ウルトラマンも仮面ライダーもゴジラも不在だった時期とは?
今となっては信じがたいことだが、1970年代後半のある時期は、ウルトラマンも仮面ライダーもゴジラも不在だったのだ。その一方で脱・ウルトラ、脱・ライダーを目指すかのような意欲的な特撮ヒーロー番組は制作され続けたがいずれもブームを呼ぶには至らず、真打ちの登場を求める機運が高まることになる。
そんな中、まず復活のノロシをあげたのは、シリーズ初の “空飛ぶライダー” であり、原点回帰を目指す意味も込められこのタイトルとなった『仮面ライダー(スカイライダー)』が、1979年にスタート。続いて平時は小学校の教師という、これまたシリーズ初の設定となった『ウルトラマン80』が、文字通り1980年に登場。
音楽面でも『仮面ライダー』は、それまで全ライダーの音楽を担当された菊池俊輔先生が「待ってました!」と言いたくなる “菊池節” で作品を彩ったのに対し、『ウルトラマン80』は、劇伴音楽こそ『ウルトラセブン』『ミラーマン』等でお馴染みの冬木透先生だったが、テーマ曲はロックバンド、TALIZMAN(タリスマン)による新時代の到来を思わせる特撮ソングであった。そしてゴジラの新作は…… ただちにそこへ続くことはなかった。
満を持して復活したゴジラはリアリティ最重視
しかしながら、復活を求めるファンの思いは熱く、それを表す出来事が続いた。『ゴジラ』(1954年)、『キングコング対ゴジラ』(1962年)の他、『空の大怪獣ラドン』(1956年)、『地球防衛軍』(1957年)等で、多くの東宝特撮映画の音楽を担当された作曲家・伊福部昭先生の楽曲を、ヒカシューの井上誠氏がシンセサイザーで編曲したLPレコード『ゴジラ伝説』を発売。さらには伊福部先生他による歴代特撮映画の音楽を収録したサントラ盤レコードが相次いで発売された。
あるいは各地の映画館で特撮映画のオールナイト上映が人気を呼ぶなど、盛り上がりは高まる一方であった。そしてついに東宝ロードショー館でゴジラをはじめとする東宝特撮映画の旧作を順次上映した「ゴジラ1983復活フェスティバル」が開催され、翌1984年、満を持して新作『ゴジラ』の公開に至る。
さてその作品は… というと、「絶対に失敗は許されない」という制作サイドの悲壮な決意を窺わせる実に生真面目な作りで、ゴジラを災害と捉えたリアリティー最重視の内容だった。しかし期待に胸膨らませた末、その作品を前にしたファンの想いは複雑で、直球のゴジラ映画を作ってくださったことには感謝しつつも、「と、とにかくついに復活が実現したことを素直に喜ぼうではないか、うむ」と自分に言い聞かせていたように記憶している。
特撮面でも見どころは多かったものの、久々に登場したゴジラは、自分より背の高いビルに囲まれ見下ろされているようで、その三白眼の凶暴な面差しの割に往年の勢いは感じられず、人間が長い眠りから自分を強引に叩き起こしたことを、疲れた表情で咎めているかのように見えた。音楽は小六禮次郎先生が担当、実に作品にフィットした重厚さで作品を盛り上げた。
結果的にこの『ゴジラ』は前宣伝が効を奏したこともあり、特撮ファン以外をも動員して興行的にヒットを記録したが、次回作の制作までには長い時間を要した。
大森一樹監督の登板、「ゴジラVSビオランテ」
やがてゴジラの次回作は、ストーリー一般募集の結果、歯科医師であるが特撮ファンとして執筆活動を行っていた小林晋一郎氏の原案による『ゴジラVSビオランテ』が1989年に公開されることになる。ちなみにファンには周知の事実ながら、小林氏は『帰ってきたウルトラマン』の傑作エピソード、「許されざるいのち」の原案者でもある。
『VSビオランテ』公開までのこの時期、ファンの間では「次回作の監督は誰が相応しいか」ということが度々話題に上った。もちろん往年の東宝特撮映画を多く担当された御大・本多猪四郎監督のご登場が最も望ましかったが、それが難しければ当時まだ現役バリバリだった黒澤明? さすがに無理か。では大林宣彦は? 相米慎二? 長谷川和彦?… などと無責任な妄想を膨らませていたが、あの吉川晃司や斉藤由貴の作品を担当した大森一樹監督の登板、と知った時は「そう来たか!」と胸が躍ったものだった。特技監督もベテラン・中野昭慶氏に代わり新鋭・川北紘一監督。これは何か起こるぞ! という予感がした。
一方で1984年の『ゴジラ』の時のように、期待し過ぎることを恐れてもいたが、結果的に『VSビオランテ』は切れ味鋭く、快哉を叫びたくなるような「僕たちが観たかったゴジラ映画」「かゆいところに手が届くゴジラ映画」だった。
特に、ファンの間では「ビオゴジ」と言われる本作のゴジラスーツは、面構えもプロポーションも実に素晴らしく、以後1995年の『ゴジラVSデストロイア』まで、この時のフォルムをベースとしたゴジラがスクリーンで大暴れすることになる。本作の音楽は「ドラゴンクエスト」で知られるすぎやまこういち先生。スケール感のある楽曲で作品を盛り上げたが、ゴジラのテーマ曲のみ伊福部昭先生の楽曲が使用されるという変則的な構成であった。
ファンには歓迎されたこの『VSビオランテ』も、作品全体を覆う暗さが災いしてか大ヒットには至らず、次に大森一樹監督により発表された『ゴジラVSキングギドラ』(1991年)以降、1990年代のゴジラ映画は作品的にも明朗となり、音楽もついに伊福部昭先生が再登板となった。
1980年代のゴジラは試行錯誤の時期だった
続いてモスラ、さらにメカゴジラと、次々と人気怪獣との対戦を描いた新作が毎年観られるという幸福な時期が訪れるが、それに先立つ1980年代のゴジラは、その幸福な時期に到るまでの試行錯誤の時期だったと言えようか。
結果的に1980年代にゴジラ映画は2作しか制作されなかったことになるが、両作ともゴジラを語る上では欠かすことのできないエポックメイキング的な作品だったと言える。
ーー それから幾星霜。当時新鋭と言われた大森一樹監督も川北紘一監督も、そして「VSビオランテ」「VSキングギドラ」でそれぞれヒロインを演じた田中好子さん、中川安奈さんも既に鬼籍に入られたことに、時の流れを実感せざるを得ない。
改めてゴジラ映画に心血を注いでくださった方々のご冥福を心よりお祈り致します。
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2023.02.18