かつて表参道の同潤会アパートにあった丸玉商店
同潤会青山アパートメント。現在表参道ヒルズがある場所には、大正15年に竣工された歴史的な集合住宅が表参道のシンボルだった。80年代の半ばからは、この建物にハイセンスなブティックやギャラリーが数多く入居。ラバーソールをはじめとするロンドンから直輸入されたシューズを扱う “丸玉商店” もそのひとつ。
当時、いわゆるラバーソールは入手困難品。クラッシュのメンバーがこの靴を履いている姿を雑誌で見て原宿の老舗店に行くがサイズがない。何とかならないものかと男性のラバーソールを履いたが、ぶかぶかに加えて重過ぎる。これに3万円近くは出せないのが本音。売っている店は限られていたし、値段も当時としては高価だった。
そもそもレディースのサイズがないから仕方ない。でも、クラッシュと行動を共にしていた女性シンガー、パール・ハーバーのように履いてみたい。知り合いのデザイナーがようやっと25センチぐらいのサイズを見つけてくれた時は飛び上がるほど嬉しかった。私はサイズの大きいこのラバーソールに、中敷き3枚とスポンジを入れて履いていた。
ラバーソールにニーソックス、タイトなミニスカートにメンズのジャケットを着たらロンドンの不良みたいな着こなしができる。このスタイルで出勤しているとファッション誌のカメラマンにスナップ写真を撮られ、聞かれることはだいたい不思議な靴のことだった。今ほどラバーソールはメジャーでなく、クラッシュやストレイ・キャッツのメンバーが履いていて、ごく一部のロックファンだけが羨望の眼差しで見ていた。
そんなある日、ラバーソールを中心に取り扱う専門店が表参道にできたと聞き、早速仕事終わりに行くことにした。丸玉商店という定食屋のような名前の店は、同潤会アパートの中にあった。扉を開けるとそこには、“ジョージコックス” を始め、“ローク”、“ゲッタグリップ”、“ドクターマーチン” など、英国ブランドの当時日本では未入荷に近い靴が棚中に並んでいた! しかも老舗店より1万円近く安かったのでびっくりした。
オーナー風のおばさまが、先ず私の足元を見て声をかけてきた。私は勢いと熱意で、大きなサイズのラバーソールを履いていることを話すと、今店にはないが、小さいサイズが英国から取り寄せ可能と言われ、迷うことなく頼んだ。
私は、おばさまのお勧めの23センチの “レッド・オア・デッド” の メリージェーンと呼ばれる厚底のストラップシューズを買い、取り寄せの連絡を待った。
一瞬目があった長身の男性は櫻井敦司。BUCK-TICKのボーカルだった
待つこと2ヶ月以上。船便で私の靴が届いたとおばさまから連絡があった。早番の日、重くて硬いラバーソールを履いた私は、ウキウキしながら表参道の緩い坂を上り、同潤会アパートを目指す。
店内に入るとおばさまに試し履きを薦められた。先客の男性の声が聞こえてきたのはシューズの紐を締めている時だった。その声は聞き覚えがあった。おばさまが「そのまま履いて帰れば? 足が楽よ。靴箱はどうする?」と話しかけられた時にその長身男性と一瞬目があった。
櫻井敦司。当時インディーズシーンを沸かせていたBUCK-TICKのボーカルだった。
BUCK-TICKのライブは新宿ロフトで数回観たことがある。容姿端麗、個性的な歌声が印象的であったが、プライベートということもあり、その時、後追いする気はなかった。私は、靴を新品に履き替えておばさまにお礼を言い丸玉商店を後にする。
表参道の煌びやかな喧騒とは別世界の同潤会アパート
かつての同潤会アパートには中庭があった。木々が生い茂る中庭には、錆びついた井戸もあった。表参道の煌びやかな喧騒とは別世界がそこにあった。歩き出すと微かに猫の鳴き声がした。
鳴き声がする方に近づくと軒下に黒猫がいる。首輪してないが住民の猫か? おいでおいでして撫でていると更にもう1匹、白黒ハチワレ柄の猫が近づいてきた。荷物を置いて猫の目やにを取ったりしていると背後から低い声がした。
「わ、猫だ!」
私は一瞬目を閉じた。この声の主を知っている。心臓の鼓動が高鳴り、息が苦しくなる。2匹の猫は不思議と警戒せずに私の背後の男性を見上げている。思い切って振り返ると、やはりその声の主はさっき丸玉商店にいた櫻井敦司だった。
猫になりたいって思いません?
