4月10日

松本隆の時代、黄金の6年間の幕開けは原田真二「タイム・トラベル」

87
0
 
 この日何の日? 
原田真二のシングル「タイム・トラベル / ジョイ」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます

 
 1978年のコラム 
歴史の if を考える — 渡辺プロの潮目に大きな影響を及ぼしたものは?

伝説のファイナルカーニバル、キャンディーズ解散と私の社会人デビュー!

キャンディーズは解散することで新しい時代をスタートさせたんじゃないか

ケイト・ブッシュの足跡をたどる旅「嵐が丘」の舞台で踊ってみた!

京浜急行と渡辺真知子、横須賀港に「かもめが翔んだ日」

ここ一番の勝負どこ、ビリー・ジョエルの初来日は中野サンプラザの昼公演!

もっとみる≫




“2位3位連合の法則” 三国志、幕末、携帯キャリア…


“2位3位連合の法則” がある。

分かりやすく言えば、あの『三国志』の “赤壁の戦い” がそうだ。強大な曹操軍に対抗して、孫権軍と劉備軍が手を組み、長江流域の赤壁で曹操軍を打ち破ったあの一戦。要は、三国志の絶対王者・曹操(後に魏を建国)に対して、国力が2位の孫権(後に呉を建国)と3位の劉備(後に蜀を建国)は各々単独戦では敵わないけど、連合軍だと勝てたという話。

日本で言えば、幕末の薩長同盟もそうだ。強大な徳川幕府に対して、二大雄藩の薩摩と長州(国力では幕府に次いで2位と3位)が坂本龍馬の仲介で手を結び、討幕を成し遂げたアレ――。どちらか片方の藩だけでは到底、幕府には対峙できないけど、組むと俄然存在感を増したのだ。

ちなみに、ソフトバンクの孫正義会長は龍馬ファンを自認してるけど、彼がボーダフォンを買収して携帯キャリア市場に参入したのも、圧倒的優位のNTTドコモの牙城を崩すには、KDDIとソフトバンクの2位3位連合が存在感を示すしかないと考えたからだ。実際、現在のシェアはドコモが約4割、KDDIが約3割、ソフトバンクが約2割と、2位と3位を足せば、1位を上回る。ゆえに、市場に緊張感と競争が生まれているという。

作詞家・松本隆、その原点は はっぴいえんど


え? いきなり何の話をしてるのかって?

そうそう、今日、7月16日は、作詞家の松本隆サンの誕生日である。御年71歳。松本サンと言えば、「はっぴいえんど」が原点。同バンドのメンバーと言えば、4人とも学年がバラバラで、上からリーダー格の “長男” 細野晴臣サン、1つ年下の “次男” 大瀧詠一サン、更に1つ年下の “三男” 松本隆サン、更に2歳下の “末っ子” 鈴木茂サン―― という構成になる。

何が言いたいかというと、同バンドの解散から時を経て、細野サンがYMOでブレイクした後―― 次男と三男はコンビワーク『A LONG VACATION』を世に放ち、長男に匹敵する存在感を示したのだ。いわば、はっぴいえんど版2位3位連合――。

奇しくも、今は亡き大瀧詠一サンの誕生日が7月28日である。そこで、今月の僕のコラムは、今回は松本隆サン、次回は大瀧サンと、ある意味、1つの物語の前・後編のように語りたいと思う。

“風街” うまれ、慶應ボーイ、団塊の世代…


松本隆サン―― 生まれは1949年、東京は港区青山である。バリバリの都会っ子だ。お父様が大蔵省の官吏で、中学から大学まで慶應ボーイ。松本サンの代名詞とも言える “風街” とは、自身が10代の頃に過ごした60年代の青山・渋谷・麻布を結ぶトライアングルゾーンが原風景だという。

世代的には、いわゆる団塊の世代だ。大学時代が学園紛争と重なることから、全共闘世代とも言われる。でも、松本サンにその匂いはない。はっぴいえんどの他のメンバーは細野サンが立教、大瀧サンが早稲田、鈴木サンが青学―― 大瀧サンを除く3人は皆、東京のいいところのお坊ちゃんである。いわゆる裕福な私立文系のカテゴリー。彼らがバンドの前身となる「ヴァレンタイン・ブルー」を結成するのは、1969年9月。ちなみに、同じ月にビートルズが『アビイ・ロード』を出している。そういう時代だ。

