3月12日

オルタナバンド「R.E.M.」グランジ全盛期にラウドなギターを封印!

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R.E.M.のアルバム「アウト・オブ・タイム」がリリースされた日
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photo:UNIVERSAL MUSIC  

米国ロック・ジャーナリズムの期待が大きかったR.E.M.


今から30年前の1991年、ロックは新しい時代を迎えた。その象徴としてグランジやオルタナティブロックがオーバーグラウンドに顕在化し、ついにはニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がチャートの1位を獲得した。

このオルタナティブロック革命から30周年を迎える2021年、今こそ1991年のロック名盤を振り返り、いくつかの作品を本サイトでリマインドしていきたい。その第2弾として、R.E.M.の『アウト・オブ・タイム』を取り上げよう!

R.E.M.は、1983年にアルバム『マーマー』でデビューする。その年の米『ローリング・ストーン』誌のクリティック・ポール(評論家投票)では堂々1位を獲得している。

1983年の洋楽シーンでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』、ポリスの『シンクロニシティー』、デフ・レパードの『炎のターゲット(Pyromania)』が大ヒットしている。こうした歴史的名盤メガヒットを抑えてクリティック・ポールで1位に選出されたことからも、R.E.M.に対する米ロックジャーナリズムの期待がいかに大きなものだったのかが伺える。

R.E.M.のターニングポイントになったアルバム「アウト・オブ・タイム」


デビュー後、R.E.M.は着実にアルバムを発表し、地道なライブ活動を続け、全米中にファンベースを築いていった。こうした活動は全米各地の大学生が運営するカレッジラジオ局からの熱い支持を集め、1987年のアルバム『ドキュメント』でついにナショナルチャートでもブレイクを果たす。

そして、1991年にキャリア初の全米アルバムチャート1位となる『アウト・オブ・タイム』がリリースされる。

『アウト・オブ・タイム』は、それまでの作品と大きく異なる点があり、バンドにとって大きなターニングポイントとなった作品だ。そんな変換点にR.E.M.はどのように辿り着いたのか振り返ってみよう。

R.E.M.は、1986年の4thアルバム『ライフス・リッチ・ページェント』から攻撃的でドライブ感溢れるラウドな音作りを強めていく。歌詞もメッセージ性の強いものが目立ちはじめ、ボーカルのマイケル・スタイプは時代のスポークスマンと目されるようになっていく。同時にセールスも徐々に伸び、ツアーの規模も大きくなり、バンドはいつしかレコーディングとツアーの繰り返しというロックンロール・ライフを余儀なくされていく。

スタジオワークに集中することで生み出された深化


こうしたライフスタイルに疲れを感じ始めた時期に作られた作品が『アウト・オブ・タイム』で、アコースティックギターやマンドリン、ストリングスが大幅に導入され、ミドル~スローな楽曲が目立つようになってきた。

また、レコーディングを行っている段階で本作発表に伴うツアーを行わないことが決定されており、ライブて演奏するという前提を考えず、よりスタジオワークに集中することで、深淵で落ち着いた作風を獲得している。

シングルとしても大ヒットした「ルージング・マイ・レリジョン」はスタジオワークに拘った成果が顕著に現れた楽曲になっている。印象的なマンドリンの音に導かれ、物悲しいメロディで歌われる曲なのだが、バンドの演奏の背後からはストリングスの揺れる音が聴こえ、楽曲に躍動感を与えることに成功している。

貫いた創作意欲、世界に示したロックバンドの理想的なあり方


ただギターを掻き鳴らすだけではない演奏や内省的な音作りは1992年にリリースされた次作『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』でさらに色濃く打ち出された。この作品ではギターバンド然とした楽曲はほぼ姿を消し、アルバムの大半をスローナンバーが占めている。

このようにR.E.M.は、グランジ全盛の1991~92年にあえて内省的な作品を作っている。時代の潮流を考えれば、ギターがノイジーに鳴り響くサウンドを作るべきタイミングだったが、安直に時流に迎合することなく、自分たちの創作意欲に真正面から向き合った作品づくりを貫いたのだ。

決して分かりやすい作品とは言えない『アウト・オブ・タイム』と『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』によって、R.E.M.はアーティスティックな評価と好調なセールスの両立を実現することに成功した。魂を売らずにレコードを売るバンド運営は、若いオルタナ系のアーティストからも多大なリスペクトを集め、ロックバンドの理想的なあり方を世界中に示したのだ。

オルタナティブという価値観を定着させたR.E.M.の功績


そして、多様な音楽がひしめき合う今日のミュージックシーンにおいて、オルタナティブという価値観は当たり前のように定着している。こうしたシーンの形成に与えたR.E.M.の功績は計り知れないほどな大きなものだ。

我々、聴き手にとってもオルタナティブを選ぶことは、それまでのある種のエリート主義やマイナー至上主義のインディーロック・リスナーとは異なる聴き手を開拓し、「メジャーじゃないものも全然ありっしょ?」というカジュアルな気持ちで、インディー系の作品に手を伸ばす感覚を養ってくれた。

そして、現在ではサブスクリプションの恩恵で、世界中のオルタナティブミュージックを気軽に楽しむことができるようになった。

R.E.M.が築いたオルタナ革命の意義とは?


しかし、サブスクをはじめ、インターネットの充実は一体何を聴けばよいのか分からないという情報過多な弊害を招いているようにも感じる。

リスニング環境が便利になっても、聴き手としてのアンテナを高く張って、自らの感性に合ったバンドやアーティストを探していくことが必要であり、こうした積極的な行動を聴き手に促したことは、オルタナティブロックがもたらした大きな成果と言えるだろう。そう、もう待っているだけでは、新しい音楽やユニークな表現に出会うことは難しい時代になっているのだ!

R.E.M.が築いたオルタナ革命は、音楽シーンやミュージシャン、アーティストだけではなく、我々聴き手の音楽への関わり方にまで大きな影響を与えたのだ。能動的かつカジュアルにインディー系アーティストを選択するリスナーを育んだことは大きな意義を持ち、とても重要なムーブメントだったと言えるのだ。


追記
私、岡田浩史は、クラブイベント「fun friday!!」(吉祥寺 伊千兵衛ダイニング)でDJとしても活動しています。インフォメーションは私のプロフィールページで紹介しますので、併せてご覧いただき、ぜひご参加ください。


2021.04.09
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カタリベ
1972年生まれ
岡田ヒロシ
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