12月21日

井上陽水のめくるめく官能、大人のオシャレを濃縮した「9.5カラット」

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井上陽水のアルバム「9.5カラット」がリリースされた日
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井上陽水のセルフカバーアルバム「9.5カラット」


皆さんは “30代半ば” にどんな印象をお持ちだろうか。社会人としては働き盛りだが、まだ中年の悲哀を身につけるには早い年齢。限りなく “おっさん” のカテゴリに片足を突っ込みながらも、どこかで “若さ” を捨てきれない… ある意味で中途半端な年齢だなと、もうすぐ35歳になる私は思うのである。

だがその昔、近畿のある地方都市で暮らしていた15歳、中学3年生の私にとって、30代半ばは途方もなく “大人” の雰囲気が漂う年齢だった。その印象を植え付けたのは、たった1枚のLPレコード。父親の部屋にあった井上陽水の『9.5カラット』を聴いたせいで、私のなかの “30代半ば像” はすっかり出来上がってしまったのだ。

『9.5カラット』は1984年12月21日にリリースされた井上陽水のセルフカバーアルバムだ。安全地帯の「ワインレッドの心」「恋の予感」、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」といった、他者への提供曲の歌い直しが収録された本作はレコード売り上げ年間1位に輝く大ヒットとなり、陽水にとっても自身2度目のミリオンセラーを記録するなど、記念碑的な1枚となった。

30代半ばの集大成、日本レコード大賞でアルバム大賞を受賞


井上陽水の第2次黄金期にあたる30代半ばの集大成ともいえる本作は1985年の『第27回 日本レコード大賞』でアルバム大賞を受賞し、「悲しみにさよなら」で金賞を受賞した安全地帯と共に会場で「飾りじゃないのよ涙は」を披露。ちなみに大賞を獲ったのは、アイドルから大人のシンガーへと脱皮しつつあった中森明菜「ミ・アモーレ」だった。

余談だが、この時のレコ大ではパ・リーグ三冠王の落合博満(ロッテ・オリオンズ)が大賞のプレゼンターとして登場。野球ボールを模したくす玉のような球体から、受賞者の名が載った紙を取り出すという、いかにも80年代的な茶番… もといパフォーマンスを繰り広げた。そういえば落合と同じロッテの村田兆治が2年間のリハビリの末、35歳にして奇跡の復帰を遂げたのもこの年のことだ。

陽水の甘美な歌声、大人の世界を覗き見?


さて、1985年生まれの私がこのアルバムに触れたのは先述のとおり15歳の頃。80年代の空気感など微塵も残っていない、俗に言う、ミレニアムの年。当時ヒットしていた陽水のキャリアをひとまとめにしたベスト盤『GOLDEN BEST』にハマっていた私が、過去の作品群に手を伸ばすのは自然の流れだった。最初が『氷の世界』で、その次が当時の最新アルバム『九段』。そしてたまたま自宅で発掘した『9.5カラット』を、父親が仕事へ出ている間にこっそり拝借して聴いてみたという具合だ。

針を落とすと、ジジジ…… パチパチ…… という雑音のあと、陽水の甘美な声がたちまち部屋を包み込む。メロウでドラマチックな1曲目「はーばーらいと」を聴けば、これが大人のためのLPであることは明らかだった。何せ出だしの歌詞からして「♪ 薔薇の花びら噛むと 恋がかなうって 迷信さ」(作詞:松本隆)である。地方育ちの15歳にはあまりに遠い世界観だが、なにか大人の世界を覗き見しているようでドキドキしたのを覚えている。

上品な色気に溢れた、大人による大人のための楽曲


続けざまに「ダンスはうまく踊れない」「TRANSIT」「A.B.C.D」と上品な色気に溢れた曲が続き、A面のラストを飾るのは「恋の予感」。このあたりまで来ると、もはや自分が大人の世界の住人になったような錯覚に陥るが、もちろん当時の私は “恋” はおろか “予感” すらあろうはずもない男子校ライフを過ごしており、“ダンス” なんざ小学校の運動会で踊ったのが最後。たしかに “うまく踊れ” なかった気がするが……。そんな私にとって、このアルバムはあまりにも刺激的すぎた。

盤を裏返すと、その世界観はさらに色濃くなっていく。「♪ 淡い口づけ」という陽水の色気ある歌い出しで始まる「いっそセレナーデ」。陽水自身が出演したサントリーのウイスキー『角瓶』のCMソングということで、やはり大人による大人のための一曲だ。さらに「飾りじゃないのよ涙は」「からたちの花」と一貫してマイナーコードの楽曲が並び、とどめは名曲「ワインレッドの心」。

フルボディのワインのような深みある「9.5」曲


A、B面合わせてわずか9曲なのが信じられないほどの濃厚さ。ちなみに9曲なのに “9.5” としたのは、「いっそセレナーデ」だけは他者への提供曲ではなく自身の楽曲だからだそう。いちいちオシャレだ。まるでフルボディのワインのような深み。もちろんワインなんか飲んだことがない当時の私には歌詞の意味など理解できるはずもないのだが、憧れる権利くらいはある。きっと30代半ばというのは「もっと勝手に恋したり」「もっとkissを楽しんだり」するモノなのだろうと妄想をふくらませ、「速い車」ならぬ登校用の自転車にまたがり、「急にスピン」かけながら田舎道を疾走したのだった。

で、あれから早20年の歳月が経ち、私も気づけば当時の陽水と同じくらいの年齢になったわけだが。残念ながら『9.5カラット』が似合うような大人になれたとは到底思えない。同作のジャケット写真のように白いタキシード姿で百合の花を眺めてみても、コメディにしかならないだろう。

あれだけ憧れた大人の世界は、結局、陽水が作り出したフィクションだったのだろうか。あるいは単に私が大人になれなかっただけなのか。いずれにせよこのLPに針を落とすだけで、ちょっと背伸びした気持ちになれるのは、昔も今も変わらないのである。

2020.09.24
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カタリベ
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