はっぴいえんどの楽曲の大半を作詞したのは松本サンである。キッカケは、いつも本を片手に持ち歩いていたことから、細野サンが勝手に文学青年と勘違いして「松本、詞を書け」と命じたからだそう。ただ、当時の松本さんの詞がかなり難解で、文学的だったのは事実。それで、かの「日本語ロック論争」を引き起こしたのは、有名な話だ。とはいえ、それはインテリ層から一定の評価を受けるも、残念ながら、セールス面では結果を残せなかった。

ビートルズになれなかった はっぴいえんど


はっぴいえんどの解散は、1972年12月31日である。解散後にラストアルバム『HAPPY END』をリリース(73年2月25日)したあたり、ビートルズを彷彿とさせる。松本サン曰く、解散前後から半年ぐらいは4人の仲は最悪だったそう。それもまた、ビートルズとよく似ている。実際、メンバーは「僕以上にビートルズを知ってる人間なんていない」と自称する大瀧サンを筆頭に、ビートルズへの思い入れは深かった。

ちなみに、松本サンは、こんな言葉を残してる。「僕らは、ビートルズになれなかったという敗北感がある。はっぴいえんど時代は、売れることは考えないで自分達の信じる音楽の質を追求すれば良かったけど、ビートルズと比較した時に圧倒的に違ったのが、「量」(売上枚数)だった」

そして―― この反省が、解散後の作詞家・松本隆の方向性を決定付ける。

元祖シティポップ、南佳孝「摩天楼のヒロイン」プロデュース


とはいえ、はっぴいえんど解散直後、松本サンが最初に手掛けた仕事は、他のミュージシャンのアルバムのプロデュースだった。中でも最も心血を注いだのが、同世代の南佳孝サンのデビューアルバム『摩天楼のヒロイン』である。リリースは、73年9月。今や元祖シティポップと評される名盤だが、当時は異端に映った。無理もない。何せ、同じ月に発売され、大衆の胸を打った楽曲が、南は南でも、南こうせつサンの「神田川」だったのだ。

同アルバムは、全11曲中10曲が松本サンの作詞だった。南サンのモチーフである “ダンディズム” が、まるで映画の名シーンのように投影され、後にヒットする「モンロー・ウォーク」(ちなみに、作詞は来生えつこサン!)よりも、このデビューアルバムを最高傑作と位置付けるファンも多い。だが、肝心の南サンからこう告げられ、松本サンは肩を落とす。――「これは8割くらい、松本のアルバムだ」

そう、同アルバムは生粋の東京っ子である松本サン自身を投影した作品でもあった。松本サンは、早々にプロデュース業から身を引き、プロの作詞家として歩み出すことを決意する。それは、歌い手の気持ちを代弁する職業作詞家への転身を意味していた。

下積み時代の名曲、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」


そこから、松本サンは4年ほど、いわゆる下積みの時代を過ごす。ジャンルは多岐に渡った。フォーク、ニューミュージック、歌謡曲、演歌、アイドル―― まだ実績のない若手だけに、仕事の依頼は “競作” が多かったそう。それは、複数の作詞家に同一曲で作詞を発注し、その中からアルバム曲やシングル曲を選ぶというもの。そこで選ばれたのが、アグネス・チャンの6枚目のシングル「ポケットいっぱいの秘密」だった。リリースは74年6月。作曲は、翌年、キャンディーズに「年下の男の子」を提供する穂口雄右サンである。

「みんな売れたものや、売れてるものだけを研究して作る。そうすると、半年遅れるんだよ」

松本サンが頭角を表すのに、さほど時間はいらなかった。今、何が売れているかではなく、純粋に自分がその歌手に歌ってほしいものを書く―― それが松本サンの哲学だった。結果的に、歌い手のイメージと合致し、世間の支持も得られた。その転機となった作品が、太田裕美サンの4枚目のシングル「木綿のハンカチーフ」である。

