12月14日

三谷幸喜の “黄金の6年間” 映画「12人の優しい日本人」が最高傑作!

61
0
 
 この日何の日? 
映画「12人の優しい日本人」が劇場公開された日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1991年のコラム 
スピッツ「名前をつけてやる」ー 草野マサムネともう一人の  “くさっち”

追悼:黒沢健一、こだわりの音世界が熱く迎えられたL⇔Rのデビュー

デンジャラスなハートの美男子、1991年のマイケル・ジャクソン

ボウイやジャガーだけじゃない、“サー” エルトン・ジョンを忘れるな!

ガンズのライヴに欠かせない!ウイングスの「007 死ぬのは奴らだ」

ブルーハーツから感じ取った唯一無二の価値観、自由な心でいましょう

もっとみる≫




1990年から1995年、それはもう1つの “黄金の6年間”


「黄金の6年間」とは、僕がこのリマインダーで連載しているシリーズ企画のタイトルである。

それは、1978年から1983年までの6年間を指し、東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代である。また、様々な業界で若いクリエイターが頭角を現し、彼らはジャンルを越えてクロスオーバーに活躍した。

具体的に、その6年間に何が起きたかというと――
ユーミンが年2枚のオリジナルアルバムを出していた時代がピタリと重なり、YMOの結成から散開に至る6年間であり、村上春樹がデビューして初期3部作を書いた時代であり、角川映画の全盛期であり、フジテレビが覚醒して三冠王を取り、ビートたけしが若者の教祖となり、劇団夢の遊眠社や第三舞台が脚光を浴び、『JJ』や『BRUTUS』などが創刊され、西武百貨店の「おいしい生活。」やホイチョイ・プロダクションズの『気まぐれコンセプト』など “広告” がトレンドになり、東京ディズニーランドがオープンした時代である。

そう、早い話が、狂乱と祝祭と試行錯誤の6年間である。だから面白い。人生だって、振り返って面白いのは、分別のある大人に成長した時代よりも、圧倒的に試行錯誤を繰り返した未熟な青春時代である。恋と冒険に目覚め、挫折と覚醒を繰り返した、あの還らざる日々――。

さて、今回のコラムは、その番外編である。
実は、黄金の6年間はもう1つある―― というのが、今回のテーマ。それは、1990年から95年にかけての6年間である。バブルが崩壊して、更地になった様々な業界に新しい才能が芽吹き始め、彼らは既存の業界ルールに捉われずに成長し、日本のエンタメ界を面白く、エキサイティングに盛り上げた。俗に、“サブカルの時代” ともいう。80年代をメインに扱う当リマインダーの趣旨から少し外れるので、番外編とさせていただく。

例えば、音楽業界でミリオンセラーが量産され、お笑い界はダウンタウンが天下を取り、テレビの連ドラでは名作が続々と誕生し、少年ジャンプは『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』の三本柱で最高部数653万部を記録した時代――。そして今日扱う、この人もまた、時を同じくして頭角を表した。三谷幸喜、その人である。

映画版の監督は中原俊、三谷幸喜の「12人の優しい日本人」


奇しくも今日、12月14日は、今から29年前の1991年に、三谷サンが脚本を書いた映画『12人の優しい日本人』が封切られた日に当たる。

そう、同映画と言えば、三谷サンが旗揚げし、現在 “充電期間中” の劇団「東京サンシャインボーイズ」の舞台版がそもそものオリジナル。初演は1990年7月。その後、キャストを変えながら4度に渡り再演され、今年の5月には、オリジナルメンバーに近い座組で、Zoomによるリーディング劇がYouTubeで生配信されたのは、まだ記憶に新しい。

タイトルからも分かる通り、ヘンリー・フォンダ主演の映画『十二人の怒れる男』へのオマージュだ。「日本にもし陪審制があったら……」という架空の設定で作られたシチュエーションコメディで、映画版は初演の翌年、中原俊監督がメガホンを握り、撮影された。ほとんどの人は、この映画版で同作品に触れたのではないだろうか。

