4月2日

40周年!オールナイターズこそ《おニャン子、モー娘。、AKB48、乃木坂46…》の源流だ!

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フジテレビの熱気を具現化していた「オールナイトフジ」​​


フジテレビは、2023年4月14日より金曜深夜に2時間の生放送番組『オールナイトフジコ』をスタートさせる。この番組タイトルは、1983年4月〜1991年3月に同局の土曜深夜に生放送されていた(録画パートもあり)情報バラエティ番組『オールナイトフジ』を意識したものであることは明白だろう。

なぜ今になって40年前の番組タイトルを引用するのか? それは『オールナイトフジ』が全盛期のフジテレビの熱気を具現化していた番組のひとつであり、その再現を狙っているからだろう。フジテレビの港浩一社長は同番組のディレクターだったのだ。

また、『オールナイトフジ』はのちのアイドル界にも多大なる影響を与えたコンテンツでもある。ここでは、その点についてクローズアップしたい。

女子大生集団 “オールナイターズ” を番組の目玉に​​


『オールナイトフジ』は、ジャズ系シンガーとして活動していた秋本奈緒美と、JALの沖縄キャンペーンガールを務めていた鳥越マリの司会でスタートした。この番組の最大の目玉といえたのが、一般公募という体裁で集められた女子大学生(専修学校や私立高校の専攻科の学生も含まれた)の集団 “オールナイターズ” だ。まだ世の中のジェンダー意識が低かった時代、メディアは女子の大学生に特別の価値をもたせた “女子大生” というブランドを作り、それを商品化していたのであった。

オールナイターズは、スタジオに設置されたひな壇に座り、さまざまなコーナーのMC、レポーターを務め、ゲームに参加するなどして番組作りに参加していた。また、当番制で毎回1名が秋本奈緒美、鳥越マリと一緒に司会を務めた。メイン司会が1984年10月より松本伊代と麻生祐未に代わってからもこの形式は継続された。

また、メンバーが自己紹介をする際は「●●大学の■■■です」と名乗り、同時にそれが字幕で表示されるのが常だった。大学名の公開は、“その大学に行けばメンバーに会える” というリアリティをもたらした。

オールナイターズは幾度かの総入れ替えやコンセプトの変更が行われているが、ここでは、1983年4月から1985年3月までのメンバーを「初代オールナイターズ」と呼称する。

多人数アイドルグループの源流​​


今日、Webメディアなどで、“多人数グループアイドルの元祖はおニャン子クラブである” という前提の記事を見かけることがある。確かにメジャーな存在としてはそれで間違いないだろう。しかし、実際はおニャン子が最初に取り入れたと思われがちなアレコレは、いずれも初代オールナイターズで試されていた。

一般的なアイドルとは文脈が異なる存在ながら、このグループこそ多人数アイドルグループの源流である。おニャン子に限らず、モモコクラブ、乙女塾、東京パフォーマンスドール、桜っ子クラブさくら組、モーニング娘。ほかハロー! プロジェクト、チェキッ娘、AKB48グループ、アイドリング!!!、乃木坂46ほか坂道シリーズなど、歴代のアイドルグループは大なり小なりオールナイターズの影響下にあるのである。



オールナイターズで試された4つのシステム​​


オールナイターズが取り入れ、のちの多人数アイドルに影響を与えた特筆すべきシステムは、主に次の4つだ。

【1】流動的な多人数グループの形態
オールナイターズは20名ほどのメンバーで始まり、常に新メンバーを募集し、毎週のように増員が繰り返された。長らくレギュラー出演する定着メンバーもいたが、極めて短期間で消えてしまうメンバーも多かった。新陳代謝があるグループだったのだ。公式にリスト化されていないが、2年間で確実に100数十名が存在していたのである。

いうまでもなく、メンバー数を固定しない流動的な多人数グループの形態は、のちのアイドルグループの多くが踏襲している。

【2】脱退を “卒業” と表現しイベント化するシステム
オールナイターズは芸能プロに属さない学生の集団だったので、番組に定着したメンバーであっても、学業や就職活動に専念、大学からの卒業などの理由で番組から離れていくのはよくあることだった。

とくに、番組開始から半年後の1983年10月に、末松千鶴(明治大学)、東福行子(日本女子大学)、小島弘子(川村短期大学)ら初期の中心メンバーが一気に去ったのは象徴的な出来事だといえる(大学名はいずれも当時。以下同)。

そのあたりから、定着メンバーの番組降板、グループ離脱を “卒業” と表現し、番組内でセレモニーを行う制度が完成されていく。大学生だからこそ、“卒業” というワードが馴染んだ。

このような “卒業” システムはおニャン子クラブが取り入れ、新たに “卒業コンサート” を行うことでビッグイベント化。今に至るまでアイドルグループ運営において、ビジネスの大きな柱となっていく。

