2025年にソロデビュー50周年を迎えた矢沢永吉。11月には東京ドーム公演『EIKICHI YAZAWA LIVE in TOKYO DOME「Do It!YAZAWA 2025」』を控え、今も変わらず日本の音楽シーンをリードしているパワーは素晴らしいものがある。
キャロルの音楽は独創的なものだったか? 矢沢永吉がキャロルでデビューしたのは1972年。リーゼントにスリムな革ジャンというスタイルで、1950〜60年代のロカビリーや初期ビートルズに通じる楽曲をワイルドに演奏し歌う姿は魅力十分だった。キャロルがユニークだったのは、この時代のロックバンドにしては珍しく、テレビを効果的に使ったことだ。当時、フォークやロックなど新しい音楽の流れをリードしていたアーティストは、制約が多く、思うようなパフォーマンスができないテレビ出演を嫌う傾向があった。
しかし、キャロルは『リブ・ヤング!』(フジテレビ系)、『ぎんざNOW!』(TBS系)といった、中高生に人気の生番組に積極的に出演してアピールしていった。キャロルのビジュアルはインパクト十分だったし、その演奏も視聴者には新鮮に映った。そして、彼らのレパートリーのほとんどが2〜3分というコンパクトなサイズだったことも、テレビとの相性を良くしていたポイントだった。
と言いつつも、キャロルの音楽があの時代において完全に独創的なものだったかというと、必ずしもそうではなかった。フォーク全盛の時代だった1970年代前半、脚光を浴びることは少なかったにせよ、ハードロック、プログレッシブロック、グラムロック、ブルースロックなど、さまざまなスタイルのロックバンドが名乗りを上げていた時代でもあったからだ。
アメリカで起こったロックンロール・リバイバル そうした日本のロックムーブメントのお手本となっていたのは、やはりアメリカの音楽シーンだったわけだが、当時のアメリカではロックンロール・リバイバルともいうべき動きが生まれていた。その象徴ともなったのが1969年に結成されたロックンロールバンド “シャ・ナ・ナ” である。メンバーはニューヨークのコロンビア大学の学生で、1950年代のオールディーズ・ナンバーをレパートリーに、ダンスパーティのようなショーアップされたステージを展開していた。
彼らをコミックグループと見る人もいたが、シャ・ナ・ナは1969年のウッドストック・フェスティバルにも出演するなど、この時代の音楽シーンの一翼を担う存在として認知されていく。さらに、1971年にはミュージカル『グリース』が、1973年には映画『アメリカン・グラフィティ』がヒットするなど、が大きな脚光を浴びることになる。
この背景には、ベトナム戦争の真っただ中で、いつ徴兵され戦地に送られるかわからないアメリカの若者にとって、青春の輝きの象徴としてオールディーズを見直すという心情があったのかもしれない。リアルなメッセージや感情を刺激するさまざまなスタイルのロックと共に、オールディーズもこの時代の若者の心情を託す音楽として確かに存在していた。
賛否両論のソロデビューアルバム「I LOVE YOU, OK」 アメリカでのオールディーズ再評価の動きは日本にも影響を与えていった。少なくとも、オールディーズは単に古くさいだけでなく、現在のロックのルーツとしてリスペクトすべき音楽だという認識をもっていたアーティストも少なからずいた。はっぴいえんどのような革新的バンドでも、エルヴィス・プレスリーやエヴァリー・ブラザーズの見事なカバーをライブで披露することも珍しくなかった。だから、キャロルが登場した時に違和感を覚えることなく受け入れることができた音楽ファンは、けっして少なくなかったはずだ。
当時、さまざまなロックグループが自分たちなりのやり方で “同時代のリアル” を表現しようとしていた。その中でキャロルは、オールディーズのロックンロールというスタイルを選び、そのリアルを表現しようとした。もちろん、彼らに理屈抜きのカッコよさがあったことは言うまでもない。
少なくともキャロルは、ナツメロとしてオールディーズを演奏するバンドではなく、あの時代の日本の若者のリアルを真剣に追求するコンテンポラリーなバンドだった。その “同時代のリアル” をうまく伝えることができていたからこそ、彼らは熱狂的なファンを集めることができたし、社会派ジャーナリズムやメディアに注目されることになったともいえる。だからこそ、1975年にキャロルが解散して、矢沢永吉が最初のソロアルバム『I LOVE YOU, OK』を発表した時に賛否両論が沸き起こったことも理解できる。