かくいう僕もそう。映画好きの友人に勧められ、レンタルビデオで借りて見た同映画が、ファースト三谷体験だった。一瞬で稀代の脚本家の虜になったのを覚えている。実際、東京サンシャインボーイズが、東京で一躍チケットが取れない人気劇団になったのも、同舞台の初演がキッカケである。

天才・三谷幸喜、少年時代に影響を受けた「大脱走」「刑事コロンボ」


さて―― 天才・三谷幸喜。
生まれは1961年7月、東京は世田谷区の出身である。ちなみに一人っ子。2歳から4歳まで福岡市で暮らしていたこともあるそうで、福岡出身の僕としては、その辺りも親しみを覚える一因かもしれない。実は、少々複雑な家庭のお生まれで、あまり踏み込むのも無粋なので、アウトラインを知りたい方は、三谷サン脚本のスペシャルドラマ『わが家の歴史』を観てください。

三谷サンのエッセイなどを読むと、幼少期の写真が掲載されていて、お母様はかなりの美人というのが分かる。三谷少年も裕福な身なりで、ご本人によると、何不自由なく、少年時代を過ごしたとか。早くからコメディやミステリーの世界に関心を持ち、小学生時代にはチャップリンに会うために、母と2人でスイスの喜劇王の自宅を訪れたという仰天エピソードもある。

三谷少年が、いわゆるチームものの話の面白さに目覚めたのは、小学4年の時、1971年である。それは、テレビの『ゴールデン洋画劇場』で映画『大脱走』を初めて観た時のこと。ちなみに、この話、実は僕がご本人から直接聞いた話で、前にビッグコミックスピリッツの企画で、浦沢直樹サンと三谷幸喜サンの対談企画があって、なぜか僕がその司会を務めたんです。で、その時にご本人が明かしてくれたもの。

ちなみに、三谷少年と『刑事コロンボ』の出会いは、その翌年の小学5年生の時。三谷サンはコロンボの面白さにすっかり魅せられ、全話、テープレコーダーに録音して、繰り返し聴いて耳で台詞を覚えたという。後年、『古畑任三郎』が書かれる下地はその時に培われたのだ。まだホームビデオが普及する前の話である。

1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げ


話は飛んで―― 1983年。当時、日大芸術学部に在学中の三谷サンは、仲間たちと劇団を旗揚げする。劇団名は、敬愛するニール・サイモンにあやかった。作風は、脚本やプロットの巧みさで見せる、いわゆる “ウェルメイド・プレイ”。当時の小劇場ブームとは一線を画し、日本の演劇界で2つとない独特のポジションを確立する。

だが、劇団が売れるのはまだ先の話。初めて観客が1,000人の大台を超えたのは、1989年の『天国から北へ3キロ』だった。同作品はその後、ドラマ化もされたので、三谷サンの最初のヒット作と言えるだろう。死んだ恋人と残された男のラブストーリーで、彼女は霊となって、彼のそばに居続けるが、その姿は見えず、声も聞こえない。しかし、唯一息だけは吹きかけられるので、ハーモニカを吹いて意思疎通するという話。ちなみに、これ、映画『ゴースト』の前の年だから、こちらの方がアイデアは早かった。

始まった飛躍の時代、三谷幸喜の “黄金の6年間”


そして、バブルが崩壊して、1990年。いよいよ三谷サンの飛躍の時代が始まる。

■ 1990年
 『彦馬がゆく』(舞台)
 『12人の優しい日本人』(舞台)
■ 1991年
 『ショウ・マスト・ゴー・オン~幕をおろすな~』(舞台)
 『12人の優しい日本人』(映画)
■ 1992年
 『君たちがいて僕がいる』(ドラマ)
 『総務課長戦場を行く!』(ドラマ)
■ 1993年
 『振り返れば奴がいる』(連続ドラマ)
 『ラヂオの時間』(舞台)
■ 1994年
 『警部補・古畑任三郎』(連続ドラマ)
 『笑の大学』(ラジオドラマ)
■ 1995年
 『王様のレストラン』(連続ドラマ)

