俗に、歴史は後から作られるという。
80年代のアイドルシーンを語る時、「花の82年組」というワードは外せない。いわゆる1982年にデビューしたアイドル黄金世代である。中森明菜を筆頭に、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、三田寛子―― 確かに粒ぞろいだ。
しかし、である。改めて振り返ると、1982年当時、アイドル界は松田聖子が3年目を迎えて髪型を聖子ちゃんカットからショートに変えた年で、1月にリリースされた「赤いスイートピー」からユーミン(呉田軽穂)を作家陣に加え、「渚のバルコニー」に「小麦色のマーメイド」と、まだまだ聖子全盛期だったと記憶する。
その他の印象としては、81年暮れに公開された映画『セーラー服と機関銃』と同名主題歌の大ヒットで、薬師丸ひろ子ブームが到来。しかし、彼女自身は大学受験で休業宣言してしまい、82年、ファンは飢餓感からブームに更に拍車がかかる事態に――。
その穴を埋めるべく同年、角川映画が行なったオーディションで特別賞を受賞したのが原田知世だった。
そうそう、女子大生ブームが幕開けたのも82年だった。ラジオの文化放送で『ミスDJリクエストパレード』が始まったのが前年10月。成城大の千倉真理や青学の川島なお美らパーソナリティがアイドル的人気を博し、この年「女子大生」がブランドになった。
ブームは翌83年、フジテレビの『オールナイトフジ』に引き継がれる。
―― そんな次第で1982年当時、肝心の「花の82年組」たちは、リアルタイムの印象はさほど強くなかったと記憶する。なぜなら、彼女たちがオリコンで初めてベスト10入りするのは、翌83年初頭にリリースされたシングルから。
小泉今日子「真っ赤な女の子」、堀ちえみ「さよならの物語」、早見優「夏色のナンシー」、石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」―― 奇しくも、いずれも5枚目のシングルだった。
かくして、「花の82年組」はやっとスポットライトを浴びた。そして歴史は上書きされたのである。あたかも彼女たちがデビュー1年目から人気を集めていたように。ただ一人、中森明菜を除いて――。
そう、中森明菜。花の82年組で、ただ一人1年目からオリコンのベスト10入りを果たし、あまつさえ1位も取った大スター。そう、リアルタイムで82年から売れていたのだ。その歴史に偽りはない。
少々前置きが長くなったが、今回はそんな中森明菜のデビューアルバムに関する話である。
そのタイトルを『プロローグ<序幕>』という。まさに大スターの登場に相応しい名前だ。リリースは1982年7月1日。今回、あえてファーストアルバムではなく、「デビューアルバム」と呼ぶのには、少々理由がある。
ちなみに、デビューシングルはご存知「スローモーション」で、リリースはアルバムからさかのぼること2ヶ月前の5月1日。シングルを1枚出して、その2ヶ月後にアルバムをリリースするタイミングは、ちょっと早い気もする。
それというのも、当時のアイドルのアルバムと言えば、シングルを2、3枚出したタイミングで、それにいくつか新曲を足して、コンセプトをまとめて1枚のアルバムに仕上げる―― という手順の代物だった。あくまでシングル優先で活動していたのである。
それに対し、世のアーティストと呼ばれる人たちは、アルバムを中心に活動が回っていた。大抵、アルバムをリリースした後に、そのタイトルを冠したツアーが始まる。シングルはあくまでアルバムのプロモーション的位置づけ。ゆえに「先行シングル」と呼ばれた。
そう、先行シングル――。鍵はここにある。
中森明菜もアルバム『プロローグ<序幕>』でデビューして、その先行シングルとして「スローモーション」がリリースされたと考えれば、そのタイミングに違和感はない。
事実、同アルバムに収録される10曲のレコーディングが行われたのは、明菜のデビュー前の1982年2月。それもLAである。
デビュー前の新人アイドルがLAでアルバムをレコーディングする―― まるでアーティストである。スタッフの先見の明に感服する。
そして帰国後、アルバム曲の中からデビューシングルの選考が行われた。候補は、「スローモーション」「銀河伝説」「Tシャツ・サンセット」「あなたのポートレート」の4曲。
最後まで「スローモーション」と争ったのは「あなたのポートレート」だったと聞く。ちなみに、どちらも来生えつこ・たかおの作品。よく誤解されがちだが、2人は夫婦ではなく姉弟である。
もし―― 歴史に「if」が許されるなら、デビュー曲に「あなたのポートレート」が選ばれていたら、その後の明菜の人生はどうなっていただろう。
軽くウェーブしてる 前髪がとても素敵
そっと盗み撮りしたの あなたのポートレート
同曲はいきなりサビから入る。その美しいメロディラインに、僕らは一瞬で歌の世界に引きずり込まれる。
あの日にボートがぶつかって
帽子を落としていなければ
他人のままで こんなときめきもない
恋は信じられない 偶然
まるで青春映画の1シーンのようだ。絵画的な描写は、タイトルの「ポートレート」にも通じる。正直、「スローモーション」と優劣つけがたい。同曲がアルバムのA面一曲目に採用されたことが、そのクオリティの高さを証明する。
アルバム『プロローグ<序幕>』は、全般に16歳の少女・中森明菜のフラットで素直な歌声が印象的である。そこには等身大の少女の姿が見える。セカンドシングル「少女A」以降のどこか大人びた、陰のある歌声とは一線を隔す。感情表現や技巧に走っていない分、逆に聴き手の創造力を掻き立てる。
以前、八代亜紀さんがあるトーク番組で「歌に感情を込めない」という趣旨の話をしていた。曰く「感情を込めると、歌は歌手自身のものになる。だが、感情を込めずに曲の世界観だけを伝えると、聴き手がそこに自分を投影する」と。
実際、銀座のクラブ歌手時代、感情を込めないで歌ったところ、ホステスたちが急に泣き出したという。
1982年7月12日、アルバム『プロローグ<序幕>』はオリコン初登場7位にランクインする。新人アイドルのデビューアルバムとしては上出来だ。この時点で、アーティスト・中森明菜のデビュープロジェクトはほぼ成功を収めたと言っていいだろう。
だが、歴史は思わぬ急展開を見せる。
翌13日、彼女は17歳になる。そして2週間後、セカンドシングル「少女A」がリリースされる。
いわゆる普通の17歳だわ
女の子のこと 知らなすぎるのあなた
17歳になった中森明菜が、同曲で一躍スターになるのは歴史の事実である。
実は、「あなたのポートレート」はセカンドシングルでも、最後まで「少女A」とシングル候補を争ったと聞く。
もし―― 歴史に「if」が許されるなら、セカンドシングルに「あなたのポートレート」が選ばれていたら、その後の中森明菜はどうなっていただろう。
2017.05.14
YouTube / northjapantv2012
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