【3】お笑い芸人との絡みによるキャラ引き出し
番組ではメンバーを十把一絡げに扱わなかった。盛り上げ役としてレギュラー出演していた片岡鶴太郎が、キャラクターを引き出すように絡み、定着メンバーひとりひとりのキャラクターを際立たせた。独自のニックネームを付けることもあった。それがグループとしての面白さを広げることにつながっていく。

この流れに拍車をかけたのが、ブレイク以前のとんねるずだ。彼らは何度かゲスト出演するなかでオールナイターズのメンバーの実名を挙げたネタを披露し番組に食い込んだ。やがてレギュラーに抜擢された2人は、以後も期待された役割を果たすことで、爆発的な人気を掴んでいくのだ。

片岡鶴太郎やとんねるずと絡むことで、インパクトを残したメンバーのなかに立見里歌(東海大学)がいた。彼女はそのユニークなキャラクターが評価され、オールナイターズ卒業後にはおニャン子クラブ入りすることになる。

なお、同じおニャン子の内海和子(文化女子大学)にも “元オールナイターズ” という肩書きがあるが、彼女は総入れ替え後の “2代目オールナイターズ” とおニャン子の掛け持ちしていた人物だ。つまり、両者は同時期に『オールナイトフジ』には出演していないことを確認しておきたい。

話を戻すと、『オールナイトフジ』は、アイドルグループのメンバーのキャラ引き出しにお笑いタレントを有効活用する手法の雛形を確立したのである。

【4】人気メンバーをプッシュするスターシステム
初期『オールナイトフジ』に、AVを含む新作ビデオを紹介する「ビデオソフト情報」というコーナーがあった。過激な内容だけに注目度が高く、同コーナーを担当していた山崎美貴(東海大学)と松尾羽純(杉野女子大学短期大学部 / 同学卒業後も活動を継続)は屈指の人気メンバーとなった。2人は片岡鶴太郎に「おかわりシスターズ」と命名され、1984年2月に深谷智子(日本女子大学)を新メンバーに加えた3名で「恋をアンコール」という曲でレコードデビューするまでになる。



衣装はアイビー系、プレッピー系、もしくはハマトラ系など、当時流行っていたキャンパスファッションであり、当時の一般的なアイドルとは趣が異なった。まさに “カレッジアイドル” とでも呼ぶべき存在だったのだ。

『オールナイトフジ』はほぼ関東ローカルの深夜番組であり、おかわりシスターズはフジテレビ以外の番組への出演はほとんどなかったが「恋をアンコール」はオリコン週間チャートで23位を記録した。この人気を受け、フジテレビは彼女たちを評価し、1984年春に局のキャンペーンキャラクターに抜擢。解散する1985年3月には主演単発ドラマ『アイドルを探せ 花の女子寮、潜入(秘)初体験!!』をゴールデンタイムに放送している。

おかわりシスターズに続いたのが、お笑い系キャラの井上明子(国際商科大学)とツッパリ系キャラの片岡聖子(玉川学園大学)の人気コンビ「おあずけシスターズ」だ。2人は、1984年5月に「東京カンカン娘’84」で歌手デビューした。



初代オールナイターズ全体としては、写真集や2枚のオリジナルアルバムをリリースし、コンサートも開催した。アルバム限定のメンバー編成によるユニットもあり、なかでも、渡辺裕子(法政大学)と芳ヶ野恭子(目白学園女子短期大学)によるイケイケ路線の「よまわり姉妹(シスターズ)」は番組内で大プッシュされていた。

さらに源流をたどれば宝塚歌劇団の存在があるが、このようにすべてのメンバーを均等に扱うのではなく、一部のスターを押し出していくやり方もアイドルグループの運営において定石となっていく。

オールナイトフジから生まれた「夕やけニャンニャン」


上記のような『オールナイトフジ』の成功により、石田弘プロデューサーらスタッフは次なる企画を生み出すことになる。それが、同番組のノウハウを夕方の帯番組に落とし込んだ『夕やけニャンニャン』だ。



まず、1985年の2月と3月に、「卒業」でデビュー直後の斉藤由貴、真璃子(翌年にレコードデビュー)の司会による『オールナイトフジ女子高生スペシャル』というパイロット番組を放送する。この番組では公募で集まった女子高校生たちがオールナイターズの役割を果たした。

そして、4月より始まった『夕やけニャンニャン』には、『オールナイトフジ』から片岡鶴太郎、とんねるずがスライド出演。また、『〜女子高生スペシャル』に出演していた女子高校生から選抜された11名(すでに高校生ではないメンバーもいた)でおニャン子クラブが結成され、番組の顔として売り出された。

彼女たちは、オールナイターズが取り入れたシステムをさらに昇華させることで社会現象的な人気を集めていくことになる。繰り返しになるが、はじめにオールナイターズありきなのである。




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2023.04.02
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