松田聖子は1989年6月に、デビュー以来所属してきたサンミュージックから独立し、個人事務所を設立。この直後の90年に発表されたアルバム『Seiko』が、最初の大きな分岐点となった。そう、Seiko名義でのワールドデビューアルバムである。全編英語詞のアルバムは、フィル・ラモーンのプロデュースによる85年の『SOUND OF MY HEART』があるが、こちらは日本発売のみであったため、本作が本格的な海外進出の第1作となる。
続く『We Are Love』では、全曲の作詞に挑んでいる。アレンジは全て笹路正徳。作曲には羽田一郎、尾崎昌也、上田知華、原田真二といった面々で、そこに松本隆や大村雅朗の名はない。そしてタイトル曲と「Kiss Me Please」では、当時、恋の噂で世間を騒がせていた「ジェフ君」ことジェフ・ニコルスとのデュエットが収録されている。
そして、92年の『Nouvelle Vague』は、全曲が聖子の作詞、作曲も全て聖子と小倉良の共作、全アレンジは鳥山雄司と、セルフプロデュースへと舵を切った。この曲に収録された「I Want You So Bad!」は、聖子流セクシー路線の最初の楽曲で、この時のPVの際どさはなかなかのもの。このアルバムには、初のセルフプロデュースシングルとなった「きっと、また逢える…」も収録されている。
また、ジェフ・ニコルスとのデュエットなど、スキャンダルを逆手にとって突き進む姿は、アイドル時代からのファンを引かせたとおぼしいが、2000年には郷ひろみとのデュエット「True Love Story / さよならのKISSを忘れない」を発表し、この路線でも本気だったことを世間に納得させてしまったのである。それもまた “松田聖子の現在地” を聴き手に見せていく方法なのだろう。
ここで1つ重要な点は、「きっと、また逢える…」のような純正バラード曲だ。日本のポップスではアイドルがこういう曲を歌っても、広く大衆に受け入れられることは少ない。ビートもグルーヴ感もない、シンガーの歌唱表現だけで勝負する、いわゆるポピュラースタンダードのような楽曲は、日本人向けではないのである。アメリカでももちろん主流ではなかったが、その流れが変わったのは、1985年、ホイットニー・ヒューストンが発表した「すべてをあなたに」(Saving All My Love for You)の大ヒットだろう。ホイットニーは92年にも自身の主演映画『ボディーガード』の主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(I Will Always Love You)を再び大ヒットさせ、バラディアーとしての魅力を全開させている。