今年2018年は、サザンオールスターズ40周年。2016年から2年間続いたソロワークスは今春のうちに区切りがつき、いよいよ再始動となりそうだ。桑田佳祐はその間も休まず隠れようもない名曲を次々量産してきたので、こんなこと言うと罰が当たりそうだけれど、正直 “サザンのファン” にとっては待たされた2年間である。
サザンと桑田のソロとの区別がつかないというのは一般論だろう。私見でも、もはや詞曲の作風の違いはほぼなくなった。重要なのは編曲(演奏)の面だ。サザンの中にはソロっぽい聴感の曲もあるが、ソロの中にサザンっぽい聴感の曲はないといっていい。ぼくは常に、サザンにしか出せないバンドサウンドを欲している。
桑田のソロは二極化してきた。片や、サザンよりも小編成による硬派な【フォークロック系】。片や、プログラミング(打ち込み)の多用によりクラブミュージックとの親和性も感じられる【J-POP系】。
近年は後者が顕著である。「ヨシ子さん」にしても「大河の一滴」にしてもグルーヴに濁りがない。まるでペイントソフトのレイヤーが幾枚も重なって出来たグラフィックアートのようで、各音が完全には混ざらない配列美を成している。それは打ち込みの仕業に限った結果ではなく、おそらくミュージシャンたちの “リズムの性格” に衝突がなくて、演奏の総意が導かれやすいことも影響した結果だ。
現代のクラブミュージック的価値観からすればその配列美こそ正解であるが、元来のロック的価値観からすると個性に欠けるグルーヴともいえる(決して優劣ではなく、それぞれの特性である)。要するに “グルーヴを濁す”(=予定調和を崩す)仲間がいることがロックバンドの醍醐味であり、ソロではなくサザンであるということの音楽的意義だとぼくは思っている。
ズバリ言うと、キーマンはベーシスト関口和之だ。今やハワイアンミュージックのアンバサダーとして国内第一人者であるゆえ、ソロワークスではまったくベーシストの顔を見せないが、ぼくにとっていつしかサザンを聴く楽しみの3分の1程度は、彼が弾く異分子のベースラインになった。同一のメロディにもまるで違う展開を好み、ときとしてコードに含まれない音をぶつける。そのように野心的な試みを饒舌になり過ぎない手数にまとめ、歌の背後でシレッとやる男。クセモノと表すに相応しい。
彼らが無期限活動休止(結果的に5年間休止)に入った2009年、桑田はとある野外フェスでヘッドライナーを務めた。演奏に亀田誠司やスカパラホーンズが参加したのはソロならではだったが、さらにキーボードに原由子、ドラムスに松田弘まで参加したのにはオヤ? となった。無期限とまで宣言しておいて、関口以外のサザンがあっさり揃ったのだ(パーカッショニストの野沢秀行は腰痛の長期療養中だった)。
そこで思い返したのは、2000年代以降のレコーディングでは桑田がベースも演奏する機会がぐっと増えたこと。それだけ作曲と編曲が密な関係になってきたのだろう。アルバム『キラーストリート』(2005年)発表時期のインタビューで桑田は関口について「ユニークな発想をする」「アーティスティック」「サザンの要」などと評しており、今にしてそこに微妙なニュアンスが感じられる。
スタッフも同じ、サポートも同じ、ソングライターも同じ、そして売れるかどうかのプレッシャーも同じという中でさえ、サザン=桑田にはならない。単純に裏返せば、ベーシスト関口による予測しかねる “濁し” をフロントマン桑田が受けとめられる心持ちのときが、サザン活動期なのだ。ちなみに、現時点彼らの最新作にあたるアルバム『葡萄』(2015年)のセルフライナーノーツで桑田は「やはり関口和之は天才なのである」「あいつのこの発想はいったい何処から来るのだろうか?」などと綴っている。
そこはかとなくユニークでストレンジな関口らしい名演を具体的に語ると枚挙に暇がないのだが、アルバムならば80年代の名盤『人気者で行こう』(1984年)が代表作といっていいかも知れない。シングル「ミス・ブランニュー・デイ」のデジタルビートが鮮烈な一方で「JAPANEGGAE」「よどみ萎え、枯れて舞え」「女のカッパ」「海」など、有機的なベースラインがリードしている曲が多いアルバムだ。もしも関口の意匠がなかったら、ニューウェイヴ全盛期の聴感によってその後風化してしまった気がする。
中でも2曲目「よどみ萎え、枯れて舞え」は、彼のベストプレイの一つ。メロディを引き立たせるフレーズをきちんと決めながらも、時々独りそっぽ向いて違う鼻唄を歌っているような奔放さ。まさに、いちばん付き合いが古い学友ながら未だ噛み合わないという “桑田君と関口くん” の不思議な絆を見るようだ。ほんと、サザンに在籍する天才は一人じゃないのである。
さて、40周年。経年ごとに非情なまでの楽曲上位主義になっていくサザンの中で、今度はどんなクセモノぶりを見せてくれるのか、関口和之の活躍にワクワクする(ぼくだけなんでしょうかね)。
仲良くなければロックバンドは続かない、けれど気が合うばかりではロックはつまらない。サザンが面白いまま40年も続いてきたのは、そのパラドックスを保持してきたからだということを声を極小にして言いたい。
2018.01.14
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