Dangerous / Michael Jacksonスーパースター中のスーパースター マイケル・ジャクソン
2023年8月29日、マイケル・ジャクソンが存命だったら、65歳の誕生日を迎えていた。彼の突然の訃報が世界を震撼させたのは、14年前の2009年6月のこと、享年50… その死はあまりにも早すぎた。
だって50歳だなんて… 世間一般的には人生の折り返し地点、まだまだこれからという年齢ではないか。
デビュー時(ジャクソン5)11歳、以降ほぼ40年間ショウビズ界のトップをひた走ってきたマイケル… 並のスーパースターではなくスーパースター中のスーパースターだったマイケルにとっての50年間は、100年分の濃さを擁していたのだろうか。我々一般人にとっては、計り知れないものがあったことだけは確かだ。
メガセールスは「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」だけじゃない!
1970年代から2000年代にかけて、マイケル・ジャクソンはジャクソン5 / ジャクソンズ、そしてソロとして、結構多くのオリジナルアルバムを残している。
世界規模のメガセールス(1,000万枚超)を記録したソロアルバムといえば、クインシー・ジョーンズと共にスーパースターの階段を駆けのぼり頂点を極めた時期の三部作、『オフ・ザ・ウォール』(1979年)、『スリラー』(1982年)、『バッド』(1987年)が挙げられよう。
最も脂が乗り切った20代の頃にリリースされたこれら三部作は(21~29歳)、そのままマイケル史上最も売れたアルバムのほぼトップ3となっている。
ところでオリジナルソロアルバムの中でもう1作、メガセールスを記録した作品があるのをご存知だろうか。それが1991年、マイケルが33歳の時にリリースされた、通算8枚目のソロアルバム『デンジャラス』である。
「デンジャラス」に取り入れた新機軸 “ニュー・ジャック・スウィング”
1991年―― 1980年代終盤から世界を巻き込む一大ムーヴメントとなったダンスミュージック旋風がピークを迎えようとした時期… それはユーロビート、ハウス、ヒップホップ、イタロハウス、テクノトランスといった新たなダンスミュージックの形態が一緒くたになって形成されたものだ。
その中でも1980年代終盤から1990年代前半にかけて、R&Bシーン延いてはポップミュージックのオーバーグラウンドシーンに躍り出て、一世を風靡した “ニュー・ジャック・スウィング” も、この一大ダンスミュージックムーヴメントの重要な一角を担っていたといえよう。
マイケル・ジャクソンがアルバム『デンジャラス』で採り入れた新機軸こそがこのニュー・ジャック・スウィング(以下NJS)であり、プロデューサーとして白羽の矢が立てられたのが、NJSの生みの親テディ・ライリーだったのだ。
プロデュースはテディ・ライリー
キース・スウェット「アイ・ウォント・ハー」(1987年)の大ヒットを経て、テディ・ライリーは自らのグループ “GUY”(ガイ)のデビュー(1988年)をもってして、新しい感触の “ハネるビート” を擁したNJSを高らかに提示した。
NJSは瞬く間に大衆音楽のメインストリームへと躍進、テディは売れっ子プロデューサーの仲間入りを果たし、1990年代に入る頃には、ジャム&ルイス(ジャネット・ジャクソン等)、ベイビーフェイス(ボーイズⅡメン等)と並んで、まことしやかに3大プロデューサーと呼ばれだしたものだ。
テディ・ライリーは『デンジャラス』リリース時の1991年が、プロデューサーとしてのピークだったといえよう。

「ブラック・オア・ホワイト」は全米No.1! セールスは3000万越え!
テディ・ライリーがプロデュースを手掛けたのはアルバムに収録された半分を占める7曲。基本的には期待通りのNJSなプロダクションが施されている。
アルバムからは「ブラック・オア・ホワイト」(全米ナンバーワン! NJS色は希薄)を筆頭に立て続けにシングルヒットが生まれたが、テディが手掛けた「リメンバー・ザ・タイム」、「イン・ザ・クローゼット」は盤石のトップ10ヒットを記録。
テディ以外のプロデュース作品も含めて、アルバム全体の感触・印象はNJSというコンテンポラリー感が充満しており、これはマイケル側が目論んでいたことは確実だ。もちろんこの目論見は見事に当たったわけで、『デンジャラス』は『オフ・ザ・ウォール』を凌ぎ『バッド』にも遜色ないくらいのセールスをたたき出した(3,000万超)。
時流に乗るトレンドライダー
クインシー・ジョーンズと二人三脚で制作した三部作をもってして、栄華を極めたマイケル・ジャクソン。それはブラックコンテンポラリーを中心に、1980年代において勃発した様々なジャンルをけん引するトレンドセッターという立ち位置を崩さないものだった。
『バッド』リリース後の80年代終盤になる頃、新たな若きショウビズ界のトレンドセッターの台頭や自身の年齢等を鑑みて、生き馬の目を抜く大衆音楽シーンをトップの座をキープしながらサバイブしていくには、(トレンドセッターではなく)時流に乗るトレンドライダーに徹しようと臨んだのが『デンジャラス』だったのだ。
特にサウンドの革新が起こった1980年代以降強くなったR&B / ソウルミュージック=プロデューサーミュージックという傾向にも、アフロアメリカンコミュニティからの支持があることについて相当 “コンシャス” (意識的)になっていたことは想像に難くない。
『デンジャラス』におけるテディ・ライリーの起用は絶妙なタイミングであったと共に、マイケル / テディのお互いにとってハッピーな結果となったのではないだろうか。この後トレンドライダーなスタンスで、R.ケリーやロドニー・ジャーキンスを起用したのだから。
いずれにしろ『デンジャラス』は、80年代の三部作以上に、特別な思いが込められたアルバムだったのかもしれない。
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2023.08.29