4月5日

遂にブレイクしたRCサクセション!森川欣信&宗像和男インタビュー ③

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ジョン・レノンに捧げる。クリスマスの渋谷公会堂に響いた「ヒッピーに捧ぐ」


-4月に久保講堂で録音した音源が6月には『RHAPSODY』としてリリースされますよね。その年(1980年)、ジョン・レノンが凶弾に倒れた直後の12月25日に渋谷公会堂のライブがあったと思います。その辺のことは覚えていらっしゃいますか?

森川:覚えていますよ。すごくよく覚えている。結局、あの時は、渋谷公会堂までは上り詰めているという確信がありましたよね。『PLEASE』も出ていたし、80年の秋の学園祭はすごかった。どこでやってもライブハウス状態になって、いよいよRCが盛り上がってきたという時でした。
それで、12月9日(日本時間)ジョン・レノンが亡くなった日、RCは渋公に向けてリハーサルを渋谷の並木橋にあるスタジオでやっていました。その日の昼間、正午ぐらいにジョン・レノンのニュースが伝わってきて、チャボからすぐ電話があったんです。それで、後でとにかくスタジオで会おうと。それでスタジオに行ったんです。みんな、あまり言葉にはしなかったけど、落胆しているのが分かりました。特に僕とチャボはビートルズの話をよくしていたので、すごくショックでした。その時、渋谷公会堂で何をやろう? という話になって。『シングル・マン』に収録されていた曲はそれまで「スローバラード」しかやっていなかったから、「「ヒッピーに捧ぐ」をやらないか?」と、僕が言い出しました。

― 森川さんの提案だったのですね。

森川:ちょうどジョン・レノンが亡くなって、僕は、ある意味ジョン・レノンに捧げる曲を清志郎がやるのだったら、「ヒッピー」じゃないかな… と。あの歌詞に出てくるヒッピーはジョン・レノンではないけれど、挽歌というか、追悼歌だから、僕は渋公でそれを聴きたいという話をしました。
「ヒッピーに捧ぐ」はライブでやるのは初めてだったのかもしれない。もしかしたら3人の時にやっていたかもしれないけど、新しい形になったRCでは初めてだった。だからこそ、ヒッピーをやろうと。それで、チャボが「ジョン・レノンに捧げる」というMCを添えてやったんです。

― あの時に渋公にいたスタッフ全員、ロビーにいた物販の人も全員がステージに押し寄せたという話を聞いたことがあります。

宗像:あの日は、チケットも全て売り切れて、入れないファンが周りに500人くらい残っていました。会場の音が少し漏れてくるのかな?「ヒッピーに捧ぐ」のイントロが流れた時に外にいたファンがワーっとなだれ込んできた。あの頃の警備って緩かったじゃないですか。それで、警備員は押し返そうとしますが「この曲だけは聴かせてくれ」と懇願して、「ヒッピー」が終わったら、みんな、大人しく外に出たという感じでした。

森川:今は、座席の指定でしか入れないけど、立ち席というのがあって、通路に立って観ていたのね。だからみんな身動きできないのね。

宗像:ファンがステージに飛び乗ってくるというのもよくありました。コンサートが中断になるというのもずいぶんあったよね。

清志郎の夢、1981年の武道館公演「これを清志郎に観させてあげたいな」


― そこから初の武道館公演まで1年ですよね。

森川:本当はあの時点でも武道館だって出来たと思う。学園祭から年末にかけて、RCの人気が急速に広まったでしょ。だから、あの渋公を決めた頃は、渋公だったら当然出来るぐらいのつもりでした。

宗像:あの頃の武道館って敷居高かったよね?

森川:敷居高かったと思いますよ。あの頃、日本のミュージシャンで武道館のライブをやるのは、矢沢永吉ぐらいだったから。でも、その前、80年の夏にシナロケとプラスティックスとRCで武道館やったよね。RCは『RHAPSODY』の後だから結構盛り上がっていましたね。

宗像:それでこの間、1981年12月24日の彼らの初めての武道館ライブ映像をEXシアターの「爆音上映会」で観させてもらいました。この映像は元々市販用のビデオになっていたらしいですね。それをNHKさんが映像をレストアして、音もリマスタリングした。だから、その時の映像のシャープさ、臨場感あふれる音の良さ、武道館で観ているのと同じような気持ちで観られました。その時、思い出したのが、清志郎が言った言葉でした。インタビューで言ったのか、僕に個人的に言ったのかは忘れてしまいました、「清志郎って、夢はある?」という問いに、彼の答えは「自分たちのライブを客席で観てみたい」と。それが1981年ぐらいかな? だから、この前の爆音上映会を観ている時に「これを清志郎に観させてあげたいな」と思いました。これを清志郎が観ても、その圧倒的な「臨場感」を楽しんでくれるのではないかと、ふと思いました。

