第2回
歌って踊って魅せることが田原俊彦。僕の一番大好きな仕事だからねツアーでは新しい一面を見せなくてはいけない
― 今回の7月からのツアーについて意気込みを聞かせてください。
田原:今ちょうど曲を選んで、ミーティングを2回ぐらいやって、ああしよう、こうしようと詰めている時期です。絶対歌わなくてはいけない曲というのがもちろんあるけど、そればっかりだと、毎回きてくれるお客さんは「この並び飽きた」とかあったりする。でも、なかなかいけない場所に行くなら、やらなきゃいけないよね。新しい一面を見せなきゃいけないということで、オープニングに「夢幻LOVE」をドーンと持ってきたりとか、ジャジーな曲やロックテイストなコーナーを作ったりだとか、あとは、今ホームページで「アルバム曲限定で歌って欲しい曲3曲送って」と言ったら500件ぐらいリクエストが来たみたい。だから、今から統計取って、グラフを作って、これから選んでいきます。その中には、こんな風に出来るな… とか、僕に気付きを与えてくれるものもある。
概ね曲出しは終わったんですが、これからプラスアルファで入れる曲も考えます。
― アルバムの中の曲って、ファンにとっては嬉しいんですよね。
田原:そうなのよ。ファンにしてみれば、アルバムごとに、自分が中学生の頃を思い出したり、社会人になったばかりの頃を思い出したりとかね。1枚ずつのコンセプトも違うから、夏がテーマだったり、男っぽさがテーマだったりあるじゃないですか。その1枚1枚の中からどんな曲が飛び出てくるのか僕も楽しみにしている。
― 田原さん、男性ファンも多いですよね。
田原:年々増えていますね。やっぱり僕が二十代の頃は99.9%女の子に占領されていたけど。たぶん当時も、観たいと思っても来られなかった男性ファンがいたと思うんですよ。僕らが沢田研二さんを好きになったように、永ちゃんを好きになったように… ね。
僕は、一番最初に観たライブは、永ちゃんがいたキャロルだから! 山梨学院大学の体育館にキャロルが来たの。中学1年生の時。ピチピチのスリムのパンツを穿いて観に行った(笑)。すごかったね! スターのライブを観るなんて初めてだったから。
当時に比べて、男性のお客さんが来やすくなったというのもありますね。「あ、トシちゃん、今なら行ってもいいんじゃない? 嫁と行こう」とかね。それが一番分かるのがディナーショー。ディナーショーは男性も来やすいじゃないですか。最近のライブでも2割ぐらいは男性もお客さんだね。地方に行けば行くほどいるみたいなね。
― 三十代ぐらいの男性のお客さんも多いですよね。
田原:それは、僕のダンスっていう部分で面白いなと思ってくれる人だと思う。今はYouTubeで昔の「ジャングルJungle」とか、あの辺のダンサブルな曲が観られるからね。
あの時代にあんなPV作っていたんだって自分でも早すぎたと思う。今観てもカッコイイもんな。これ30年以上前に作っていたからね。
― ディスコでもかかっていましたからね。「It’s BAD」とか「抱きしめてTonight」とか、めちゃめちゃ盛り上がっていました。キラーチューンで “ドカーン!” とくるときは田原さんの曲でした。
田原:時代もバブルだったからね(笑)。
80年代はいろんな方が田原俊彦で遊んでくれた
― 毎年欠かさず新曲もリリースされていて、常に現在進行形で後ろを振り返ることなく新しい作品をリリースされてきたと思いますが、シンガーとして、普段意識していること、日常心掛けていることはありますか?
