1月21日

チェッカーズの躍進と吉川晃司の登場! 1984年、僕はなりたい自分を手に入れた

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チェッカーズのセカンドシングル「涙のリクエスト」がリリースされた日
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1984年に何があったかと言って真っ先に思い浮かぶのは、チェッカーズの躍進と吉川晃司の登場だ。当時男子高校生だった人ならわかってくれるだろう。つまり何を言いたいのかというと、彼らのおかげで僕らは、どうやったら女のコにモテるのか? という具体的な目標を手に入れたのだ。

そう。彼らのファッションというのがめちゃめちゃキャッチーだったし、手に入れれば確実に近づけるという根拠のない自信があったのだ。それはジャニーズ系でも、ツッパリでもない、新しいタイプのアイドルだった。

オールディーズにも通じるチェッカーズのポップなロックンロールも吉川晃司の佐野元春に通じる都会的なセンスも僕を唸らせるものがあった。だから、勝手に親近感を感じていたし、今までのアイドルとは一線も二線も画した真新しさというのもがあった。

チェッカーズのルーズなシルエットのチェック柄を身にまとったファッションや、吉川晃司が身にまとっていた BOX タイプのスーツ。時には中にTシャツを着ていることもあった。このスタイルがどれだけカッコよかったことか。

84年といえば、日本全国を席捲した DC ブランドブームの1年前である。当時原宿と新宿のアルタの隣に「ダンハイツ」というブランドの店があった。あくまでも DC 風。そこで流行の最先端が安価で手に入ったのが何より嬉しかった。

「ダンハイツ」で売られているジャケットやシャツはチェッカーズ風のキュートさもあり、吉川晃司風のカッコよさもあった。それゆえにキャッチーだったわけだが、これが、当時の DC ブランドの三分の一ぐらいの価格で売られていたので、高校生にはありがたかった。ここの服を着て歌舞伎町東亜会館のディスコに繰り出すというのが一番イケてる高校生だと僕は信じて疑わなかった。

そして、そんな思考回路で毎日を過ごしていた僕に女性アイドルがグッと身近になった出来事も84年に起こっている。

アイドルグラビア雑誌『DUNK』の創刊だ。この年の5月に発売された創刊号では、表紙はペコちゃん風に舌を出した小泉今日子のアップだった。当時キョンキョンは「渚のハイカラ人魚」オリコン1位を記録するトップスターだったのだが、この無防備ともいえるアイドルの笑顔が僕らとの距離をぐっと縮めた。つぶれた通学用の学生カバンには毎日『DUNK』を忍ばせ、授業中にページをめくっては、ニヤついていたことを思い出す。

ちなみに翌年の創刊一周年記念号には、再度キョンキョンが学ラン姿で登場するのだが、こちらも男装の麗人といったイメージではなく、キュートさ炸裂。相も変わらず進歩もなく1年前と同じ様にハートを撃ち抜かれたことを思い出す。

『DUNK』はのちに菊池桃子主演の映画『パンツの穴』のヒットを輩出したアイドル誌『BOMB』のスタイルを踏襲した A5 版の小さな判型だった。今考えてみると、『BOMB』のほうがグラビアの露出度が高かったように記憶があるが、僕は『DUNK』に出てくるアイドルのクラスメイト的な親密感が好きだった。

このように84年は僕にとって、モテるためにどんなスタイルを目指し、どんな女のコを連れて歩きたいか… という当時の人生の総てと言ってもいいくらいの難題がすべてピカッと明確にひらめいた年でもあったのだ。

目指すものや理想を手に入れると、おのずと毎日が楽しくなる。これを象徴するような当時の邦楽ヒットナンバーを振り返ってみると…

チェッカーズは売野、芹沢コンビ時代の大名曲「涙のリクエスト」からはじまり、「悲しくてジェラシー」「星屑のステージ」「ジュリアに傷心」というヒットを連発。そして85年にリリースされた「あの娘とスキャンダル」は、初期『夕やけニャンニャン』のオープニングとしても使われていたので、僕ら男子高校生とは切っても切れない間柄だったことが分かる。

84年2月1日に「モニカ」でデビューし吉川晃司は「サヨナラは八月のララバイ」「ラ・ヴィアンローズ」と NOBODY〜大村雅朗サウンドを自分のものにしてゆく。また、アルバム『パラシュートが落ちた夏』の中では、佐野元春の「I’M IN BLUE」を披露。音楽の趣味も僕にとって身近だったし、青いストラトキャスターを持つその姿には本当に憧れたなあ。

蛇足だが、ここから NOBODY の躍進も始まるのだった。アンルイス、浅香唯など、当時のヒット曲のほとんどを彼らが手掛けるという時代に入っていったのだ。

チェッカーズと吉川晃司のヒット曲をこうやって羅列しているだけで、もうワクワクが止まらない。ちょっと後になると、SALLY や C-C-B も出てくる。バンドブームにはまだまだ… のこの時期、芸能界とロックは密接に繋がっていた。つまり必ず仕掛け人がいたということ。だからこそ生まれた名曲の数々。僕はきらいじゃない。

来たる7月20日のリマインダーとスポットライトが共同で主催するイベント『DJ Party 時間旅行1984』(場所:スポットライト新宿)で、この辺りの邦楽ヒットナンバーもスピンします! 懐かしみましょう! 楽しみましょう! みんなでタイムスリップ! 十代の自分に再会しましょう!

2019.07.04
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1966年生まれ
ブルースノウ
初めてチェッカーズを見たのは 「レッツゴーヤング」だっけな〜  まだデビュー間もない頃で 売れてもない時期。でも ボーカルのコのあまりの可愛さに撃ち抜かれ…それが藤井郁弥として チェッカーズとして一大ブームを作っていく存在になるとは 想像もできなかった。それからは もう寝ても覚めても藤井郁弥。当時受験生だったけど 家族公認アイドルがテレビに出るときは 大声で「出るよー」と呼ばれ 束の間の夢のひとときを過ごしたものだった…
そして 吉川晃司。デビューライブを見るために 学校を早退し 隣県のライブハウスまで 誰にも内緒で行った優等生の私。あり得ない体験と共に 一種のトランス(言い過ぎ💦)状態からの吉川晃司落ちだった…
佐野元春好きな私に 大沢誉志幸を教えてくれた吉川晃司。いろんなことが 私の中に広がるきっかけとなった1984…
東北のド田舎の私がにも 音楽の楽しさが果てしなく広がる時代の始まり。
2019/07/04 08:24
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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