目が離せなかった布袋寅泰の動向、時代の転換期に結成されたCOMPLEX
1988年から1989年にかけて、すなわち、昭和の終わりから平成のはじまりにかけて、わが国のミュージックシーンにおいてどんなことが起こったか… に想いを馳せると、BOØWYの解散、そしてCOMPLEXの結成… と、当時の布袋寅泰の動向を真っ先に思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
周知のとおり、BOØWYは1988年4月4日、5日の東京ドーム公演『LAST GIGS』で終止符を打った。その後の氷室京介、布袋寅泰の動向に目が離せなかったわけだが、布袋は、同年10月5日、解散から約半年という早いインターバルで、ソロアルバム『GUITARHYTHM』をリリース。同時期にCOMPLEXを結成と、自らの音楽性を最上級のかたちで具現化することに成功している。
『GUITARHYTHM』ではジグ・ジグ・スパトニックの影響を大きく受けながら、1950年代のチャック・ベリー、1970年代のデヴィッド・ボウイ、T・レックス、セックス・ピストルズといったルーツへの回帰も垣間見せた当時の自らの集大成とも言える作品だったのに対し、COMPLEXでは、吉川晃司という最大公約数のリスナーに受け入れられるべくシンガーとコラボレイトし、大きなパイの取り込みを目論んだ音楽シーンに対する新たな挑戦だったとも言えるだろう。
そんな布袋の目論みは、セールスにおいても実証。翌1989年4月8日にリリースされた「BE MY BABY」をはじめ、COMPLEX名義のオリジナルシングル、アルバム4タイトルのすべてでオリコンチャート1位を獲得。新たな時代の幕開け、アナログからCDへの移行期に頂点に立ったユニットとして今も多くの人に鮮烈な記憶を残している。
弱冠23歳、吉川晃司が踏み出したミュージシャンとしてのキャリア
COMPLEX結成当時、すでに華々しい軌跡を残していた吉川晃司が弱冠23歳だったということも驚く。
1984年にデビューした吉川は、同年3月1日にリリースしたファーストアルバム『パラシュートが落ちた夏』で佐野元春の楽曲「I’M IN BLUE」を取り上げるなど、アイドル的な立ち位置とは一線を画したこだわりが、多くのロック少年のハートを刺激していた。青いフェンダー・ストラトキャスターを構える様も板についていた。つまり、吉川もまた、80年代後半にかけて、ロックの多様化とともに、それまでマイノリティだったイメージを払拭し、チャートアクションに大きく影響を及ぼした功労者の一人である。
1988年の吉川晃司といえば、活動停止後に古巣の渡辺プロから子会社として独立。レコード会社の移籍などもあり、心機一転、ミュージシャンとしてのキャリアを本格化させる。そのための第一歩として、COMPLEXの結成は自身にとっても好機だったように思う。
布袋寅泰のズバ抜けた感覚、吉川晃司をパートナーに
一方、BOØWYの成功の秘訣は、なんと言っても氷室京介の持ち味である70年代、歌謡曲黄金時代の極めてドメスティックなスパイスと、布袋のUKロックに覚醒された先駆的なサウンドの融合であったことはいうまでもない。
自らの楽曲に対する趣向をより多くのリスナーに向けてアピールしていくか… という点での布袋の感覚はスバ抜けていると思う。だからこそ、新たなパートナーが吉川と聞いたときは、王道すぎて「なるほど、そうきたか!」と期待せずにはいられなかった。
ストイックなまでに自らのスタイルを貫きファンを牽引していく、音楽シーンの屋台骨になっているバンドも、大きなパイを目論む戦略を持つバンドも、音楽シーンの発展において欠かせない存在である。これまでに大きな成功を手にしているCOMPLEXのふたりは今までの以上に悩み、試行錯誤したと思う。ビッグネームのふたりには失敗など許されなかったはずである。
先行シングル「BE MY BABY」は新時代のエポックメイキング
COMPLEXのお披露目と言おうか、先行シングルとしてリリースされた「BE MY BABY」は、タイトルからはじまり、すべてOKだった。フィル・スペクターに見出された1960年代のガールズグループ、ザ・ロネッツの同タイトルの名曲を想起してしまうキャッチーさと、それに相反する布袋の先駆的なギターワーク。それは、マーク・ボランのブギ―を基調にしながらテクノロジーを味方につけた、BOØWY以降の布袋サウンドの真骨頂でもあった。
吉川のヴォーカルスタイルもまた、それまでのキャリアを踏襲しながら実に伸びがあり解放感を感じさせる、新しい時代の到来に相応しいエポックメイキング的な楽曲として世に放たれた。
ちなみにこの曲は当時7インチアナログと8センチCDとで同時発売されており、時代の転換期にこの曲が一世を風靡したことも感慨深い。
ロネッツ、COMPLEX、そして1992年に大ヒットを放ったヴァネッサ・パラディと「BE MY BABY」に駄作なしである。
COMPLEX、活動期間わずか2年の目的とは?
COMPLEXはこの後、ライブにも軸足を置き、1990年11月8日の活動停止まで約2年間、武道館3デイズ、大阪城ホール2デイズ、横浜アリーナ3デイズという大規模なツアーを果敢にこなした。
わずか2年間に凝縮されたCOMPLEXの音楽キャリアは、BOØWYと同じ東京ドーム公演で幕を閉じた…。それはもしかしたら、COMPLEXにBOØWYのキャリアを凝縮させ、どのようにすれば効果的に世の中に響かせるか… という布袋の挑戦だったのかもしれない。
桜の花のようにパッと散ったCOMPLEX。だからこそ30年以上経った今の時代にもそのインパクトは絶大である。
2021.04.08