田原:それは、毎年毎年、“新しいこと” を考えますね。今回の新曲で言えば、ここ最近はダンサブルで派手な曲が多かった。それで、還暦パーティが終わったんで、また新たにこれから古希に向けての10年をどういう風に階段を登っていくかを考えて、ちょっと1回落ち着こうということで、こういうゴージャスでジャジーな雰囲気の曲になった。
「僕は何になりたいんだ?」って考えた時に70歳で黒いタキシードを着て3回転してヨロヨロっていうのをやりたいなと。「それはフランク・シナトラか?」みたいに。そのイメージでこの曲は発注をかけたので、僕としては思い通りの作品になった。作詞は松井五郎さんで最終兵器はアレンジの船山(基紀)先生がいるんで。「これぞニューヨーク、ビッグバンド!」という、それをやりたいなと思っていたので。それが上手く行ったのかな。
今言ってはおかしいけど、また来年は違うことを考えなくてはいけないし。毎年毎年、新しいチャレンジをしていきたい。そういう意味では、本当に恵まれた環境にあって。80年代は筒美京平先生、阿久悠先生… 大沢誉志幸さん、久保田利伸さん、宇崎竜童さんも然り、いろんな方が田原俊彦で遊んでくれたので…。
今回、ここまで来るまでも、この10年間だけでも、綾小路(翔)君に頼んだり、日高(光啓)君(SKY–HI)とコラボしたり、「今の風も感じながら、これから何が来る?」とか色々考えますよね。
― 氣志團万博にも出られましたよね。綾小路さんとか若い世代からのリスペクトも多いと思います。
田原:最初は怖かったけどな(笑)。ああいうフェスはやったことがないので。綾小路君は「Mr.BIG」という楽曲で10年前に一緒にやっているので。それで声かけてくれて。だから、「行こうか!」と。まぁ盛り上がったね!あの時も知らない曲からやってやったから。「NUDE」のカップリングだった「海賊」からだから。
僕はファンがいなければ、成立しない男だから。そこが僕の生きる道。
― 話は変わりますが、前作「HA-HA-HAPPY」の時も田原さんらしいなと思いました。田原さんのキャラクターをキャッチーにまとめた大名曲だと思いました。
田原:岩里祐穂さんの詞がそうだからね。岩里さんは網倉一也さんの後輩なんだよね。80年代から知っている方なんで、僕のことを絶対に客観視してくれているわけであって。
岩里さんは一昨年のライブに来てくれて、会場の雰囲気が分かるじゃないですか。僕とお客さんとの謎の空気感が。それを客席に座って感じたのが「HA-HA-HAPPY」の歌詞なんですよ。
しぶとく恋せ
乙女ら かっこつけてよろしけりゃ
あの世でもよろしく
―― というね。
― 田原さんとファンのコミュニケーションって、すごく自然体ですよね。すごく距離が近い感じがしました。
田原:ファンは、本当にシビアに見てくれている面もあるし、僕のことを大切に思ってくれているんでしょうね。
― 田原さんもファンを大切にされていますよね。
田原:僕はファンがいなければ、成立しない男だから。そこが僕の生きる道。歌って踊って魅せることが田原俊彦。僕の一番大好きな仕事だからね。しかもナマのステージ。それに勝るものはないでしょ。
― ファンの期待を倍以上にして返してくれるというか…。
田原:そうだね。やっぱりそういう思いで僕らも取り組むし、さっき言ったように「昔はカッコよかった」と思われたくないから。「え? 進化してない? このジジイ」って思われたいから(笑)。それが、「来年も行きます!」に繋がるじゃないですか。だから気を抜かずに前回以上にやりますよ。
「なんだ残念。もういい」と思われたら癪に障るじゃない。やはりチケット代分の付加価値をつけて、満足して帰ってもらいたいしね。みんながこの場所に来て、日頃のフラストレーションを一瞬でも忘れて、夢の世界へ… ということだと僕は思います。それで明日からの日常へのエネルギー、活力になってもらえれば嬉しいです。
― 明日頑張ろうって思いますからね。