2匹の猫同様、私が見上げた彼は、後光がさしているかのように美しかった。同じ人間と思えない美しさの圧に思わず猫たちも見惚れた様子。私は彼を直視できずに猫を撫でながら「猫好きですか?」と、かなり間抜けな問いかけをした記憶がある。
「大好きです! 猫になりたいって思いません?」
この会話から暫く私たちは互いに猫を愛でながら会話を始めた。完璧な美しさに加え、猫にベルベッドのような声で話しかけながら長い指で撫でて目を細める彼と喉を鳴らす猫を見て、私も猫になりたいと思ったがそれは口に出さずただただ彼に見惚れていた。
「まさかこんな表参道に野良猫が居るとは」
「都心の一等地ですよね。ここの住民が餌あげているのかしら?」
―― と、そんなやりとりをしていると彼は急にキョロキョロし始めた。すると井戸の向こうの茂みから更に2匹、やや小さいキジトラの猫たちが近づいて来た。
「4匹いる!? お腹空いているよね。餌買える所ありますか?」
心配そうな顔つきで私に問いかけたが、これは難題だった。表参道で猫の餌は… 少し歩いた所にコンビニ、かなり歩けば右に紀伊國屋、左に東急ストア。「私、買って来ますよ」と立ち上がると彼は言った。
「一緒に行きましょう! 夜だし、女性ひとりじゃ危ないですから」
私は泣きそうになった。この絶対的な美の化身が、猫たちの空腹を気にして私にもこんな気遣いをしてくれるなんて…。
同潤会アパートの猫たちの名前は?
背の高い彼の少し後ろを、私はゆっくり歩いた。同潤会アパート中庭の異空間とうってかわり表参道は眩しい灯りを放ち、車がひっきりなしに通っていた。後ろから見ていると彼とすれ違う女性も男性も大体通り過ぎたあとに一度振り返る。
「あの人有名人? モデル?」
「テレビに出てなかった?」
―― そんな会話が聞こえてきた。コンビニに入るとラッキーなことにカリカリがひと袋と缶詰が2つあった。思わずお互いに「よし!」となり紙皿も加えレジに向かう時、彼が「缶コーヒー飲みますか?」と聞いてきた。断るわけがない。缶コーヒーと餌代半分出すと伝えたが、彼は魅惑的な笑顔で「いらないですよ」と言った。私たちは再び同潤会アパートの中庭に戻る。
彼がカリカリと缶詰の音を立てると、直ぐに4匹の猫が大合唱で彼をめがけて集まってきた。紙皿にコンビニで貰った割り箸とスプーンで4匹用の餌を用意し2人で缶コーヒーを飲みながら猫たちが食べる様子を見ていた時に、彼の提案で猫たちに名前をつけることにした。私は覚えやすく――
黒 → 丸
ハチワレ → 玉
キジトラの大 → 商
キジトラの小 → 店
―― と提案すると、彼は笑いながら同意しその名前で呼んでくれた。私の脳内では矢沢永吉の「時間よ止まれ」がずっと鳴っている。
ボードレールは「悪の華」で書いた。猫はこの場所にいつもいる精霊
真っ暗な闇に中庭が包まれた頃、それを良いことに私は薄明かりやライターの火で、時たま照らされる彼をずっと見ていた。ここは異空間で、彼はもしかしたら幽霊? だから眩しい光を放つの? なんて思いがよぎった。
彼がたとえ幽霊でも構わないし、吸血鬼なら喜んで血を吸われたい。絶対的な美に対して私はひれ伏すしかない。そんなことをひたすら考えていた。彼が気づいて目が合ったので、思わず「すいません。美し過ぎるから見惚れていました」と。それは本音でもあり隠しようがない事実だったから。
私は常々「容姿の美しさは才能」と公言している。最近はルッキズムや過激なフェミニズムによって容姿云々について語るのが憚られる傾向にあるが、やはり容姿の美しさは才能である。もちろん、美しさの基準や価値観は人それぞれで良いと思うけれど、持論のきっかけはここから始まった。そして彼は大きな目を更に見開いて、はにかむように言う。
