第二のチェッカーズと言われた SALLY が、キリンレモン2101の CM タイアップ曲「バージンブルー」でデビューしたのは84年の7月1日。
今も鮮やかな残像が残るその CM は、杉本哲太が浴衣の女の子をおぶって川を渡るという青臭くも切ない青春の1ページをイメージ。そんなセンチメンタルな映像とマイナー調の切ないメロディがマッチして、SALLY は一気にシーンへ浮上した。
彼らが第二のチェッカーズと言われた所以は、サックスをフィーチャーしたオールディーズテイストなロックンロールに根付いた楽曲にある。また、ファーストアルバムのジャケットで見せたファッションが、チェック柄のいわゆるチェッカーズファッションに対抗した市松模様のスーツスタイルだったからかもしれない。
SALLY というバンド名の由来は、リトル・リチャードの楽曲で、ビートルズもプレイしたロックンロール・クラシックの大名曲「のっぽのサリー(LONG TALL SALLY)」から。彼らが敬愛する矢沢永吉率いるキャロルと同じく、女性の名前をバンド名にしたことも興味深い―― チェッカーズのバックボーンを語る上でも、邦楽ロックンロールのオリジネイタ―、キャロルの名前を欠くことはできないが、そんな部分も含めてチェッカーズと SALLY の共通点はあまりにも多かった。
相違点は、チェッカーズがアメリカの黒人ドゥーワップに傾倒していたのに対し、ジョン・レノンがリーゼントスタイルでキメていたハンブルグ時代のビートルズに SALLY が近かったことかもしれない。そんなアマチュア時代のビートルズと同じ匂いを感じとった山田パンダ(元かぐや姫)の目に留まり、SALLY はデビューする。
フォークソングの第一人者である山田氏は、70年代、長髪に薄いオンスのフレアジーンズを履いた後期のビートルズ世代。彼は自らが敬愛したビートルズのルーツを SALLY に見いだし、手塩にかけてプロデュースしデビューさせたのだと思う。ちなみに SALLY は山田氏が独立し設立した山田パンダカンパニーと専属契約。キャロルと同じレコード会社である日本フォノグラムからデビューを飾っている。
めんたいロック発祥の博多や北九州からほど近く、フィフティーズとドゥーワップが根付いた街、久留米出身のチェッカーズに対し、東京出身で、吉祥寺にある法政一高の同級生で結成された SALLY は、80年代、音楽が多様化する中で、初期ビートルズのシンプルなロックンロールを選んで音を突き詰めていった。彼らの感性はチェッカーズとは違った意味で洗練されていたと言えるだろう。
SALLY は「バージンブルー」の大ヒットのあと、「悲しきYoung Love」「愛しのマリア」とスマッシュヒットを放っていく――
このとき、東映映画『パンツの穴 花柄畑でインプット』の主題歌に「愛しのマリア」が採用されている。『パンツの穴』は、グラビア雑誌『BOMB!』の人気コーナー、読者投稿によるちょっとエッチな体験談を映画化したもので、第一弾では菊池桃子が主演し、当時の男子中高生の間で大きな話題となった。さしずめ日本版『グローイング・アップ』のようなものだ。この第2弾である『花柄畑にインプット』が公開された頃が SALLY 人気のピークだったのかもしれない。
彼らが得意とするマイナー調の切ないメロディは、まさに青春の1ページを飾るに相応しい胸がキュンとなるような刹那があった。キリンレモンの CM、そしてパンツの穴。そこに共通するものは、つまり青春である。しかし、青春は儚く SALLY は「バージンブルー」から6枚のシングルを残し2年後に解散してしまう。
ビートルズに根差したアプローチで登場した SALLY。そのバックボーンを垣間見せる洗練された楽曲と、メンバーの “初々しいルックス” とは相反して “聴かせる演奏テクニック”… 彼らは短い活動期間ながら、僕らに鮮烈な印象を残してくれた。
2018.06.30
YouTube / Celica DoubleX
YouTube / callfromthepast
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