田原:それは男に多いのよ。「俺も頑張らなくてはいけないと思いました」ってみんな言うから。そう言う風に受け取ってもらえるのは嬉しいね。
テレビでは伝わらない人柄、人間力
― 僕は去年のライブで久々に田原さんの歌を聴いて、ダンスを見てビックリしました。
田原:みんな舐めてかかってくるんだよ(笑)。「歌も大したことないし、ダンスもヨボヨボじゃねーか」っていう思い込みを凌駕した僕が、目の前にいるので。
僕も他のアーティストって外タレぐらいしか見ないじゃないですか。日本のアーティストだと、さっき話したキャロルと沢田研二さんと浜田省吾さんぐらいだから。だから、どんなショーをやっているのか知らないので。だから、俺のショーはどんな感じなんだろうなって…。
― すごくエネルギーが伝わってくるショーだと思いました。ここまでやるのには、相当細かい部分まで詰めないと出来ないだろうなと思いますから。あくまでもショーでありながら無駄な部分を削ぎ落としたソリッドな印象もありましたし、それは並大抵ではないと。
田原:そうだね。あれは、1年で出来上がるわけではないから。
― 40年以上かけて積み重ねてきたものだと思います。だから今が一番良くて、来年がまた一番良くなると思います。
田原:僕もそうありたいと思っているんだよね。あれはテレビでは伝わらないよ。人間力、人柄っていうのは難しいじゃないですか。30分とかの番組では伝わらない。やっぱりナマで観て、ナマの歌を聴いて、そこで喋ること、発信すること、そこで初めて僕の人となりを解ってくれるから。
― MCもすごく印象的でした。
田原:面白いでしょ! 台本は全くないからな。ジャニーズ時代も何喋ればいいか分からなくても、ジャニーさんから、「自分で考えろ!」と言われていたから。
MCは大したことを言わないし、ふざけたことしか言わないし、でも、パーンと歌い出す、踊り出す時のギャップが良いんだよ。
28歳の時は上手に喋れなかったんだろうけど、38、48、58となって、今年もまた違うニュアンスで喋れるんじゃないですか。
― 今回リリースされる78枚目の新曲、「ロマンティストでいいじゃない」のMVを観させてもらいました。
田原:あれ、10回以上撮り直したのよ。俺が納得しないからさ。広い場所で階段があって。大変だったよ。みんな頑張ったよな。でも楽しかったよ。
― 昔の『ザ・ベストテン』というか、80年代のテレビっぽい感じもしましたし、歌の世界観に合っていました。
田原:この曲は僕にしか歌えない世界観だし。ダンスも振り付けじゃないからね。僕のフリーダンスだからね。他のヤツじゃ出来ないからね。
― 今40年以上のキャリアの中で辛かった時期もあると思うんです。そういう時はどうやって乗り越えていきましたか?
田原:全く変わらないよな。東名阪でしかライブをやれない時が10年ぐらいあったよね。ここ12、3年だもんね。何箇所もやれるようになったのは。でも自分の中で、ステージに関してはいつもベストでやってきたし。ただ、僕はエンターティナーではない人間、プライベートでの田原俊彦としての生活があったので、結婚、子供と過ごす時間、それもひとりの人間として、良い時間を過ごせたと思っているし。自分の中で充実した時間を過ごせたと思いますね。でもそれは、ファンみんなもそうなんだよね。
僕が結婚して、みんなも今度は結婚する。僕は33歳で結婚したけど、みんなは25歳前後で結婚したとして、そこにリアルな現実があるわけだから。出産があって、仕事があって、で、僕が還暦を迎えたと同時にみんなも子供たちが成人して、自分が自由に使える時間が出来て…。そうやって帰ってきてくれる人がたくさんいますね。そこで、僕は、変わらない田原俊彦でいるから。
(取材・構成 / 本田隆)
【次回予告】田原俊彦の今、そしてこれから。第一線のエンターティナーであり続けるために何を考え、どのように先を見据えているのか? 次回最終回です。
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2022.06.25