私がブラジルから日本に来たのは1989年の12月。川崎市にある公立中学校に転入し、訳もわからないまま進級して3年生になった頃、ある女の子と仲良くなりました。彼女は人形のようにかわいく、明るく、とても魅力的だったので、女の子からも男の子からも人気がありました。
私はそんな彼女に誘われ、お昼休みには校庭でバレーボールをやったり、憧れていた男の子を覗きに行ったりしていました。あれは高校受験の準備が始まる前くらいだったでしょうか、カラオケに行こうと、二人でカラオケボックスに行ったことがあります。もちろん、当時のブラジルにはカラオケがなかったので、カラオケとはどんなものか想像できず、全く未知の世界でした。
彼女に連れられ、個室が沢山あるお店に行くと、その中の一つに入り、何やらそこにあった厚手の本から好きな曲を探して番号を打ち、“歌が入っていない曲” が流れてくる機械に驚き、目を輝かせていました。初めての経験に呆然とし、「何歌う? 入れてあげるよ」と言われても、私は何を歌えば良いのかさっぱり決まらず、1、2曲しか歌わなかった記憶があります。
彼女が「私、ビー・マイ・ベイビー歌っていい?」と言うので、「あっ、それなら知ってるよ!」と得意げに言ったものだから、「じゃあ、一緒に歌おう!」と、喜び勇んでいたのですが……
「ビー・マイ・ベイベ、ビー・マイ・ベイベ ♪」
「え? これじゃない…」
曲が流れ始めた途端、私は戸惑ってしまいました。私が歌おうと思っていたのは、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だったのですが、彼女が入れた曲はコンプレックスの「ビー・マイ・ベイビー」だったのです。今にして思えば、とんだ勘違いをしていた私ですが、当時は日本に来てまだ半年も経っていない時期、J-POPはほとんど知らなかったのです。
そもそも、当時の私はBOØWYとコンプレックスの違いが分かりません。BOØWYが解散した後、布袋寅泰が吉川晃司と組んだユニットがコンプレックスで、私が日本に来る前に「ビー・マイ・ベイビー」が大ヒットしていたと知ったのも後々、高校で軽音楽部に入ってからのことでした。
その彼女とは別々の高校になりましたが、SNSのおかげでまだ交流があります。コンプレックスの「ビー・マイ・ベイビー」を聴くたびに、私に優しくしてくれたことや、楽しかった初めての日本での学校生活を思い出し、大切な友人としてとても感謝をしています。
2016.11.09
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