ち侘びる。18時の定刻を少し過ぎ、矢沢がステージに現れる。
第一声は「Rock’n Roll!!」だった。オープニングはミディアムテンポのナンバー「苦い雨」だった。徐々に徐々に熱量を上げていく矢沢スタイル。観客の熱狂もヒートアップしていく。
一瞬の隙もない完璧なステージ。バッキングサウンドは80年代に派生したアメリカンロックをフォーマットにしている。
極めてベーシックであり、普遍的だ。そこに矢沢独特のメロディライン、今が最高だと言っていいヴォーカル、その生き様を浮き彫りにするようなリリックが絡み合い、唯一無二の世界観が出来上がる。
矢沢本来の “反逆” というモチベーションを昇華させた世界観がそこにあった。つまり、最大公約数のバンドサウンドの中に矢沢永吉という人間性の輪郭をクッキリと浮かび上がらせ凝縮させる。そして極上のエンターテインメントとして観客に届ける。これが矢沢のステージだった。
スタジアムを熱狂させるというのは、こういうことなんだ!… とハッキリ分かった。
プロフェッショナルの極み。矢沢永吉の流儀とは?
そしてここには、ディズニーランドや一流劇団のミュージカルにも通じる “プロフェッショナルの極み” も感じられる。ディテールにこだわりながらも、ここに訪れた観客全てに「最高!」と言わせる凄みと言ってもいいだろう。この場所に居合わせた全ての人、ひとり残さず期待以上のものを持ち帰らせる。これが矢沢の矜持だろう。
途中、「バーボン人生」「チャイナタウン」「YES MY LOVE」といった、シティポップの原型とも言える繊細な初期のナンバーで魅了し、「黒く塗りつぶせ」、キャロル時代の「ファンキー・モンキー・ベイビー」で矢沢スピリッツの原点を見せる。本編ラスト近くには、矢沢メロディの最高峰とも言っても過言ではない「逃亡者」の美しい旋律がスタジアムを包む。
噂の街角 Run Away Free
誰も明日をNobody Knows
Flash Back二人はあの街には
足跡さえ残せはしない
Border Line越えたらそこから先
二人を遮る 昨日はないから
デビューから50年経った今も先しか見据えていない矢沢らしい曲だ。ゆったりとしたグルーヴ、琴線に触れるメロディ、国立競技場のアリーナを時折吹き抜ける秋の風―― 最高の時間だった。
ゲスト出演したMISIAとのコラボレート、オープンカーでアリーナを一周、最高潮の盛り上がりを見せるライブ定番曲「止まらないHa〜Ha」でのタオル投げ…。これ以上にないエンタテインメントに6万人は熱狂する。
矢沢のスピリッツは「成りあがり」の頃から寸分もブレがない。このスピリットを今も内包させ、これをモチベーションに音楽を熟成させ、年齢を越えたパフォーマンスを見せ、ファンを心酔させる―― このスタンスは、これから先もずっと続いていくだろう。それが矢沢永吉の流儀だからだ。
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2022.09.14