7月21日

サザンの本質ここにあり「ヌードマン」音楽と格闘する生々しさが最大の魅力!

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サザンオールスターズ。生まれは青学の音楽サークル


サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューしたのは1978年6月のこと。

蛇足ながら補足しておくと、この曲名は沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」という、ともに1977年に大ヒットした曲のタイトルを合成したもの。だから、このタイトルだけで当時の人々は「勝手にシンドバッド」をコミックソングと受け取った。そして、このデビュー曲によってサザンオールスターズは “コミックバンド” と見られることになった。

サザンオールスターズ自体も、そうした先入観に対してある程度乗ってみせたが、1999年のサードシングルとなったバラード「いとしのエリー」でそのイメージを鮮やかにひっくり返して、面白いだけのバンドじゃないという側面を見せた。

しかしそれは、ここからのサザンオールスターズがどのような音楽性を打ち出していくのかという期待を高めることになり、サザンオールスターズもそうした期待に応えようと試行錯誤を重ねていくことになる。

サザンオールスターズは青山学院大学の音楽サークルで生まれたバンドから発展したグループで、ひとつの音楽性を一筋に追求するというタイプではなかった。

サザンオールスターズの楽曲をほぼ全部手掛ける桑田佳祐も、ひとつの音楽にのめり込むというよりは、洋楽から歌謡曲までの幅広い音楽に影響を受け、そのエッセンスを吸収しながらきわめて個性的な音楽世界を構築していくクリエイターであり、表現者だった。

だから、彼にとってポップ歌謡のテイストとラテンリズムをミックスした「勝手にシンドバッド」は “狙った” というよりも、自分の中にある音楽性を素直に出した楽曲だったんじゃないかと思うのだ。

サザンオールスターズはライブシーンでも、学生バンドの延長ともいうべき飾らないバンドとして人気を集めていった。しかし、その勢いはいつまでも続かないこと、その先には本当の意味での音楽的力量が問われるようになる… ということを桑田佳祐は予知していたのだろう。

サザン初の80年代最大売上アルバム「NUDE MAN」


1980年代に入ると、サザンオールスターズはライブ活動を一時中止してスタジオワークに専念する。1980年2月の「涙のアヴェニュー」から同年7月の「忘れじのレイド・バック」まで、5枚のシングル盤を連続リリースする “ファイブ・ロック・ショー” で、テイストの違うサウンドにトライしたり、桑田佳祐が映画『モーニング・ムーンは粗雑に』(1981年)の音楽を担当するなど、その音楽性を追求するための活動が積極的に行われていく。

その結果、シングルでは「C調言葉にご用心」(1979年)以降大きなヒット曲は無かったが、サードアルバム『タイニイ・バブルス』(1980年)、4thアルバム『ステレオ太陽族』が続けてアルバムチャート1位を獲得し、彼らに対してアルバムアーティストという評価が浸透していった。

そうした “サザンオールスターズのサウンドが深化していく” 時期にリリースされたのが5枚面のアルバム『NUDE MAN』だ。

久々にシングル「チャコの海岸物語」(1982年1月)をヒットさせた直後というタイミングがどの程度影響したのかはわからないが、『NUDE MAN』はサザンオールスターズのアルバムとして最大売上を記録し、次々とロックバンドが名乗りを上げていったこの時代に、確固とした存在感を示す作品ともなった。

『NUDE MAN』には、先行シングルとして発売された「匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB」は収録されているが「チャコの海岸物語」は収められていない。確かに、60’sポップス歌謡やGSテイストの濃いこの曲が入ると、アルバム全体のバランスが大きく変わってしまうという気もする。

振れ幅の大きさは、桑田佳祐の試行錯誤の証?


『NUDE MAN』には13曲が収められているが、それぞれかなり振り幅が大きいという印象がある。

一曲目の「DJ・コービーの伝説」はザ・バンドなどのアメリカンロックを彷彿とさせるサウンドに、少年時代の心をときめかすさまざまな曲を届けてくれたDJへの想いが歌われてゆく。このDJのモデルは日本のDJの最高峰である小林克也で、実際にこの曲では小林克也が声で参加している。

二曲目の「思い出のスター・ダスト」は、ねっとりとした演奏に絡みつくように歌い上げる、ちょっとアトランティックソウルのバラードを思わせる曲。ちなみにスター・ダストとは横浜に実際にあるバーの名前。1954年に米軍の軍人をターゲットにオープンしたアメリカンムードあふれる店で、当時の若者にはあこがれのスポットだった。

続く「夏をあきらめて」は、せっかくの海のデートが雨のために台無しになってしまうというちょっと悲しいサマーソング。この曲にもPacific Hotelという茅ヶ崎のホテルの名前が出てくる。ちなみにこの「夏をあきらめて」を聴いて研ナオコが気に入り、同年9月にカバーシングルをリリースしてヒットさせている。

