「どうしてこんな黄色い肌に生まれたのだろう」
そう泣きたくなるようなことが、度々あった。ヨーロッパの一都市に学業のため少しの間、一人で滞在した時のことである。僕はまだ、十代の子どもであった。見知らぬ街で「文脈」を異とする人たちの中での生活。下手に卑屈になった、小さな体躯の細い東洋人である僕には「彼ら」の「わたしたち」を見る目が、憐憫と嘲笑と偏見に満ちているように感じられた。「こんなところにいたくない」と心から思った。
そんな時、街の小さなDVD店で自然と僕の手は、スパイク・リーの人種差別に関する名作『ドゥ・ザ・ライト・シング』を取っていた。
映画の舞台はブルックリン。記録的な暑さになったその日、民族的出自の異なる住民たちの鬱憤は爆発の予感を孕みつつ最終的には、暴発してしまう。この作品には、アメリカの持つ根強い差別の歴史と政治的主張が巧みに織り込まれており、語るには慎重さを要する。しかし、それと映画の持つ魅力を語ることは違う。
特に、作中幾度となく流れるパブリック・エネミーの『ファイト・ザ・パワー』の使い方は最高だ。『エルヴィスも差別主義者だ、もちろんジョン・ウェインの “shit” もだ』という扇情的なリリック、これは僕にピストルズやクラッシュを初めて聴いたときのような衝撃を与えられた。そして日本にその社会性を洗い落とされ、歪められて輸入されたヒップホップに対する印象を一掃するに十分だったのだ。
作中の登場人物の一人は、大きなラジカセを持って常にこの曲を取り憑かれたように聴いている。きっと、この映画を自然と選んだ僕の心情は、彼と変わらないのだ。『ファイト・ザ・パワー』は、作中において暴動を誘発する契機とも描かれているし、繊細な彼の心の支えとしても描かれている。
ある種の「ファイト」が「ライト・シング」か、答えは宙吊りだ。しかし、曲の持つその得体の知れない情念のようなファイトする「パワー」が、映画の華やかなビジュアルとともに僕を虜にしたことは確かだ。
そしてこの映画は、いつでも僕の『心をタフに』してくれるのだ。
2016.06.30
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