7月21日

84年夏、高校生は神津島を目指す。BGMはもちろん絶対チェッカーズ!

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photo:Amazon  

「新島に行けばできる!」この都市伝説が広まっていたのは70年代末から80年代初頭。僕らの少し上の世代だ。サーファー全盛の時代に新島がアバンチュールのメッカとして高校生の間では定説になっていた。

しかし、僕らの世代になると、新島はもう古い。行ってもカワイイ女のコはいないんじゃないかと囁かれ、僕らは84年8月1日から5日の三泊四日。新天地、神津島を目指した。

深夜12時前に出発する船に乗り込むため、僕は男子校の同級生9人と竹芝桟橋へ向かう。ピンクのギンガムチェックのシャツに白いショートパンツ。髪も美容院で郁弥の写真を見せてチェッカーズカットにしたばかりだ。これでモテないはずがない。当時16歳。僕らは映画『グローイング・アップ』のベンジー、ボビー、ヒューイよりも女のコのことで頭はいっぱいだった。

竹芝桟橋に着くと、そこは、同世代の男女が溢れていた。男子はみんな僕らのように比較的大人数だったが、女子は2~3人のグループが多かったような記憶がある。あの頃、ディスコに通っていた高校生は全員神津島を目指したのではないだろうか。

周囲から漂うコパトーンのココナツの香り。84年夏。僕らの伝説は神津島から始まる。みんなそう信じて疑わなかったと思う。

船に乗り込み、甲板に場所を陣取ると、まず、持ち込んだカセットをオンにして、フルボリュームのロックンロールが炸裂する。この年の7月21日に発売されたばかりのチェッカーズのデビューアルバム『絶対チェッカーズ』に収録された、「ウィークエンド アバンチュール」だ。


 土曜日のラブアフェアー
 コインを投げればきまりさ
 その日かぎりのロミオ&ジュリエット
 火遊び上手さ
 ウィークエンド アバンチュール


僕らの心情をリアルに、そして軽妙に描いたこの曲が夏の伝説がスタートするにふさわしい高揚感を僕に与えてくれた。

フランクフルトや焼きそばの屋台がある甲板のあちこちから音楽が聞こえる。サザンの「ミス・ブランニューデイ」、吉川晃司の「モニカ」。新宿、渋谷のディスコと変わらない熱気。あの頃、旅にラジカセは必須だった。漆黒の海、船は新天地を目指す。

うっすら夜が明け始めた午前4時。島影が見えると船は停泊する。1時間ぐらい待ち、朝日と共に船は入港するのだ。

船でナンパを繰り返し、疲れ切った僕らは民宿で仮眠をとって、ラジカセを担ぎ浜へ繰り出す。神津島多幸湾の白浜には高校生しかいない。水着姿の女のコたちがとびきり可愛く見える。今考えてみると、ナンパしてどうしようというよりも、浮かれて声をかけるのが楽しくて仕方かかったのだと思う。

高校生だから疲れ知らず。泳いではしゃいでナンパして…。じゃあ夜はどうする?

もちろん答えはひとつ。「神津島にもディスコがあるはずだ!」当時から情報収集が好きだった僕は、海水浴場のはずれ、漁船が停泊する港に、それらしき看板を見つける。
『DISCO JACKAL』どう見ても場末のスナックのような佇まいだが、確かにディスコと書いてある。

恐る恐る中へ入ってみると、やはりスナックだった(笑)。しかし、客席をぜんぶ取っ払い、即席でフロアが作られている。DJブースに目をやるとターンテーブルが2台。スピーカーからハイエナジーが炸裂する。おそらく、夏の間だけ東京からDJを呼び、ディスコとして営業しているのだろう。しかし、そんなこと問題じゃない。サイコーのサウンドシステムじゃないか!

シャラマーの「ダンシン・イン・ザ・シーツ」、ハワード・ジョーンズの「ニュー・ソング」などヒット曲が立て続けにかかり、ほんのわずか空白があった後に耳慣れたアカペラのイントロが入る。


 なみだ~のリクエ~スト
 最後のリクエ~スト


クロベエがドラムを踏み込むと、頭の中は空白になっていた。「涙のリクエスト」だ! ディスコでチェッカーズ! この時の衝撃、高揚感は今も自分の中にある。刹那と永遠の狭間に確かに84年の夏は存在している。

それでは、この年のアバンチュール。肝心のナンパはどうなったのか? それは、その次の年、85年の夏についても記さなければならない。

翌年、僕らは、この夏が忘れられず、同じく8月1日~5日に再び神津島を目指す。『DISCO JACKAL』は健在だった。

そして、去年と同じ日に、「涙のリクエスト」の直後にナンパした女のコと再会した。彼女も僕らと同じで去年の夏が忘れられなかったという。ひとつ年上の彼女はソバージュをかけずいぶんオトナっぽくなっていた。恥ずかしくて僕は目を合わせられなかった。

東京に戻り僕は一年越しで彼女をデートに誘うことに成功した。今はなき渋谷の東急文化会館、五島プラネタリウムで神津島と同じ満天の星を見た。

星空よりも、暗闇の中の彼女の横顔のほうが気になって仕方がなかったけど。そして、手を握った。神津島の星空の下では握れなかった彼女の手を渋谷の満天の星空の下で握ったんだ。

しかし、このお話はここでおしまい。十代の恋なんて、儚く、あどけないほうが心に残る。今でも「涙のリクエスト」を聴くと神津島の満天の星空を思い出す。84年の夏はやたらと流れ星が多い夏だった。



歌詞引用:
ウィークエンド アバンチュール / チェッカーズ

2017.07.29
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  YouTube / 20121313z


  YouTube / HDayappe31
 

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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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