第3回
ステージで返す。そうやって田原俊彦という商標登録を輝かせないと。それで、客を呼べる男じゃないとね。田原俊彦という役割をこなすのが僕の人生だから
― しばらく田原さんのライブを観なくて、久々に観たら、以前よりもすごい田原俊彦がいるわけですよね。すると、ファンはずっと好きでよかったなと思いますよね。
田原:ファンも僕も人生を送る中でお互いに必要な時間があって、それで戻ってきてくれるのは嬉しいよね。
― そういう中で進化して、エンターテイナーとしてやられていると思うのですが、その中で自分自身を磨くというのは、すごく大事なことだと思います。普段自分を高めるためにどのようなことをやっていますか?
田原:何もやってないのよ。ごめんね(笑)。でも最近思うのは、普段、リハやって踊って、ツアーやるというのは普通のことなんだよね。田原俊彦という役割をやることが僕の人生だから。
僕は、スポーツ選手みたいにストイックになることがないんですよ。何か我慢しなきゃとか、これはやっちゃいかんなとか、ここでケーキ食ったらまずいだろとか、今日は寝なきゃダメだろうとか、完全に無視するよ。
― 僕はアスリート的な部分が必ずあるのだと思いました。
田原:それ、女の子がよく言うのよ。「絶対にジム行ってるでしょ」とか、「絶対隠れて腹筋とか、してるでしょ」とかね。全くしてないからね。あはは。
ただ、コロナが来る前にはストレッチだけはしていた。ストレッチよ。ランニングマシンもしてないし、筋トレもしてないし。それは踊りに必要のないものだから。しなやかに踊るために必要なのは、質の良い伸びのある筋肉だから。
― やるべきことが決まっているから、そこに全てを集中させているということですね。
田原:そう。これがルーティン的になっているから。さっきも言ったようにコンサートがあって、ディナーショーがあって、新曲作って、ツアーの準備をして。その間に違った営業やテレビの仕事が入ったりとかするので。どの仕事でもリハがあるじゃないですか。だからそうやって考えると、1年の中でゆっくり身体を腑抜けにさせる時間がないので。でも、それが僕なので、当たり前になっている。“職業・田原俊彦”であるためにメンタルが出来上がっているんだよね。
― それは、デビュー当時から変わらずということですね。
田原:デビューした頃は、忙しくてそれどころじゃなかった。俺を寝かせてくれ! って感じだったから(笑)。そういう時期が10年はありましたね。それにあの頃はいろんなタイプのタレントやアーティストがいなかったから、僕が全局駆けずり回らなきゃいけない時代だったので。
今は好き放題フリーにやらせてもらっているように見えるけど、我慢しているところは、きっと我慢しているからな。行ってはいけない場所には行かないとか、これはやめておこう… とかね。
― スターであり続ける苦悩というか…。
田原:どうなんでしょうね。僕はやり続けているから分からないけど…。それよりいい思いがたくさんあるから。でも、スターで居続けるという欲は無くなってはいけないと思うから。
アイドル “トシちゃん” を今も楽しんでいる
― 今は還暦を超えられて、今回のシングルもそうですが、大人の魅力というか、年齢を超えたエンターテイナーの魅力が大きな要素になってきたと思います。逆に“アイドル・トシちゃん” という側面で喜んでくれるファンも多いと思います。そういうところで無理をしている部分はありますか?
田原:ない! ないよな。ステージ観ればわかるだろ! あはは!