― 清志郎さんが全力を出し切っているというか、ペース配分なんてものともしないすごいステージですよね。楽曲の素晴らしさだけではなく、観せることもしっかり考えているという印象がありました。

宗像:梅津さん、片山さんたちホーン・セクションもふくめ、全員が違う世界に入っているような印象がありましたよね。



森川:あの武道館をやる少し前に清志郎がロサンジェルスにストーンズを観に行っているんですよ。『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』という映画にもなっている北米ツアーですね。あの時のステージは傾斜があるでしょ。それを観て、ああいうのをやりたいと。

宗像:それは清志郎が言ったの?

森川:そうだよ。だから、あの武道館のステージも緩やかな坂になっているんです。ストーンズの真似をして。

― 当時のRCはかなりストーンズに影響を受けていたということですか?

森川:別に影響されていなかったと僕は思いますが、編成的には似ていますよね。だからみんな、日本のローリング・ストーンズと言っていたよね。バカ言っちゃいけないよ、と思っていたけどね。
だから「RCが日本のストーンズならストーンズは世界のRC」だ なんて言っていました。

― 要するにRCの比較対象になるバンドはいなかったということですね。

森川:そう思います。

宗像:ただ清志郎はいろいろなミュージシャンからたくさんのヒントを得たと思います。

森川:ステージングなんかはあるでしょうね。でも、彼らは3人組の頃からストーンズのような曲をやっていたわけではないし、むしろハーモニーなんかを考えるとビートルズに近いですよね。

― チャボさんのギターがキースっぽいぐらいですね。

森川:チャボはルックスもキースっぽいしね(笑)。

― 急激に人気が出てきた頃、清志郎さんをはじめとするメンバーに強い変化を感じたりはしましたか?

森川:彼らもああいう状況になったのが面白かっただろうし、とうとうこういう時が来たんだという嬉しさもあったと思います。でも、僕と宗像さんがRCに関わったのはそこまでですから。その後年明けに坂本龍一と「い・け・な・い ルージュマジック」を出しましたよね。それで忌野清志郎は全国区になったわけです。



宗像:その時はキティを離れてロンドン・レコードでした。キティでは、アルバム『BLUE』までだから。『BLUE』のリリースの時には、違うレコード会社に移るということを決めていました。

― RCがキティを離れる時、お二人はどういうお気持ちでしたか?

森川:悔しかったよね。僕と宗像さんがRCに関わったあの濃密な2年半というのは、本当に深かったからね。RCしかやっていなかった。24時間RCのことを考えているわけだから。実際、僕らが屋根裏で観て、「RC売れないよな」って言って、ブレイクするまでは、1年あるかないかなんです。それでもものすごく長く感じました。「なんでこれだけやって売れないんだろ?」と…。
だから、夜中に宗像さんに呼び出されるんですよ。新宿に来いと。それで2人でRCの誉め殺しをやるわけです。あれがすごい、これがすごい、ああしよう、こうしようと。

宗像:それだけ音楽関係者の反応が鈍かったのかな?一緒になって騒いでくれる人がいなかった…。

森川:だから当時は清志郎たちより、僕らの方が悔しかったかもしれないね。それで、『PLEASE』とかで話題になりはじめた時は、やった!と思いました。それで野音をやりましたよね。武道館に行く前に。

次のフェーズに行くRCサクセション。完成され、余裕の渋谷公会堂公演


― そうすると、お二人は、キティを離れてからのRCもご覧になっていますか?

森川:僕は、今回配信される83年の渋谷公会堂は観ていないんです。

宗像:僕も観ていないです。映像を観て驚いたのですが、「よォーこそ」からではないのですね。「ロックン・ロール・ショー」から始まっている。「よォーこそ」のないRCというのは僕にとってなかなか理解し難いものがあるから(笑)。もちろん、あの頃のRCは完成されているなと思いますけど、こう上がってくる時のエネルギーが湧き出ていた頃と比べると一段落しているなという印象がありました。

