4月8日

初代グランドイカ天キング!フライングキッズの親しみソウルミュージック

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80年代バンドブームを総括した音楽番組「三宅裕司のいかすバンド天国」


昭和の終わりのバンドブームの総括として、元号が変わると共にスタートした『三宅裕司のいかすバンド天国』は、音楽番組であり、ドキュメンタリーであり、バラエティだった。80年代に多様化した音楽シーンの総括を、含蓄があり切り口鮮やかな審査員たちの眼識により偏ることなく視聴者に提示してくれた。

出演バンドの生活感溢れる歌詞や、そのいで立ちからは、金や名声とは無縁の独自の流派を感じ取り、バブル期と相反する時代の片鱗を見事に映し出してくれた。また、審査員がもう見たくないバンドには、ランプのスイッチを押し、ワイプが小さくなるという手法は、「何で?」「あはは、やっぱり!」とブラウン管の向こう側の僕らの主観をくすぐる。それはバンド、音楽といった枠を超えた、バラエティというイカ天のひとつの顔であった。

80年代の終わりという、それまでのバンドブームが成熟した時期の放映とあって、パブリックイメージとしては、同時代のバンドスタイルの象徴であったパンクロックの影響を少なからず感じさせてくれるビートバンドが主流であったように思われる。さらに、番組の主旨であるアマチュアバンドという印象からはかけ離れたテクニックやステージでの佇まいを持ち合わせた、もはやアーティストと呼ぶに相応しいチャレンジャーも数多く登場した。

視聴者、審査員の視線をかっさらった数多の イカ天出演者たち


僕の主観で印象に残った出演者をいくつか挙げてみよう。特筆すべきはブルース調の楽曲で視聴者の心の奥底を震わせ、それが普遍的な癒しへと昇華するほどの歌唱力を持ち合わせたBIGINだ。

また、彼らとは大きく離れた立ち位置としては、グラムロックが放つ妖艶な世界観を十二分に体現しながらも歌詞に内包された演劇性を持ち合わせ、インパクトのあるステージアクションで視聴者を釘付けにしたマルコシアス・バンプ。

彼らと同様に沢田研二の「TOKIO」をリメイクした「お江戸」でベスト・パフォーマンス賞を受賞したカブキロックスもまた、際立ったエンタテインメント性で、その世界観に視聴者を引きずり込んでいった。

そして、19代目イカ天キングであり、現在は、結成32周年を迎え、現役も活動中のリトル・クリチャーズもまた、後のクロスオーバーサウンドを予感させる研ぎ澄まされた感性の中、深みのあるアコースティックサウンドで審査員を魅了した。

このような、いわゆる “玄人はだし” のバンドが、大方の視聴者の予想通りにイカ天キングに輝くと思いきや、競泳パンツにマントといった、いかにも一発芸的な瞬発力のみで勝負を挑むバンドが、視聴者、審査員の視線をかっさらっていくというのも “イカ天らしさ” だと今改めて思う。

即座に心に響く独特のグルーヴ


そんなラインナップの中で、僕個人として、当時ハタチそこそこだった自分の音楽的価値観に揺さぶりをかけたのがフライングキッズだった。

それまで自分にとって未知の音楽であったソウルミュージックのメロウなグルーヴを感じ取り、そこに内包された色気を感じさせてくれたのだ。

彼らもまた、先記したプロフェッショナルな匂いをふんだんに散りばめた玄人はだしのバンドのように感じられた。しかしそこには、マニアを唸らせるギミックを賞賛するのではなく、極めて親しみを感じさせるソウルミュージックの解釈があったことが興味深い。それは彼らがアマチュアだったにも関わらず、自らの音楽的背景を活かしながらも、どのような手法を施せばより多くの人を取り込むことができるか… といった指向が自然体のままに身についていたのかもしれない。

つまり、彼らはグループ結成当時、マーヴィン・ゲイなどのカヴァー曲をレパートリーにしながらもバンド名は山下達郎の「フライング・キッド」からつけたことから、黒人音楽への敬愛の念を根底に持ち、ポップスという観点から音楽を練り上げることで、たとえ音楽に詳しくなくても即座に心に響く独特のグルーヴを持ち合わせていた… ことが特筆として挙げられる。

音楽性の深さを見出され手にした“初代グランドイカ天キング”の称号


フライングキッズの記念すべきデビューシングル「幸せであるように」は、「♪ 幸せであるように 心で祈ってる」という普遍的な歌詞を綴りながらも、ドラムスとベースが織りなすリズムは心地よいグルーヴを奏で、鍵盤とフォーンの琴線に触れるような切なさが相まって壮大なドラマを生み出している。

そこには、マーケティングを意識した、悪い意味での職人的な技巧は感じられない。これも音楽的にしっかりとしたバックボーンがあったからこそ、である。そう考えると、彼らの存在が、どれだけ突出していたかが分かるだろう。そしてこれは、後の渋谷系という言葉でもカテゴライズされた小沢健二やラヴ・タンバリンズなどとも通じるものがあった。

フライングキッズは、イカ天のパブリックイメージとは程遠い場所から審査員たちの眼識により音楽性の深さを見出され “初代グランドイカ天キング” という称号を手にした。そして、サクセスストーリーがごとく、メジャーデビューを飾っている。この背景について、リーダーの浜崎貴司はバンド解散後のインタビューで、イカ天出身だからとイロモノ扱いで見られたり、バンドとしての立ち位置が微妙であったりしたことや、バンドに対して人それぞれ様々な解釈があったことを述懐していた。

イカ天から彼らが巣立って、すでに30年以上の月日が流れた。当時を俯瞰してみると、イカ天はバンドブームの多様性を見事に体現し、その一翼であったフライングキッズは、約8年間という活動期間の中で、自らの音楽性を深化させていった。そして、当時のバンドブームとは違った、楽曲の素晴らしさやメロウなグルーヴといった観点から再評価されるようになった。80年代の終わりのあの深夜のお祭り騒ぎは、90年代にしっかり根を生やし、日本の音楽シーンを熟成させたのだ。


※2019年12月1日に掲載された記事をアップデート

2021.06.11
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