― 分かります(笑)。
田原:そこを楽しんでいるからね。かっこつける時もあるし、アイドルでいる時もある。さすがにバラードではふざけないからね。でも、「ラブ・シュプール」だとめっちゃ弾けるじゃん。二十代後半ぐらいの男ってかっこつけるじゃない。僕も調子に乗っていたから。ゴメンね、ほんと(笑)。そういう時期ってあるじゃない。男は特にね。
― そこも踏まえて全てが今の魅力になっていますよね。
田原:ここを通過してね。放棄しなかったから今があるんでしょうけど。何よりも僕には、素晴らしい楽曲という財産があるので。やっぱりこれが僕の宝物なので。
― 田原さんの楽曲には、多彩なジャンルもありますよね。ニュー・ジャック・スウィングがあったり…。
田原:そうそう。「海賊」ね。あの時はボビー・ブラウンがいるニューエディションがカッコよくて。それで「海賊」が出来たの。
― 「海賊」のように、カップリング曲でも素晴らしい楽曲がたくさんありますが、田原さん自身、思い入れの深い曲を挙げるとすれば、何になりますか?
田原:自分が思う歌と、みんなが期待している歌とは違うんだよね。僕は「君に薔薇薔薇(…という感じ)」とか好きだけどね。あのソウルな感じね。あれはジャクソン5みたいなものだけど。京平先生でしょ。京平先生の初めての俺の作品じゃない?
― 今回の「ロマンティストでいいじゃない」は「チャールストンにはまだ早い」の流れを感じました。
田原:系統的にはね。「夢であいましょう」とかね。
― 今まで様々なジャンル、バラエティに富んだ楽曲をやられてきて、日本の音楽シーンについてどのような意見を持っていますか?
田原:分かりやすく言えば、あいみょんとか、米津(玄師)君とか自然と耳に入ってくるからさ。エクザイルもそうだし。耳に残る曲もあれば、そうでない曲もある。でも多すぎてなぁ…。
― ジャンルがかなり細分化されていますからね。韓国のアーティストとかはどうですか?
田原:そりゃ、TWICEが好きだから聴いてるよ(笑)。あはは。なんでBTSじゃないんや! と思うだろ(笑)? BTSも観るけどね。JYPもそうだけど、男性のアーティストとしては、「どれだけすごいんだ!」と思うよ。ここ2年ぐらいは観ているね。「こんなことやっているんだ、なかなかやるなぁ」とかね。
― 田原さんは音楽の取り入れ方にも大御所として構えているのではなく、現役感がありますよね。
田原:そうですね。時代の流れというか、それは意識していますね。
― それはステージでも生きていますよね。だから若い世代のファンも多いんだと思います。
田原:今はYouTubeとかで古い映像とかも観れるからだだよね。「こんなことやってたんだ」みたいに。
テレビがど真ん中の80年代、みんな僕で遊んでくれた
― 少し前に還暦前夜のライブをNHKでやっていましたよね。
田原:あれ2日で撮ったんだよね。死にそうだったよ(笑)。音合わせ、リハ、本番、音合わせ、リハ、本番、何回歌ったか(笑)。
― あれを観た若い子がめちゃめちゃ感動しているみたいです。そこから田原さんの楽曲にのめり込んでいくと。
田原:面白いからじゃない? 今観ると斬新な部分があったかもしれないよね。「It’s BAD」も「チャールストンにはまだ早い」もいい曲だもんな。踊りの方が長いけど(笑)。
チャールストンは踊りが2パターンあるから。Aパターン、Bパターンがあってさ、今回はこっちでやろう… とか。(夜の)ヒットスタジオで「今日はAで行く」とかさ。「ジャングルJangle」も外人バージョンとか色々あったよね。外人のダンサーと踊ったりとかね。
80年代っていうのは、テレビがど真ん中の時代で、みんな僕で遊んでくれたから。今はネットだもんね。
― 田原さんはテレビが主軸だった時代、ど真ん中の我が道がありましたよね。そんな中で、自分のライバルだと思える人はいましたか?
