エルトン・ジョンが曲を作り、バーニー・トーピンが歌詞を書くときにしか生まれない世界というのが確かにある。
情緒が合うとでも言うのだろうか。エルトン独特の憂いを含んだメロディーと、寓話性に富んだバーニーの歌詞は、互いの足りない部分を補うというよりは、同じ世界観を重ね合わせたときに生まれる調和を感じさせる。彼らがこれまで残してきた数々の名曲を聴くにつけ、「音楽にも相性ってあるんだなぁ」とつくづく思うのだ。
エルトン・ジョンは1970年代半ばに絶頂期を迎えるが、大きな成功と引き換えにふたりの間には軋轢が生まれ、1976年に一度ソングライティングのコンビを解消している。
しかし、袂を分かつことで、お互いが自分にとってどれほど特別な存在であるかを再確認したのだろう。80年代に入ると、エルトンとバーニーは再び一緒に歌を作るようになる。そして、1983年にリリースされたアルバム『トゥー・ロウ・フォー・ゼロ』では、バーニーがすべての曲の歌詞を書き、レコーディングには絶頂期のバンドメンバーが集められた。
「ブルースはお好き?(I Guess That's Why They Call It The Blues)」は、そんな記念すべき作品の中でも、特に印象に残るナンバーだった。この歌は、エルトンとバーニーが紆余曲折の末、再びパートナーシップを築こうとする心の過程を綴っているように思えるのだ。
ノスタルジックなメロディーはどこまでも優しく、語りかけるように歌うエルトンのヴォーカルが素晴らしい。バーニーはこの曲を書いたエルトンの気持ちをあたかもすべて理解しているかのように、美しい言葉と韻をもって自分もまた同じ気持ちであることを伝えている。歌はこんな風に始まる。
それを取り除いてしまいたいとか、それが永遠につづくなんて思わないでくれ。僕らの関係はこれからもっと良くなるだろう。僕がいない間に、君の心の悪魔を追い払っておいてくれないか。近いうち、僕らは僕らだけの胸にある隠れ場所へ駆け込むはずだから。
そして、エルトンがサビのメロディーで歌をドラマチックに演出するとき、バーニーはそこへ必殺のフレーズを重ね合わせるのだ。
人はこういう気持ちを
ブルースと呼ぶのだろうな
僕の手のひらにあるのは
君と共に過ごす時間
子供のように笑い、恋人のように暮らす
でも、今はまだ心の中で雷鳴が轟いている
だから人はこういう気持ちを
ブルースと呼ぶのだろう
歌の冒頭では、取り除いてしまいたいもの、永遠につづきそうなものを、「それ(it)」という単語でぼやかしているが、サビにきて「それ」が「ブルース」であると種明かしをしてみせる。一流と呼ぶにふさわしい見事なソングライティングだ。
このときエルトン・ジョン35歳、バーニー・トーピン32歳。20代で出会ったふたりの間には、胸に雷鳴が轟くようなブルースがあったはずだ。互いに傷つけ合った過去を消すことは、おそらくできないだろう。しかし、この曲ではそうした確執を乗り越え、再び共に歩んでいこうと歌っている。ラヴソングの形をとってはいるが、僕にはそう思えるのだ。
間奏で聴かれるスティーヴィー・ワンダーのハーモニカが、ふたりの心に積もった澱を洗い流すかのように響き渡る。これは再出発の歌でもあるのだろう。
友情を長くつづけるのは簡単なことじゃない。関わりが深いほど無邪気ではいられなくなるし、楽しいことばかりというわけにもいかない。でも、相手を本当に大切だと思っているのなら、きっと乗り越えられる。そして、もっとわかりあえるようになるはずだ。
結局、人はつらい思いをしないと、本当に大切なものが何かなんてわからないのかもしれない。それでも気づけたなら幸せだ。ブルースを共有できる友達なんて、なかなかできるものではないのだから。
2018.05.07
YouTube / Elton John
Information