― 一段落して違うフェーズに行ったRCサクセションということですね。

宗像:そういう感じがしました。

森川:実は僕はあれを観てどこか釈然としなかった。何故かというと、メンバーがMCをあまりやっていないでしょ。清志郎とチャボの絡みみたいな、ハッピーなRCではないんだよね。こんなこと言ってはいけないのかもしれないけど、良いステージをやっているけど楽しいのかな?無心で楽しんでいる感じがしない。そんな風に見えた。
あの頃のRCは『OK』の後でしょ。熱狂の盛り上がりを過ぎて、その次へ行こう、という時期だったと思う。僕らが関わっていた頃のRCではないなと思ってしまいました。

宗像:清志郎の体の調子も良くなくて、事務所との関係もあまり良くない時期だったと思う。

― その後、東芝EMIに移籍しますよね。その下地が出来た頃ではないのかな?という印象がありました。『FEEL SO BAD』なんかの雰囲気を感じました。だから81年の武道館とは違うフェーズに来ている感覚がありました。

宗像:あれは『OK』を出した後のツアーなの?

― 『OK』は83年の7月5日リリースなので、リリース前にアルバム収録曲をお披露目したという感じです。

宗像:リリース前にライブが決まっていたということだね。

森川:だから、次のフェーズに行くRCで、危機感が感じられない。むしろもうとっくに余裕のRCなっちゃていたのかも。 何やっても受けるわけだし。

宗像:武道館のライブは鬼気迫る感じがありましたよね。

森川:でも、武道館でRCというバンドが固まったのかな。ひとつの到達点というか。

宗像:自分たちでも次のフェーズに行こうという意識があったのかな?

森川:新しい曲も作らなくてはいけなかったし、「お墓」とか、昔の曲も引っ張り出してきていますよね。だけど、その中には若くて、貧しくて、無名の清志郎がいない。それでもRCはどんどん評価される。チャボなんかは、そんなマスに翻弄されるRCに戸惑いがあったのかも。

ステージMCも含めて日本語のロックを発明した清志郎


― その頃のRCサクセションが音楽業界、リスナーに与えた影響について、どのようにお考えですか?

森川:RCを聴いて育った子どもたちが、その後いっぱい出てきたと思います。そういう人たちが日本にロックを根付かせたと思う。サザンオールスターズとかもいたけど、マスメディアとは離れた部分のロックとしてね。サザンなんて、すごく才能があるし、メディアの方にもバンバン行きましたよね。でも清志郎たちは、好き勝手にやれているように見えたと思うんだよね。アウトローにね。こんなこと歌っても良いんだよ、何をやっても良いんだと。ステージのMCにしても清志郎のちょっと人を食ったところとかもね。そういうRCを観ているとロックをやろうとする少年たちは楽しくなったのではないかと。それで、日本でもロックでメシが食えるんだ!と思ったのではないかと思います。

― 「サマーツアー」でゴールデンタイムの歌番組に出た時、清志郎さんはスポーツドリンクを飲みながらインタビューに答えている姿が映っていました。それを観た時、他の歌手とは違う自由さを感じ、感動したことがありました。

森川:そういえば、ステージで水とか飲み始めたのは清志郎が最初かもしれない。よく飲んで客に投げたりしていましたよね。屋根裏でもやっていたから。これも行儀が悪いとかではなく、ひとつのパフォーマンスとして根付かせたのかな。

― 自然体ということですね。

森川:ある程度の計算はあったと思うけどね。つまり、今の俺だったら何をやってもウケるぞ、というのがあっただろうし、彼の中から自然に出てきていた部分もあると思う。

― そういう所作が他のバンドと一線を画すところでもありましたよね。

森川:ステージでのMCというのも清志郎の発明だと思うんですよね。ああいう喋り方、バックでバンドが緩やかに音を出している場面で清志郎の喋りさえもリズムに乗っている。「次はこの曲をやります」と言った杓子定規なものではなく、そういう部分も含めてRCのステージは完成しているのでは。

― 「OKチャボ!」も含めてですね。

森川:そうだと思いますね。

― MCも含めてどんどん継承されていったということですね。

森川:だと思います。そこも含めて日本語のロックは清志郎が発明したものだと思っています。

宗像:気合いを入れていたわけではなく、彼の持っていた才能から自然に生まれたものなのかな。

RCサクセションが売れたら日本の音楽がもっと面白くなる。そう確信していた




― お二人はRC、清志郎さんと濃密な日々を過ごしていたと思いますが、今、当時をどのように受け止めていますか?

