作詞家・山川啓介が紡ぎ出す詞の世界
男女の恋愛が歌われたものが圧倒的に多い歌謡曲の世界で、作詞家・山川啓介が紡ぎ出す詞の世界は一味違っていた。人間が生きることの根本にまで視点を拡げた、人生歌ともいうべき作品の数々。その仕事の範疇は歌謡曲のみにとどまらず、ニューミュージックやアニメ・特撮系主題歌、そして童謡の世界へと及んだ。
さらに舞台の構成や訳詞も手がけるなど、幅広い分野で才能を発揮する中で、本名の井出隆夫名義で臨んだ子供向け番組の楽曲は後半生の仕事の主軸となり、『おかあさんといっしょ』や『みんなのうた』を中心に多くの作品がある。2017年7月24日に72歳で惜しくも世を去った際の一部のニュースでは、代表作に「北風小僧の寒太郎」が挙げられていたほどであった。
中村雅俊のデビュー曲「ふれあい」が大ヒット
『青春とはなんだ』にはじまる日本テレビの青春学園ドラマで育った世代にとって、シリーズの大半の作品を担当した、いずみたくの音楽は体に沁みついているけれども、主題歌・挿入歌の作詞について、初期の岩谷時子からその任を引き継いだのが山川だった。1972年に始まった『飛び出せ!青春』の主題歌「太陽がくれた季節」は山川といずみのコンビ作を青い三角定規が歌い、番組とともに大ヒットした。
主演の中村雅俊をスターにした1974年の『われら青春!』では、いずみたくシンガーズが歌った主題歌「帰らざる日のために」とともに、中村のデビュー曲となったドラマ挿入歌の「ふれあい」も大ヒットして、作詞家・山川啓介の存在も一段とクローズアップされる。
ゆうひが丘の総理大臣、心温まるエンディング「海を抱きしめて」
さらに1978年からの『ゆうひが丘の総理大臣』では、やはり中村が歌った傑作主題歌「時代遅れの恋人たち」が生まれている。ドラマのエンディングに流れた「海を抱きしめて」とともに山川と筒美京平のコンビによる作品。聴く者に優しく問いかけてくるバラード「海を抱きしめて」の心温まる詞は、「ふれあい」から通ずるところがあって、失恋した時やツラいことがあった時にずいぶん慰められたものである。実際に都会の人ごみに背を向けて海を見に行くと、雄大な自然を目の当たりにして、いつの間にか生きることがまた好きになれる自分がいた。山川の詞には優しさの中に強い信念が貫かれていた。
新御三家(野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ)でもヒットを連発!
それと同時期、70年代から80年代へと移行する頃には矢沢永吉「時間よ止まれ」や、ゴダイゴ「銀河鉄道999」(奈良橋陽子と共同作詞)などヒット曲を連発していたが、その頃に新御三家の三人それぞれに作品を提供しているのも見逃せない。
野口五郎へは筒美京平とのコンビで、最高傑作とも名高い「グッド・ラック」(1978年)を、西城秀樹へは70年代最後のシングルとなった「勇気があれば」と80年代の一発目「悲しき友情」を筒美とともに連作、さらに続いてのスティービー・ワンダーのカヴァー「愛の園」の訳詞も手がけて、“勇気” “友情” “愛” という普遍的な世界観を独自の詞で展開する鮮やかな仕事ぶり。郷ひろみへは少し遅れて1982年に「哀愁のカサブランカ」の訳詞を提供し、純然たるラヴソングにも健筆を揮った。郷の次作「哀しみの黒い瞳」の訳詞を岩谷時子が担当したのは、かつての青春ドラマの逆継投の様で個人的にちょっと嬉しかった。
火曜サスペンス劇場の秀逸なエンディング「聖母たちのララバイ」
「哀愁のカサブランカ」と同じ1982年には山川の代表作のひとつ、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」のヒットもある。日本テレビの2時間ドラマ枠『火曜サスペンス劇場』のエンディングテーマとして、当初はテレビサイズの1コーラスのみが作られた。その後、視聴者からの要望でプレゼント用が用意され、正式にレコード発売へ至ったという。
山川自身が後に話したところによると、当初は別の作詞者が予定されていたそうだが、結果的に山川がその役回りを引き受けたことは大正解だった。サスペンスドラマ特有のなんともいえないエンドマーク後の余韻に安堵感をもたらせてくれる秀逸なエンディングテーマは番組に欠かせないものとしてその後も定着し、翌1983年には作曲:木森敏之、歌:岩崎宏美… の同じチームによるさらなる傑作「家路」も生まれた。
アニメ、特撮、にこにこぷん… 記憶に残る数多の作品
世代によっては、アニメ『キャプテン・フューチャー』や、特撮番組『宇宙刑事ギャバン』をはじめとする “メタルヒーローシリーズ” などの主題歌・挿入歌、さらに『おかあさんといっしょ』内の着ぐるみ人形劇『にこにこぷん』で、キャラクターのじゃじゃまる、ぴっころ、ぽろりが披露した歌の数々なども明確に記憶に残っていることだろう。作詞家・山川啓介(=井出隆夫)が遺した多くの作品には “普遍” という言葉が実に相応しい。
2020.07.24