―― いかがだろう。まさに、きら星のごとく作品たちが居並ぶ。『ショウ・マスト・ゴー・オン』は後に映画『カメラを止めるな!』の元ネタになり、『ラヂオの時間』は初めての連ドラ『振り返れば奴がいる』で脚本をかなり直された経験を基に書かれ、ラジオドラマ『笑の大学』は後に舞台と映画になった。

ちなみに、東京サンシャインボーイズは1994年を最後に30年の充電期間に入り、以後、舞台はパルコ劇場のプロデュースで書くことが多くなった。

もちろん、1996年以降、今日に至るまで三谷サンは一貫してご活躍されているが、1983年の劇団旗揚げから37年間の作家活動のうち、この6年間に生み出された作品の質の高さは際立っている。まさに、黄金の6年間だ。そのフィナーレを飾る『王様のレストラン』を三谷幸喜最高傑作と位置付ける人も多い。僕も、その意見に異論はない。

三谷映画の最高傑作「12人の優しい日本人」


最後に、29年前の今日、公開された映画『12人の優しい日本人』について少々。脚本はもちろん素晴らしいが、中原俊監督の遊びすぎない、スタンダードな映像もいい。かと言って冗長にもならず、テンポ感がお見事。個人的には、三谷サンは脚本に徹して、映画監督は別の人にやらせたほうがいいと思う(笑)。

そうそう、キャストもいい。今の三谷映画は、ともすればオールスターキャストになりがちだけど、『12人の優しい日本人』は渋くて、味のある役者たちが集められ、そのハマり具合が絶妙なのだ。ぶっちゃけ、役者の年齢幅がある分、オリジナルのサンシャインボーイズ版より、こちらの方がクオリティは高い。

個人的に気に入ってる配役は、最後まで無罪の主張を変えず、意外と骨のあるところを見せてくれる温和なおじさんの陪審員4号を演じた二瓶鮫一サンと、名言「むーざい」を放ったテキトー主婦の陪審員8号を演じた山下容莉枝サン、それに陪審員11号を演じたトヨエツと、やたら仕切りたがる陪審員12号を演じた加藤善博サンですね。

ちなみに、トヨエツはまだブレイク前で、フジテレビのドラマ『NIGHT HEAD』に出るのは、この翌年。でも、もうスターの雰囲気がプンプン出ている。そして、加藤サンは「あぁ、こんな仕切りたがる人いるなぁ」と思わせるナチュラル感が素晴らしい。若くして、自ら命を絶たれたのが実に惜しい役者さんである。

そう、脚本・演出・配役―― どれをとっても、この映画『12人の優しい日本人』こそ、三谷映画の最高傑作だと思う。個人的には、ね。

異論は認めるけど、聴く耳を持たない。


※ 指南役の連載「黄金の6年間」
1978年から1983年までの「東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングだった時代」に光を当て、個々の事例を掘り下げつつ、その理由を紐解いていく大好評シリーズ。


2020.12.14
61
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
104
1
9
8
3
黄金の6年間:映画「戦場のメリークリスマス」はクロスオーバーの象徴!
カタリベ / 指南役
72
1
9
7
8
黄金の6年間:映画「男はつらいよ」変化の時代に繰り返される黄金の様式美
カタリベ / 指南役
41
1
9
8
2
黄金の6年間:傑作「蒲田行進曲」クロスオーバー時代に生まれた化学反応!
カタリベ / 指南役
60
1
9
7
9
黄金の6年間:映画「エーゲ海に捧ぐ」シルクロードブームの源流を辿る道…
カタリベ / 指南役
78
1
9
8
1
大滝詠一と松本隆の黄金の6年間「A LONG VACATION」が開けた新しい扉
カタリベ / 指南役
81
1
9
8
3
佳山明生「氷雨」のヒットと黄金の6年間、街に流行歌があふれていた時代
カタリベ / 指南役