森川:すごく熱い夏にいた感じがしない? 夏休みのど真ん中にいて、汗をかきながらRCのことばかりを考えていたから。あの頃の屋根裏の階段をワクワクしながら上がっていく感じとかを今も思い出します。
あんな風にアーティストにのめり込んで行く自分、思い詰めて、考えていた日々は、あの時始まったんじゃないかな。なんか恋愛していたような感覚で(笑)。

宗像:僕もそれを言おうと思った。RCの担当になって共に過ごした時間は2年半ぐらいですか。夜中の1時、2時に帰ってきても、次の朝7時、8時には家を出て。ちょうど僕にも子どもなんかが出来た時期で、女房から「私と清志郎、どっち取るのよ!」と毎晩のように絡まれるわけです。僕は、なんの衒いもなく、「清志郎を取るよ」ぐらいの感じでやっていました(笑)。それは森川さんが言う恋愛感情に近かった。
それに「清志郎たちが売れれば、RCが売れれば、日本の音楽がもっと面白くなる」という確信があったから。RCに出会う前は日本の音楽を聴いて、「こんなの嘘っぱちだ」とか、納得いかない部分が山ほどあったんです。でもRCという雛形が出来て、これが受けて、こういうのが当たり前になったら日本の音楽はもっと面白くなるという確信がありました。そのためにRCを売らなくてはいけないというのが、強いモチベーションになっていました。そして、このRCが売れれば、日本という国自体がもっと良くなるのではないかというくらいの気持ちでしたね。今考えれば、若気の至りですが…。
ストレートになって、素直になって、好きなものは好きだと言えばいいじゃないかという部分も含めてですね。

― 実際、RCが売れた後の音楽業界はどのように変わりましたか?

森川:RCは売れたと言えるほど、売れちゃいない… といまだに思っています。まだ悔しさがあるよね。いやいやRCはもっとすごいぜ、と。昔のものを掘り返して、もう一度何かやりたいなと思いますね。

宗像:いい曲を書いたシンガーソングライターはたくさんいますが、それが世の中に知られていない曲はいくつもある。それをもし、僕が音楽出版社の社長だったら、それをこういうアイドルに歌わせたらどうだろうとか、どこかで化学反応を起こせるアイディアはたくさんあると思うんです。物事は大体組み合わせですよね。ストレートに打ち出して分からないものでも、誰かを媒介すれば分かったりすることもあるわけだから。そういうことも考えなくてはいけない。やってみなくては分からないこともあるわけですから、それを動かすエネルギーが必要じゃないかと。あの時の僕と森川はそういう精神状況にいたと思います。

森川:RCは大ブレイクしたバンドではないと思っている。でも今在るロックバンドや後から出て来たバンドに直接であれ間接的であれ「きっかけ」や「影響」は与えたと思っている。これからも遺されたRCの映像を観て感動してくれる人はいるだろう。そういう人たちに日本のロックバンドのオリジナルはここに在るんだっていうのを伝えたい。もはや存在してないバンドを僕たちが世の中に改めて知らしめようと思うのは悪いことじゃないと思う。お節介なことかもしれないけど既にRCは存在しないからね、面倒臭いことも起きないだろうし(笑)。
こういう歴史的なバンドがいたということを知ってほしいですね。

(取材・構成 / 本田隆)


日本のロックを発明したRCサクセション。レコードデビューから今年で52年、ブレイクポイントだった『RHAPSODY』から42年。その輝きは色褪せることなく、今も多くの人に愛され続けています。そんなRCサクセション、忌野清志郎が駆け登った軌跡がリアルに伝わるインタビューとなったと思います。当時の熱量を事細かく語っていただいた宗像さん、森川さん、ありがとうございました。


※編集部よりお知らせ


〜RCサクセションデビュー50周年プロジェクト Presents〜
RCサクセション「FIRST BUDOHKAN’81 and SUMMER TOUR’83 渋谷公会堂」Supported by ぴあ50th

初の武道館公演(1981)の爆音上映会が、2022年5月、東京・大阪・名古屋・札幌の4か所で開催され、その圧倒的なパフォーマンスと臨場感に多くの観客が歓喜!
この度、同公演に、渋谷公会堂での名演(1983)をプラスした、伝説のライブ2本立てが、配信決定しました!

▼ 配信日時:2022年8 月6日(土)18:00~ 約4時間予定
▼ 見逃し配信期間:2022年8月15日(月)23:59まで
※ライブ配信チケットをご購入の方は見逃し配信もご覧いただけます。
※期間中は何度でも視聴可能です。
※チケット販売は2022年8月15日(月)11:59まで

▼ 配信サイト:以下よりお好みの配信サービスをお選びいただき、詳細ページをご確認の上、チケットをご購入ください。
PIA LIVE STREAM / NHKグループモール

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2022.08.07
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