矢沢永吉は軟弱になったのか? 自分たちが日常に抱えていた鬱屈した想いをキャロルに託していたファンが、『I LOVE YOU, OK』の矢沢永吉を “軟弱になった” と感じたとしても無理はない。確かに、キャロル時代の荒削りな演奏ではなく、洗練されたアンサンブルに乗せて歌い上げるそのボーカルからは、それまでとは違う表情を感じることができる。
キャロルの解散からソロデビューに際し、矢沢永吉はきわめて綿密なプランを立てたという。“キャロルと同じことをしても意味はない。ソロアーティストとしての自分をいかに打ち出すか” というテーマに沿って、レコード会社を移籍し、レコーディングをアメリカで行ったことも、新たな方向性を打ち出そうとする意欲が感じられる。
ただ、18歳の時に書いたという、ソロデビューシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」をはじめ、全曲が自身の作曲ということはキャロル時代とほとんど変わらない。つまり、“矢沢永吉のアーティストとしての本質は何も変わっていない” のだ。変わった点は、キャロルでは多くの歌詞をジョニー大倉が手掛けていたのに対し、まったく新しい3人の作詞家を起用したことくらいだ。
VIDEO
興味深い作詞家とのコラボレーション しかしながらこの変化は、ソロアーティストとしての矢沢永吉のカラーを確立するために、大きな役割を果たすことになる。矢沢永吉とジョニー大倉の共作ベクトルが、キャロルという世界をつくりあげるためにあったとすれば、矢沢永吉という世界をつくりあげるためには、それぞれの作詞家がそれぞれのスタンスで矢沢永吉のイマジネーションにフォーカスすることになる。そういった意味においても、相沢行夫、松本隆、そして西岡恭蔵といった作詞家の人選はとても興味深い。
後にNOBODYを結成し、多くのアーティストに楽曲を提供していくことになる相沢行夫は、このアルバムが作詞家としてのデビュー。矢沢永吉のバックバンドのメンバーでもあり、「セクシー・キャット」「雨のハイウェイ」「アイ・ラヴ・ユー、OK」など、7曲を提供している。
そして、はっぴいえんどの解散以降、チューリップ「夏色のおもいで」や、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」などで新進気鋭の作詞家として注目されはじめたタイミングだった松本隆は、「安物の時計」「サブウェイ特急」の2曲を提供。
そして、もっとも興味をそそられたのは、「ライフ・イズ・ヴェイン」「奴はデビル」など、3曲の歌詞を提供している西岡恭蔵だ。情感豊かな楽曲で知られるシンガーソングライターの西岡が矢沢永吉の作品に歌詞を提供している。この事実だけで、ソロアーティストとして矢沢永吉が目指しているものが、単なる “キャロル第2章” ではないことが伝わってきた。事実、矢沢永吉と西岡恭蔵とのコラボレーションはこのアルバムだけにとどまらず、トータルで30曲もの印象的な楽曲を残している。
矢沢永吉というアーティストの豊かなロマンティシズム 矢沢永吉のソロデビューアルバム『I LOVE YOU, OK』は、確かにキャロル時代とは違う手触りだ。しかし、オールディーズ・テイストのロックンロールの中に “同時代のリアル” を表現するというコンセプトは何も変わっていない。
むしろ、キャロルという枠を外したことにより、矢沢永吉というアーティストが持つ、豊かなロマンティシズム、そしてその声から滲み出てくる色気が、よりピュアで濃厚なものとして伝わってきたのだ。
2025年、いま改めて『I LOVE YOU, OK』を聴くと、未熟だと思える部分もある。けれど、50年前のこのアルバムから現在の活動まで、矢沢永吉の世界は一貫している。そういった意味においても、この『I LOVE YOU, OK』というアルバムは、ソロアーティスト矢沢永吉、一世一代のプレゼンテーションだったのだ。
Updated article:2025/09/21 Previous article:2022/08/27
▶ 矢沢永吉のコラム一覧はこちら!
2025.09.21