1996年 3月31日

CDが400万枚も売れた時代!globe のファーストが発売された1996年ってどんな年だったの?

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400万枚以上の売上を記録したglobeのファーストアルバム


globeは、音楽プロデューサーとしての絶頂期にあった小室哲哉が自らもメンバーとなり結成した3人組ユニットだ。そのファーストアルバム『globe』は、1996年3月31日にリリースされている。

このアルバムにはデビュー曲「Feel Like dance」から「FREEDOM」まで5枚のシングル曲が収録されており、売上はオリコンおよび日本レコード協会両方のデータで400万枚を超えるとされている。後に宇多田ヒカルの『First Love』『Distance』に抜かれるが、リリース当初は史上最高のセールスを記録したオリジナルアルバムだったのである。

今となっては想像も難しいが、CDが400万枚も売れた時代が確かにあった。そこにはいかなる時代背景があったのか? 1996年とは一体どのような年だったのか?

90年代中期の若者たちの心情や日常を繊細に捉えた小室哲哉の歌詞


大前提としてあるのは、CDプレイヤーやカラオケボックスの普及により、シングルやアルバムのミリオンセラーが次々と出現する空前のJ-POPブーム、CDバブルが起こっていたことだ。この現象は1991年頃から始まり、1996年時点でも停滞する様子がなかった。バブル景気はとっくに終わりを迎え、ファッションや音楽の流行も変化していたが、バブル的価値観が強く否定されていたわけではない。都会的でスタイリッシュなライフスタイルを目指す若者が多く、ブランド志向、恋愛至上主義の傾向も根強かった。

globeをプロデュースするにあたり、ターゲット年齢は25歳に設定されていたという。1995〜1996年頃の25歳とは、学生時代にバブル経済の盛り上がりを見てきた年代だ。小室哲哉によって綴られた歌詞は、具体的なシチュエーションの描写や小道具の使用を通じて、90年代中期の若者たちの心情や日常を繊細に捉えた。そこで、『globe』収録楽曲の歌詞の一部をピックアップすることで、CDが400万枚売れた1996年について検証していきたい。

1996年はどこでも喫煙が許されていた


『globe』には全12曲が収録されている。まず注目すべきは、3曲目の「GONNA BE ALRIGHT」である。ヴォーカルのKEIKOがラップに初挑戦したこの曲は、しっかり者の女性がダメ男的な恋人を叱咤しながらも、2人の関係性に居心地のよさを感じているような歌詞だ。そこには “お酒もタバコも" というワードが含まれている。 1996年の日本では、タバコが広く受け入れられていた。オフィスのデスク、駅のホーム、飲食店、娯楽施設など、様々な場所で喫煙が可能だった。航空機内でも喫煙OKだったし、病院にも喫煙所が存在した。

また、タバコの銘柄選びは自己表現の一形態でもあった。1994年10月放送のテレビドラマ『若者のすべて』(フジテレビ系)で、木村拓哉が演じる人物は、高いタール量で初心者向きとはいえない「ハイライト」を吸う演出がなされた。globe楽曲の登場人物は海外の銘柄を吸っているイメージだろうか。「マールボロ」か「ラッキーストライク」か「ウィンストン」か「バージニア・スリム」か。いずれにしても、1996年は今では考えられないレベルで世の中全体がタバコ臭かったのである。



デジカメはあったがフィルムを用いるカメラが主流


さらにこの時代はデジタル技術の普及が大きく進み始めていたものの、アナログ文化も根強く残っていた。4曲目の「DEPARTURES」には“ずっとふせたままの 写真立ての二人” という歌詞があるが、そこに入っている写真は、銀塩カメラで撮影されたものである可能性が非常に高い。1996年にはデジタルカメラは市場に登場し始めていたが、まだ高価であり、広く普及するには至っていなかった。その代わり、コンパクトカメラやレンズ付きフィルムが流行し、写真撮影が日常的な行為に変化していたのだ。当時、写真というのは、液晶画面で確認するものではなく、紙にプリントされたものを指したのだ。



携帯電話はあったが誰もが持っているものでもなかった


7曲目の「SWEET PAIN」は、TDKのMD(ミニディスク)ならびに「DJ-2」というカセットテープのCM曲だった。MDはカセットテープの後継メディアであり、本作『globe』はMDでもリリースされている。しかし、まだまだ録音メディアとしてカセットテープの需要は高かった。

話を歌詞に戻そう。「SWEET PAIN」には、マーク・パンサーが担当するラップパートに主人公がオフィスにて恋人と電話で会話をする描写がある。さて、この電話は携帯電話か? それとも固定電話か?