初の大ヒット!太田裕美「木綿のハンカチーフ」


 恋人よ 僕は旅立つ
 東へと 向う列車で
 はなやいだ街で 君への贈りもの
 探す 探すつもりだ

 いいえ あなた 私は
 欲しいものはないのよ
 ただ都会の絵の具に
 染まらないで帰って
 染まらないで帰って

リリースは、1975年12月。作曲は、歌謡曲の神様・筒美京平サンだ。有名な話だが、同曲は “詞先” で書かれ、4番まである歌詞に、当初、筒美先生は短くしてもらおうと松本サンに連絡をとろうとしたが、捕まらず、仕方なくピアノに向かったところ、あっという間に曲が降りてきたという。同曲は発売されるや瞬く間に火が点き、オリコン最高2位。作詞家・松本隆の初めての大ヒットとなった。

だが、松本サンが真の意味で時代と並走するには、もう少し時間が必要だった。彼が待ち望んだのは、音楽に限らず、あらゆるエンタメのジャンルが既成の殻を破り、クロスオーバーを始める時代の到来だった。「今、世間ではつまらないものも売れている。でも、時代の空気が変わったら、つまらないものは本当につまらないものになる」――。

黄金の6年間の幕開け、原田真二「タイム・トラベル」


変化の予兆は、1977年の秋に訪れる。当時、ミュージシャン自らがレコード会社を経営することで業界を震撼させたフォーライフ・レコードが、1人の男性ミュージシャンをデビューさせたのだ。原田真二サンだ。プロデューサーは同社の社長も務める吉田拓郎サン。その新人はアイドル並みのルックスながら、自ら作曲も手掛けるという。その作詞を依頼されたのが松本隆サンだった。

ミュージシャン? アイドル? 異例なのは、キャラクターだけではなかった。なんとデビュー曲から毎月3曲連続リリースするという。10月「てぃーんず ぶるーす」、11月「キャンディ」、12月「シャドー・ボクサー」――。

そのルックスも相まって、原田真二はたちまちアイドル的人気を博した。そして、満を持して翌年、真打とも言える4枚目のシングルがリリースされる。これまでの3枚と同様、作詞・松本隆、作曲・原田真二――「タイム・トラベル」である。

 街の外れの古い館が君の家
 日の暮れる頃 呼び鈴押した
 暗い廊下で 君は無言の手招きさ
 蕃紅花色の ドアを開けたよ

ポップなメロディに反して、どこか、はっぴいえんど時代を思わせる、文学的な詞が異彩を放った。本人曰く、一周回って原点に立ち返ったそう。同曲は、オリコン最高4位を記録するスマッシュヒット。後に松本隆サンの十八番となる “色” の歌詞も見られる。間違いなく、それは新しい作詞家のスタイルを予感させた。

作詞家・松本隆の名が、今まさに時代とシンクロしようとしていた。時に1978年4月―― 黄金の6年間の幕開けである。

さて、この続きは、次回の大瀧詠一サンの回(大滝詠一と松本隆の黄金の6年間「A LONG VACATION」が開けた新しい扉)で、語らせてもらおう。


※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。

■ 中森明菜「トワイライト」人々の記憶から薄れていった来生姉弟のスローバラード
■ さとう宗幸と黄金の6年間、運命のミリオンセラー「青葉城恋唄」ヒットの軌跡
■ 究極のアップデート “1983年の松田聖子” を超えるアイドルは存在しない!
etc…


2020.07.16
87
  Apple Music
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
76
1
9
8
1
大滝詠一と松本隆の黄金の6年間「A LONG VACATION」が開けた新しい扉
カタリベ / 指南役
34
1
9
8
4
圧倒的な “声” の魅力、太田裕美は「木綿のハンカチーフ」だけじゃない!
カタリベ / 前田 祥丈
40
1
9
8
3
J-POP 創生の立役者、細野晴臣の存在感(後篇)
カタリベ / goo_chan
32
1
9
8
1
韓国からみたシティポップ:大滝詠一「A LONG VACATION」 に寄生する悪魔
カタリベ / 瞬間少女
83
1
9
8
1
大滝詠一と松本隆の最高傑作「君は天然色」がセピア色に染まることはない
カタリベ / 宮井 章裕
15
1
9
8
0
J-POP 創生の立役者、細野晴臣の存在感(中篇)
カタリベ / goo_chan
Re:minder - リマインダー