ジョージ・オーウェルの小説か、はたまた村上春樹の1Q84か。今にして思えば1984という年はひとつの転換点だったと考えることがある。
日経平均株価は1万円を超え、夏にはロサンゼルスオリンピックが開幕。テレビのニュースはグリコ・森永事件とロス疑惑を過剰なまでに伝え、女子大生の髪型はボブが大人気、男の子はだいたいスタジアムジャンパーを着ていた。音楽に目を向ければ、マイケルがグラミーの8部門を受賞し、松田聖子のサウンドプロダクションは完全にアイドルのそれを超越していた。
年末にはマハラジャが麻布十番にオープンして、大晦日の紅白では都はるみが引退、その視聴率は未曾有の78.1%を記録した。ユーミンのアルバム「ノーサイド」や大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」、アン・ルイスの「六本木心中」もこの年に発表されている。そうそう、アップルがマッキントッシュを発売したのも1984年だった。
なんだろう。バブルに向けて準備完了、といった言葉が適切かどうかは分からないが。
話がそれた。そんな1984年の12月21日、吹田明日香の「ライク・ア・ヴァージン」は発売された。本家マドンナのアルバムは前月の28日に日本発売。そこから1ヶ月経たずしてのシングルリリース、速攻である。レーベルが同じワーナーという理由もあるだろう。とは言え、彼女はなぜ「ライク・ア・ヴァージン」をカヴァーするに至ったのだろうか。
そもそも吹田明日香は同志社大学在学中に『スター誕生!』に応募し、グランドチャンピオンになった人である。アイドルとしてのデビューは遅い。シングルのディスコグラフィは下記の通りで、デビュー曲はシティポップ風の名曲ではあったが、セールス的には芳しくなかった。
■ 1983年6月 「バ・ケー・ショ・ン」(作詞:来生えつこ・作曲:来生たかお)
■ 1983年9月 「聖書—バイブル」(作詞:岩里祐穂・作曲:岩里未央)
■ 1984年4月 「二人はMagic」(作詞:橋本淳・作曲:杉本真人)
作家陣の変遷だけ見ても、迷走していたことは明白で、スタッフも悩み、考え抜いたことだろう。想像ではあるが、狙うはキャニオンの川島なお美、そしてオールナイターズだったのではないだろうか? そう、彼女たちの間を縫う女子大生的なポジション。
がしかし… 時代は変わりつつある。
であるならば先んじよう、そして賭けに出よう、違う路線にシフトチェンジ! 同じレコード会社という強みを活かして「ライク・ア・ヴァージン」をカヴァーしよう! イマなら訳詞は売野サンでしょ! って。
うん、勇気ある英断だと思う。
もうちょっとだけビートが強ければ売れたな。
2016.02.11