22年振り? 宮沢りえと甲本ヒロトの再会
バー「WHITE RAINBOW」のカウンターで、“ご近所さん” 沖仁がフラメンコギターで「リンダリンダ」を弾き始める。それに合わせて “お客様” の甲本ヒロトがハーモニカを吹き始めた。“ジャズ喫茶マスター” に扮したタモリもパーカッションで合わせる。
「感動し過ぎて、涙が出る」
“ママ” 宮沢りえが手拭いで顔を覆った。
2015年6月14日放送のフジテレビ系『ヨルタモリ』でのワンシーン。ブルーハーツの大ファンであった宮沢は、「情熱の薔薇」にあやかって白地に赤いバラの着物姿であった。
これが宮沢りえと甲本ヒロトの、恐らく22年振りの共演であった。
宮沢とブルハの初共演シングル「ボーイフレンド」
1993年10月1日、宮沢りえの7枚めのシングル「ボーイフレンド」がリリースされた。アーティスト名は “りえ&THE BLUE HEARTS”。そう、この曲は宮沢とブルーハーツの初共演シングルであった。
カップリングの「恋が命中」と共に、作詞作曲は甲本ヒロト。これがヒロトにとっては初めての他の歌手への楽曲提供であったらしい。
ボーイフレンド 夜をゆりおこして
ボーイフレンド ビルを飛び越えて
心の宇宙の 一番遠い星
飛ばすロケットは2人乗り
ボーイフレンド シートベルトは
ボーイフレンド 洗濯機にリボン
ボーイフレンド
後期のブルーハーツらしくシンプルながらもシュールな歌詞で、ポップなエイトビートの甘酸っぱいナンバー。編曲はザ・ブルーハーツで、メンバー全員がバックに参加している。間奏のマーシーこと真島昌利の主旋律をなぞるギターソロもいかにもマーシーらしい。
しかしよくよく調べてみるとこの曲は、ブルーハーツの歴史においてもどうやら貴重な1曲であることが分かってきたのである。
ブルーハーツが全員揃った最後の公式録音曲!?
8cmCDシングルのジャケットは宮沢りえとブルーハーツの4人がイラストで描かれたものであるが、マーシーはお馴染みのバンダナではなくハンチング帽を被っていて、ドラムスの梶くんこと梶原徹也もうっすらと髭を生やしている。
このヴィジュアルは、このシングルの3か月前の7月10日にリリースされたザ・ブルーハーツ7枚めのオリジナルアルバム『DUG OUT』で見られる。1995年に出たブルーハーツの次作にして最後のオリジナルアルバム『PAN』は4人がバラバラに録音した曲を集めたアルバムだったので、実は『DUG OUT』がブルーハーツ全員が揃って録音した最後のアルバムだったのだ。
ということは、残念ながらレコーディングデータは不明なのだが、『DUG OUT』3か月後にリリースされた「ボーイフレンド」が、ザ・ブルーハーツが全員揃ってレコーディングした最後の曲である可能性は十分に考えられるのだ。
クレジットにはベース、コーラス:河口純之助、エレキギター、コーラス:真島昌利、ドラムス、コーラス:梶原徹也、コーラス:甲本ヒロト、そして1990年の『BUST WASTE HIP』以来ブルーハーツのアルバムに参加し、後にザ・ハイロウズの正規メンバーにもなる白井幹夫もキーボードで名前を連ねている。
シングル3曲めにはこの曲のカラオケも収められていて、後期ブルーハーツの演奏、コーラスのディーテイルを聴くことが出来る。最後の録音だったかもしれないと思うと、その価値は一層高まるではないか。
ブルハは参加していない「恋が命中」
ふくらんだのは あなたのせいよ
私の胸に
あふれるだけで けして消えない
有名人にあったみたいよ
どんなに 遠くても
恋のバクダンを投げれば
ボーリング ボーリング 恋に夢中
カップリングの「恋が命中」だが、アレンジャーは『踊る大捜査線』の音楽で名の知られる松本晃彦。演奏もギターとキーボード以外は打ち込みで、ブルーハーツは全く参加していない。
同じヒロト作詞・作曲ながらも、曲調も結構似ていながらも、印象がかなり異なることに驚く。端的に言って、「恋が命中」のサウンドには全くと言っていい程、引っ掛かりが無いのだ。決してバカテクというわけではないのだが、ブルーハーツのバンドサウンドの強い個性、ユニークさがかえって際立つ結果になった。
宮沢りえのラストシングル、サブスク化を切に希望!
そしてこの「ボーイフレンド」は宮沢りえにとっても現時点で最後のシングルになっている。この年の12月にベストアルバムをリリースし、宮沢は音楽活動を終えている。
冒頭に紹介した『ヨルタモリ』当時、宮沢は既に女優として確固たる地位を築きつつあった。そしてヒロトは、ザ・クロマニヨンズの一員として歩んでいた。2022年現在も、2人は変わることなく第一線で活躍を続けている。
最後に、今回のコラムは、実はリマインダー編集からの依頼を受けて書いたものだった。当初、自分が「ボーイフレンド」を購入したか否かも忘れてかけていたが、押し入れにしっかり眠っていた。恐らく38年振りに針を落とした、否、レーザーを当てたこのCDシングルが、宮沢りえにとっても、そしてザ・ブルーハーツにとっても歴史的に貴重な1枚だとは、今回この原稿を書くまで全く気が付かなかった。『ヨルタモリ』の時も引っ張り出して来なかったぐらいなのだから。こんな発見の機会を与えてくれたリマインダーに謝意を表したい。
そして宮沢りえのCDが全て廃盤で、サブスクにも上がっていないことは、やはり残念のひと言である。
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2022.04.06