「花の82年組」がいる。
1982年にデビューしたアイドル黄金世代である。中森明菜を筆頭に、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、三田寛子―― 確かに粒ぞろいだ。80年代のアイドルシーンを語る時、彼女たちの存在は外せない。
しかし、である。改めて振り返ると、82年当時、アイドル界は松田聖子サンが3年目を迎え、髪型を聖子ちゃんカットからショートに変えた年。1月にリリースされた「赤いスイートピー」からユーミン(呉田軽穂)が作家陣に加わり、「渚のバルコニー」に「小麦色のマーメイド」と、まだまだ聖子全盛期だったと記憶する。
その他の印象では、81年暮れに公開された映画『セーラー服と機関銃』と同名主題歌の大ヒットで、薬師丸ひろ子ブームが到来。だが、当の本人は大学受験で休業宣言してしまい、82年―― 飢餓感から、更にブームに拍車がかかる事態に。
ちなみに、その穴を埋めるべく同年、角川映画が行なったオーディションで特別賞を受賞したのが、原田知世サンである。
花の82年組が世間に見つかったのは1983年
そう、1982年当時、肝心の「花の82年組」のリアルタイムの印象は、さほど強くなかったと記憶する。なぜなら、彼女たちがブレイクするのは、揃いも揃って翌83年前半にリリースしたシングルだったから――。
小泉今日子「真っ赤な女の子」、堀ちえみ「さよならの物語」、早見優「夏色のナンシー」、石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」―― 奇しくも、いずれも5枚目のシングルだった。
かくして、「花の82年組」は世間に見つかる。そして歴史は上書きされたのである。あたかも、彼女たちがデビュー1年目からハネていたかのように。ただ一人、中森明菜を除いて――。
そう、中森明菜。花の82年組でただ一人、1年目からリアルタイムで売れ、1位も取った大スター。今回は、そんな彼女のデビューアルバムにまつわる話である。
アイドルにとってのアルバムの位置づけとは?
そのタイトルを『プロローグ<序幕>』という。まさに大スターの登場に相応しい名前だ。リリースは1982年7月1日。今回、あえてファーストアルバムではなく、「デビューアルバム」と呼ぶ理由は後述する。
ちなみに、デビューシングルはご存知、「スローモーション」。リリースは、アルバムからさかのぼること2ヶ月前の5月1日。シングルを1枚出して、その2ヶ月後にアルバムをリリースするタイミングは、ちょっと早い気もする。
というのも、当時のアイドルのアルバムと言えば、シングルを2、3枚出したタイミングで、いくつか新曲を足して、コンセプトをまとめて1枚のアルバムに仕上げるのが一般的。あくまでシングル優先のスケジュールだった。
それに対し、世のアーティストたちは、アルバム中心に活動している。大抵、アルバムをリリースした後、そのタイトルを冠したツアーを行う。先行して発売されるシングルは、あくまでプロモーション。ゆえに「先行シングル」と呼ばれた。
デビューシングルはアルバム収録曲の中から選ばれた
そう、先行シングル――。鍵はここにある。
中森明菜サンもアルバム『プロローグ<序幕>』でデビューして、その先行シングルとして「スローモーション」がリリースされたと考えれば、そのタイミングに違和感はない。
事実、同アルバムに収録される10曲のレコーディングが行われたのは、デビュー前の1982年2月。それもロサンゼルス(!)である。一介の新人アイドルがLAでアルバムをレコーディングする―― まるでアーティストだ。スタッフの先見の明に感服する。
さて帰国後、アルバム収録曲の中からデビューシングルの選考が行われた。候補は、「スローモーション」「銀河伝説」「Tシャツ・サンセット」「あなたのポートレート」の4曲。最後まで「スローモーション」と競ったのは、「あなたのポートレート」だったと聞く。ちなみに、どちらも「作詞・来生えつこ、作曲・来生たかお」の座組。よく誤解されるが、2人は夫婦ではなく、姉弟である。
もし―― 歴史に「if」が許されるとして、デビュー曲に「あなたのポートレート」が選ばれていたら、その後の明菜の人生はどうなっていただろう。
サビから始まる美しいメロディライン「あなたのポートレート」
“軽くウェーブしてる 前髪がとても素敵”――「あなたのポートレート」はそんなサビから始まる。その美しいメロディーに、僕らは一瞬で歌の世界に引きずり込まれる。これが “来生メロディー” の魅力である。加えて、曲中で語られるストーリーは、極めて映画的。「ボート」や「帽子」というワードは、青春映画の1シーンを連想させる。こちらは、姉・えつこサンが得意とする世界。
正直、「スローモーション」と優劣つけがたい。同曲がアルバムのA面一曲目、いわゆるリード曲に選ばれたことが、そのクオリティの高さを物語る。
アルバム『プロローグ<序幕>』は、全般に16歳の少女・中森明菜のフラットで素直な歌声が印象的である。等身大の少女の姿が透けて見える。セカンドシングル「少女A」以降のどこか大人びた、陰のある歌声とは一線を画す。感情表現や技巧に走っていないぶん、聴き手の創造力をかき立てる。
以前、八代亜紀さんがあるトーク番組で「歌に感情を込めない」という趣旨の話をしていた。曰く「感情を込めると、歌は歌手自身のものになる。だが、込めずに曲の世界観だけを伝えると、聴き手がそこに自分を投影する」と。実際、銀座のクラブ歌手時代、感情を込めないで歌ったところ、ホステスたちが急に泣き出したという。
17歳になった中森明菜に待ち受ける運命
1982年7月12日、アルバム『プロローグ<序幕>』はオリコン初登場7位にランクイン。新人アイドルのデビューアルバムとしては上出来である。この時点で、アーティスト・中森明菜のデビュープロジェクトは成功を収めたと言っていいだろう。
だが、歴史は思わぬ急展開を見せる。
翌13日、彼女は17歳になる。それから2週間後、セカンドシングル「少女A」がリリースされる。レコーディングの際、明菜は「少女A」を自分のイニシャルだと勘違いし、最後まで「歌いたくない」と抵抗したという。
17歳になった少女・中森明菜が、同曲で一躍スターになるのは歴史の事実である。実は、「あなたのポートレート」はセカンドシングルでも、最後まで「少女A」とシングル候補を争ったと聞く。
もし―― 歴史に「if」が許されるなら、その時「あなたのポートレート」が選ばれていたら、その後の彼女の人生はどうなっていただろう。
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※2017年5月14日に掲載された記事をアップデート
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2022.05.02