このアルバムの中で異彩を放っているのが四曲目の「流れる雲を追いかけて」だ。ヴォーカルは原由子。東洋的というか大陸的メロディーに乗せて歌われているのはかつての満州での日々だ。“大連” “ハルピン” といった地名とともに描かれるのは戦争に翻弄される人々の姿だ。

実は、初めてこの曲を聴いた時には、漠然とオリエンタル風の曲だなと感じていた程度で、歌詞に出てくる “進軍ラッパ” という言葉も唐突に感じていた。この言葉に込められていた意味に気づいたのは、だいぶ後のことだった。実は桑田佳祐の父は満州からの引き上げ体験者だったというから、この曲も彼にとってのリアリズムが込められていたのだ。

この他にも、レゲエテイストの「来いなジャマイカ」、歌詞が掲載避けていない「NUDE MAN」、1950年代のスタンダードナンバーのような「Just a little bit」、さらにはギターの大森隆志が作詞作曲した「猫」など、『NUDE MAN』に収録されている曲を聴いていくと、その幅広さに改めて感心してしまう。

ここまでバラエティのある曲を並べられるというのはやはり只者ではない。けれど逆に言えば、アルバムとしてのトータリティが見えにくい作品でもあると思う。それだけこの時期の桑田佳祐が試行錯誤をしていたということでもあるんじゃないかと思うし、今からすればその音楽と格闘する彼らの生々しい姿自体がこのアルバムの最大の魅力なのではないかとも思う。

垣間見えた、サザンオールスターズならではの世界観


もうひとつ『NUDE MAN』を聴いて感じるのが、その後さまざまな形で開花していくサザンオールスターズというバンドの本質がすでにここにあるのではないかということだ。

例えば「匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB」にもあるラテンサウンドの陽気さを悪ふざけ気味の歌詞でエスカレートさせてしまったり、オールディーズなどをパロディ的にも見せながらそこにリアルな心情を入れ込んでしまうなど、普通ならばあまり関係がないと思われる要素を組み合わせて相乗効果を上げるという手法を使っている。

それは、桑田佳祐の音楽体験に根差した発想なのではないかと思う。それまでの日本の音楽家は、音楽ジャンルを新生なものと捉えていたという気がする。だから、洋楽を志向するミュージシャンは、どこまでもオリジナルに近づこうとするし、そのジャンルについてもできるだけ純度の高い状態で再現しようとする傾向が強かったと思う。けれど、洋楽に惹かれる一方で邦楽にも強い魅力を感じていた桑田佳祐にとっては、ジャンルの壁は侵犯してはならないほど神聖なものとは感じていなかったのではないだろうか。

そんな桑田佳祐のつくる音楽が単なるコラージュではない創造性や説得力をもつものになっているのは、彼がそれぞれのジャンルの音楽に対して真摯に向き合い、その本質を捉えようとしているからだと思う。

そのうえで、様々な音楽要素をぶつけることによって生まれる相乗効果が、新しい音楽性となって立ち現れる。さらに、そんなイリュージョンのような世界に、桑田佳祐は自分にとっての私小説的なリアルすらも放り込んでいく。だから、サザンオールスターズの曲はフィクションとノンフィクションが入り乱れたマスカレードのようなインパクトを聴き手に与えていくのだ。そのマジックはデビュー曲「勝手にシンドバッド」にも仕込まれていた。歌詞に出てくる “茅ヶ崎” “江の島” といった実際の地名が、歌詞の浮ついたストーリーに不思議なリアリティをもたらしているのだ。

こうした音楽アプローチは、この時代ではかなり珍しいものだったろうし、だからこそフィクションとリアリティの狭間をたどっていくようなサザンオールスターズならではの世界観も生まれていったのだと思う。

J-POPのルーツのひとつに、サザンオールスターズあり?


『NUDE MAN』は、単体で観ればアルバムとしての完成度はけっして高くないかもしれない。けれど、その後のサザンオールスターズの世界を彩っていく要素はほとんどこのアルバムに萌芽としてある。そんな気もする。

改めて『NUDE MAN』から感じられる、音楽のさまざまな流れを理解したうえでの “クリエイトのためにはなんでもあり” という姿勢は、その後のサザンオールスターズの作品にも貫かれているものだと思う。さらに、まさにこの姿勢こそが世界に類を見ない “J-POP” という独自の音楽スタイルにつながっていったのではないか。そんなことも考えてしまった。

そういえば、インタビューをしていても、若いミュージシャンの中には、影響を受けたアーティストとしてサザンオールスターズを挙げても、洋楽アーティストの名は上がらない人もけっこういたことを思い出す。

サザンオールスターズによって生み出された洋楽と邦楽の化合物―― それがJ-POPのルーツのひとつになっているのではないか。『NUDE MAN』を聴きなおして、そんなことを思っている。

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2022.07.21
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カタリベ
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