田原:ライバルだと思った人はいないかな。でも僕は沢田(研二)さんが大好きで、対談させてもらったというのもあった。めちゃめちゃ緊張したのも覚えている。あの人、80年代にはパラシュートつけたり、メイクしたりしていたからね。「すごいな」っていつも思っていたかな。
僕がジャニーズ卒業してから大活躍したのはSMAPだもんね。あれから色々な子たちがバーッと出てきて… すごいよね。TOKIOとか、嵐とか… 続いたよね。エクザイルも20年超えたし。
― エクザイルも田原さんの影響が大きいですよね。
田原:サウンド的にもそうだしね。ジャニーズとは違う、現在のプロフェッショナルなグループだよね。ダンスもやって、あれだけ広めて、日本のダンスシーンにしっかりとしたレールが出来たからね。若い子たちも育てているし。
勝ち残るのは田原俊彦ですよ!
― 田原さんはエンターテイナーとして、これから先、どのような着地点を描いていますか?やはり、生涯現役を貫きたいと考えていますか?
田原:そう思うけどね。分からないよ、こればっかりは。70歳までは、今の田原俊彦のままで行きたいけどね。
― ファンもそれを望んでいると思います。
田原:そうなんだよね。ただ、観せ方を変えて行かなくては… というのはありますけどね。
― 年齢を超えていかなくてはいけないという部分も含めてですか?
田原:いずれはそういう時が来るんでしょうね。まだ、そうは思ってないですけど…。65歳からだよね。そこからの5年間をどのようにやっていくかだね。
― そういえば、ふんどし写真集も出されましたよね。
田原:出したよ! ゴメンね。あはは!
― この企画をOKされたというのは?
田原:ウチのスタッフから、「還暦に何かメモリアルなことをやったら?」と提案があって。それでTik Tokを始めよう、還暦ライブをやろう。写真集も久しぶりだからやってみたら? … と。それで講談社のフライデーチームとやることになった。
― 今のご自身を見せたかったということですね。
田原:まぁね。見せたいというか、ファンの方へ一つの気持ちとして。
― こうやってお話を聞いていると、田原さんのファンへの想いは本当に深いですね。
田原:そうなのよ。それはファンのみんなも分かってくれていると思うけどね。デビューして長いからな。そうなるのは必然だし。でも、その時代、時代で好きになるアーティストがみんな出来ているとは思うよ。
― それでも戻ってきて、やはり最高! と思わせるステージを続けているんですよね。
田原:うん。結果はそうなったね。そして、60歳になってもこれからだと思っているから。勝ち残るのは田原俊彦ですよ!
…… 言っちゃった(笑)。自分で! あはは! でも、そうでなきゃダメじゃない。「トシちゃん最高!」それを具現化させるためにいい汗をかいていく。
― すると、これからも今までのようなヘビーなツアーを続けていくということですね。
田原:そうですね。お客さんがいる限りはステージに立てたらいいなと思っています。
― 最後にファンにメッセージをください。
田原:愛してます! なんつって。あはは! でも、ウチのファンは頑張るからな。配信でも1位を取らせてもらったし。
― 田原さん、ネットも圧倒的に強いですからね。
田原:濃いのよ。ウチの客は。俺が捕まっても拘置所に来てくれるよ(笑)。
そのぐらい愛してくれていますよ。そのためには良いステージを作らないと。だって、手を抜いたら絶対に見破られるからね。そのぐらい深いからヤツらは。
― それ以上のものを魅せるということですよね。
田原:そういうこと。ステージで返す。それって一番大切じゃないですか。そうやって田原俊彦という商標登録を輝かせないと。それで、客を呼べる男じゃないとね。
(取材・構成 / 本田隆)
「70までは、今の田原俊彦のままで行きたい」「勝ち残るのは田原俊彦ですよ」そう笑い飛ばすトシちゃんだが、その背後に確実に存在するプロフェッショナルな姿勢、努力、そしてエンターティナーとしての意識の高さは、想像を超えるところにあった。そしてインタビュー中の気遣いも忘れられない。気取ることなどなく、常にリラックスしたムードを率先して作り出してくれ、ひとつひとつの質問にも真摯に答えてくれる。テレビではなかなか感じ取ることのできない、職業・田原俊彦の魅力を存分に感じ取れるインタビューになりました。
特集! 田原俊彦

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2022.06.26