1985年7月13日のライヴエイド。ロンドン・ウェンブリースタジアムのトリでポール・マッカートニーがピアノの弾き語りで「レット・イット・ビー」を歌った。ポールはこれが’80年代で初めての、公衆の面前でのパフォーマンスだった。
曲の後半、場内から大きな歓声が上がる。当時大いに噂されていた、ジョン・レノンの遺児ジュリアンを加えてのビートルズ “再結成” か?! と徹夜でフジテレビの中継を観ていた大学1年の僕は色めき立った。しかしステージに登場したのは、ライヴエイドの主宰ボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツ)、ピート・タウンゼント(ザ・フー)、アリソン・モイエ(ヤズー)、そしてデヴィッド・ボウイの4人だった。
淡いブルーのスーツに身を包んだボウイは後の3人と共にコーラスともつかないコーラスを歌った。しかしボウイの本番はここからだった。大トリでロンドンの出演者がステージ上に会し、前年のバンド・エイドの曲「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」を歌ったのだが、最初にヴォーカルを取ったのが、なんとボウイだったのだ。
レコードで歌い出しを歌っていたのはポール・ヤングだった。歌の他の部分はジョージ・マイケル、スティングやボノ(U2)など、概ねレコードでもヴォーカルを取っていた人が歌っていたのにもかかわらず、なぜボウイがこのパートを歌ったのだろう。フレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンといった大物ですらメインを歌わなかったのに。この大トリでは、昼間ウェンブリーに出演していたポール・ヤングの姿は確認出来なかった。その代わりなのかと調べてみたら、どうもそうでもない様だ。なんと「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」の歌い出しの部分は、元々ボウイが歌うことを想定して書かれたそうなのだ。そう、ライヴエイドでのボウイの歌い始めこそが、この曲のあるべき姿だったのだ。
ポール・ヤングは昼の自分の出番の時、既に「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」の歌い出しを歌っていた。ボウイにこのパートを譲るにあたってやはり思うところがあったのかもしれない。ヤングが夜に別の予定があって不在だったのか、それともあえて姿を見せなかったのか、はたまた実はステージの上にいたのかは、残念ながら分からない。しかしヤングの歌い出しも素晴らしかったことは改めて言うまでもないだろう。
大役を果たしたボウイがその後この曲で、ポール・マッカートニーの妻のリンダとポールと肩を組み楽しそうにしている姿をDVDで確認することが出来る。そしてこの時ボウイが着ていたスーツが、実は現在開催中の『DAVID BOWIE is』で展示されている。歴史的なステージで着用されていたこのスーツが実は使い回しだった?! ポールファンは、リンダとポールと肩を組んでいた左腕の部分をよく見ておきましょう(笑)。
フィナーレに先立つ自分の出番でも、ボウイは印象深いパフォーマンスを見せている。この4曲に関しては稿を改めよう。
2017.02.09
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