1996年は携帯電話が急速に普及していく時期で、PHSも登場していた。とはいえ、ポケットベルの契約者数がマックスである1,078万人に達した年でもある。大雑把な計算で10人に1人がポケベル派だった。同年に小室哲哉は安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」という曲で “ベルを鳴らして” という歌詞を書いている。このことから、「SWEET PAIN」で使用されているのは固定電話や公衆電話である可能性は決して低くない。

携帯電話普及以前、例えば日中にAさんがB社に勤務するCさんに連絡をとりたい場合、B社の業務用固定電話の番号に電話にかけ、「Aと申しますが、Cさんにお取次ぎいただけますか」とやっていたのである。



実用性よりスタイル性重視のクーペが人気だった


最後に9曲目の「Precious Memories」を取り上げたい。この曲は文字通り大切な思い出をテーマとしている。その歌詞は、飲酒とクルマの描写が連続する、今なら“不適切にもほどがある” となること必至の内容である。そして、そこに気になるワードが複数ある。

1つは “クーペタイプ” だ。“クーペ” とは車高が低くスポーティな2ドアのクルマのタイプを指す(4ドアのクーペも存在する)。後部座席への乗車が面倒なクーペは、実用性よりスタイルを重視する人に好まれ、バブル期には恋人同士のデートカーとして重宝された。トヨタ「セリカ」、日産「シルビア」、ホンダ「プレリュード」、マツダ「サバンナRX-7」、三菱「GTO」などが人気の車種だった。

だが、90年代以降はミニバンやトールワゴン、SUVなど、仲間が多く乗れるクルマ、荷物をいっぱい運べるクルマにシェアを大きく奪われてしまう。1996年においてのクーペは “前時代的な車種” という程でもなかったが、人気は下火になりつつあった。

なお、同アルバムに収録の「Regret of the Day」と「Joy to the love」は、トヨタの「サイノス」という車種のCMソングであることも見逃せない。サイノスこそまさにクーペだ。90年代、各自動車メーカーはコンパクト化することで、頭打ちするクーペの生き残りを狙ったが、サイノスは典型的なコンパクトタイプのクーペとして売り出された。



「Precious Memories」で描かれるアドレスの正体とは?


さらに「Precious Memories」でもう1つ注目すべきは、“アドレスのデータも” という歌詞である。“ほとんど使わない人ばかりになる” と続く。

ここでいう “アドレス” とは何か? 携帯電話を利用するキャリアメールのアドレスではない。なぜなら、キャリアメール時代の幕開けといえるdocomo「iモード」のスタートは約3年後の1999年2月だからだ。かといって、プロバイダメールのアドレスだとも考えにくい。国内初の商用検索サイト「Yahoo!JAPAN」の誕生は1996年4月、NTT系の「OCN」がプロバイダのサービスを始めたのは同年12月であり、1996年3月の時点では、PCを利用してEメールを送受信することさえ一般的ではなかったのだ。

当時の一般的な携帯電話端末に登録できるのは名前と電話番号だけだったが、 それを“アドレスのデータ” と呼んだのか? PCや電子手帳、携帯情報端末(PDA)に登録した住所データである可能性もゼロとはいえないが、それは、「Precious Memories」の主人公とあまりマッチしていない。

一方で、アナログな「アドレス帳」の略だと考えることもできる。当時はバインダー形式でページを増減できるシステム手帳がデータ管理媒体としてまだまだ幅を効かせており、そこには必ずアドレス帳のページがあった。小室哲哉の意図がどこにあろうと、リスナーによって解釈に差異があったことは間違いない。

1996年は、バブルの残像は残っていて、健康志向は今ほど高まっておらず、社会のデジタル化が急進する前夜で、インターネットは動き出したばかり…… そんな時期だった。人間関係はリアルなつながりが中心であり、携帯電話料金やプロバイダ料金は誰もが必須のコストではなかった。CDが400万枚売れた時代には、こうした背景があった。『globe』はそんな過渡期を象徴するアルバムであり、当時の若者のライフスタイルを的確に表現したことが売上400万枚という偉業を成し遂げた要因の1つなのだろう。

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2024.03.31
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