3月21日

共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.10

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ジョン・レノンのシングル「ウーマン」ががビルボードHOT100で2位になった日
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photo:eil.com  

Woman / John Lennon

80年代に生まれたナンバー2ソングの中でも、8番目に生まれた(81年3月)ジョン・レノン「ウーマン」(81年2位)は、シンディ・ローパー「ガールズ・ジャスト・ウォント・トゥ・ハヴ・ファン(旧邦題:ハイスクールはダンステリア)」にも勝るとも劣らぬ屈指の知名度を誇っているだろう。

81年以降にマージャンをやった方ならば、マンズ(萬子)の五萬を捨てる時に思わず “ウ~マン♪” と、この曲のメロディをつけて歌ってしまった人続出だったはずだ。対抗馬はレイ・パーカーJr.&ザ・レイディオの「ウーマン・ニーズ・ラヴ」(81年4位)だろうか(マージャンやらない人にとっては、なんのこっちゃで、失礼しました)。それほどお茶の間感あるヒットソングのひとつであったし、この曲が全米ナンバーワンになっていなかったことに驚きを隠せない方も少なくないと思われる。

ジョン・レノンの代表曲のひとつと言ってもいいようなこの「ウーマン」、実はジョンの死後に初めてリリースされたシングルでもあった。

満を持して作成されたアルバム『ダブル・ファンタジー』(80年)に先駆けて先行シングルとしてリリースされたのが「(ジャスト・ライク)スターティング・オーヴァー」。このシングルのリリースは1980年10月、11月1日付のビルボード・ナショナル・シングルチャート「Hot 100」の38位にいきなり初登場している。

80年代まではトップ40内に新曲がいきなりニューエントリーしてくるのは非常に珍しいことで、いかにジョンの新作への期待が高かったのかが窺えよう。

ジョンにとって「スタンド・バイ・ミー」(75年20位)以来およそ5年ぶりのチャートインとなった「スターティング・オーヴァー」は順調にチャートの駒を進め、11月にアルバムが発売されたことも後押しし、同年12月6日付では6位赤丸つきで上昇中だった。

そしてこのタイミングで世界を震撼させたあの事件が起きる。1980年12月8日、ジョン・レノンはNYの自宅前で凶弾に倒れた。その19日後、「スターティング・オーヴァー」はビルボード・チャートのトップへと到達(12/27付~『ダブル・ファンタジー』もアルバムチャートで同時1位達成!)、結果5週連続1位というレノン史上最大のヒットとなったのだ。

アルバムからのセカンドシングルとして「ウーマン」がリリースされたのは、「スターティング・オーヴァー」がトップをひた走っていた81年1月中旬で、おそらく元々アルバムからのセカンドカットとして決まっていたのだろうが、期せずして死後初めて発売された作品となった。ジョンの優しく繊細な作曲家/シンガーの側面を前面に押し出した「ウーマン」は、当然のようにヒットチャートを上昇、81年3月から4月にかけて3週連続で最高位2位を記録したのだ。

「ウーマン」の1位を阻んだのは、80年代産業ロックの象徴的存在、REOスピードワゴン「キープ・オン・ラヴィング・ユー」、及びヒップホップ・アプローチのラップ初の1位と言われるブロンディ「ラプチャー」といった米国勢で、始まったばかりの80年代のこれからを垣間見るような印象的英米バトルだったのも忘れ難い。

きわめて共有感の強い「ウーマン」、そして80年代ジョン・レノンのヒットの背景には、こんな要素が隠されていたわけだ(もちろん誰も隠してはいない)。

ちなみに「スターティング・オーヴァー」は、ジョン生前のリリースながらも死後に1位となったわけだが、この “死後1位” 記録(フィーチャリング除く)は、オーティス・レディング「ドック・オブ・ザ・ベイ」(68年)、ジャニス・ジョプリン「ミー・アンド・ボビー・マギー」(71年)、ジム・クロウチ「タイム・イン・ア・ボトル」(73年)、ジョン・レノン、そしてノトーリアスBIG「ヒプノタイズ」「モー・マニー・モー・プロブレムス」(共に97年)の5例しかない。

「ウーマン」のヒットに続いてサードカットとなった哲学的内容の「ウォッチング・ザ・ホイールズ」(81年10位 ~1枚のアルバムから3曲のトップ10ヒット!)が、自らの死を予見するような壮大な人生俯瞰曲だったのが、「ドック・オブ・ザ・ベイ」を想起させられたのは筆者だけではないはずだ。

2016.09.25
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  YouTube / johnlennon
 

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カタリベ
1962年生まれ
KARL南澤
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