12月1日
自らの存在を否定することからスタートした尾崎豊のロックンロール
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ロックンロールの正しい聴き方というのは、必然の偶然。ラジオから流れるその曲のワンフレーズに心かき乱され、思わずボリュームを上げるというシチュエーションだと思う。ボリュームを上げたその一瞬は、誰にも、何にも囚われない、自由を手に入れた瞬間だ。尾崎豊の「15の夜」も例外ではなかった。

中学生から高校生にかけて、深夜ラジオを聴くというのが、僕の日課になっていた。新しいロックンロールとの出会い。それだけを求めて、深夜1時からは、佐野元春がヘビロテされていた文化放送の『ミスDJリクエストパレード』。そして、3時からはオールナイトニッポン。じゃあ、いつ寝てたんだと聞かれれば、学校の授業中である。そのおかげで、僕は、現役の時、大学受験にすべて失敗している(笑)。

閑話休題。そのオールナイトニッポンの中でも火曜深夜の白井貴子がお気に入りだった。その中のワンコーナーに「尾崎豊コーナー」というものがあった。彼のデビュー直後、同じレコード会社の所縁ということで、プロモーションの意味も含め、そんなコーナーがあったのだと思う。

当時の尾崎は、83年にファーストアルバム『十七歳の地図』をリリースしたものの、プレスされたのは、わずか2000枚にも満たない枚数だった。そんな中、尾崎の今を伝え、曲を流すというシンプルな構成だったが、共感者としての彼女の熱の入れ方が十分に伝わってきた。尾崎豊ブレイク直前。真夜中の出来事である。

「今日、尾崎君が青山学院高校を退学しました!」なんて、リアルな状況を話しながらOAされる「15の夜」はまた格別の意味があった。


 大人達は心捨てろ捨てろと言うが
 俺はいやなのさ
 退屈な授業が俺達の全てならば
 なんてちっぽけで なんて意味のない
 なんて無力な
 15の夜


ここではない何処かに行きたい心情、そして、周囲への反抗。これがロックンロールの初期衝動だとしても、自らの存在をも否定することからスタートしたのは僕にとって、尾崎豊が初めてだったと思う。そして、だからこそ心惹かれたのだと今になって改めて思う。

15歳の自分を振り返ってみると、ただひたすら音楽を聴き、自由の象徴であるロックンロールを追い求めていた。バイクを盗んだり、夜の校舎窓ガラス壊してまわったりしなかったが、年をごまかしてバイトばかりをやっていた。

レコードにつぎ込み、ファッションにのめり込み、憧れのロックスターと似たような服を着た。それは、なんてちっぽけな、なんて意味のない、なんて無力な自分の存在証明だっただろう。

そして、尾崎は『十七歳の地図』の中の名曲「はじまりさえ歌えない」でこんなことを歌っている。


 カラカラに乾いた喉
 へたばるまで走るのかい
 ひとりぼっちの汗は
 誰も眼にもとまらない
 蒸し暑い倉庫の中で 30分の休憩をとり
 つめ込むだけのメシを食べて
 届かない窓に手を伸ばしている


高校に入学し、16歳になっても自分は、アルバイトばかりをしていた。新宿の三越の脇にあったサーティワンアイスクリームでバイトしている時、二畳もない蒸し暑い控室で休憩をとった。その時の心情はまさに尾崎のこの歌にあった。尾崎は「誰の眼にもとまらない」と歌う。誰の眼にもとまらないからこそ、自由になれるのだ。反抗は、誰かを越えるためにするもではない。ちっぽけな自分の存在を直視し、新たなスタートを踏み切るための決意表明だということを知った。

この後、尾崎豊は周知のようにカリスマと崇められスターダムをのし上がっていく。しかし、それからの彼の音楽を聴いていない。


 自由っていったいなんだい
 どうすりゃ自由になるかい
 自由っていったいなんだい
 君は思う様に生きているかい


こう「Scrambling Rock’n Roll」の中で歌っていた尾崎は本当に自由になれたのだろうか。晩年、創作活動に行き詰まり悩む尾崎は、今も活動を続ける大御所ロックバンドのリーダーに「どうすれば〇〇さんのようにロックンロールだけを続けられるんですか?」と悩みを打ち明けたことがあるという。

人づての話だから真偽は定かではない。もちろん、真実だとしても、そこでどんな会話があったのかというのも分からない。しかし、尾崎豊が最後まで自由の象徴であるロックンロールに向き合っていたことだけは確かだ。



歌詞引用:
15の夜 / はじまりさえ歌えない
/ Scrambling Rock’n Roll
尾崎豊

2017.09.04
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  YouTube / be58478 
 

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カタリベ
1968年生まれ
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