「ありがとうございます。でも猫の完璧な美しさにはまだまだ及びませんよ」
「猫は存在が完璧、確かレオナルド・ダ・ヴィンチが言っていましたよね」
「まさに! それだ!」
「猫はこの場所にいつもいる精霊。妖精か神かとボードレールは書きましたね。『悪の華』で…」
「『悪の華』か。ここはさながら猫の森ですね。ここに住みたいな。都会の一等地でこんな静かで猫たちの合唱しか聞こえない。咲くのは悪の華。最高しょ!」
そんな会話が続く中、猫たちは食べ終わり、毛繕いをしてそれぞれが森の闇に消えていった。私たちも立ち上がり、片付けをして同潤会アパートの出口に向かう。
また必ず猫の森で会いましょう
「今日は楽しい最高の夜でした。櫻井と言います。色々教えてくれてありがとうございます。また必ず猫の森で会いましょう。」
―― と彼は握手を求めてきた。
「田中と言います。また必ず猫の森で。あと櫻井さん、丸玉商店に来る時は丸玉たちに餌を持参することを忘れないようにしましょう。コーヒーごちそうさまでした」
彼の柔らかい手を恐る恐る握り返した。ちゃんと生きている人間のぬくもりのある柔らかい手だった。彼は表参道でタクシーを停め、車内からも私にずっと手を振ってくれた。美し過ぎる人は猫の森の神かもしれない。
ゆっくりと振り返ると、やはり声の主は…
それから1年くらいは丸玉商店でも猫の森でも彼に会うことはなかった。猫たちはすっかり私に懐いて餌を待つようになっていた。
表参道に面する同潤会アパート。道をはさんだ真向かいの場所には、一軒家を改造した “バンブー” というサンドイッチハウスがあり、猫に会った後は、ここでよく休憩をしていた。ガラス張りの店内から見える庭にはたくさんの木々が生い茂り居心地が良かった。
ある日、友人とランチをしている時に混雑している店内からターキーと小海老のサンドイッチをオーダーする聞き覚えのある声がした。騒がしい店内が一瞬静かになった。明らかに空気が変わった。ゆっくりと振り返ると、やはり声の主は櫻井敦司、その人だった。店内中の客が知ってか知らずかひたすら彼を見ていた。友人だけはお構いなしにずっと喋り続けている。
私は緊張から無口になり会話は上の空。ツナメルトサンドを食べている場合じゃない。いまさら化粧直しに行くにも間に合うはずないが、鏡ぐらいは見たいと焦りながらバッグを手にした時に声がした。
「お久しぶりです。田中さん」
「あーーー!! お、お久しぶりです。行きましたか?」
私のことを覚えていてくれた喜びと驚きで声が上ずっているのが分かる。心臓が口から出そうになるとはまさにこの瞬間。彼はトレイを持ちながら「はい! これから行きます。じゃまた」と私たちの近くの席に座った。
友人はささやき声で「モデル? 美容師? とりごぼう?」と彼のことを聞いてきた。“とりごぼう” と言うのは、トサカみたいに髪を立てて口を歪めて下半身は黒のスリムジーンズを履いてるバンドマンに対する彼女の呼び名である。
「とりごぼう界隈にあんな神がかった美男いるんだ!」
「だって神だもん」
そんな会話をしながら彼の様子を眺めていた。しばらくすると彼は立ち上がり私たちの前を通る時に黒いジャケットのポケットから猫餌の缶詰と小分けにしたカリカリを見せて「行ってきます」と、ニッコリ笑い去っていった。私はちゃんと覚えていてくれたことに感激しながらもOKサインを指で作ることしか出来なかった。
この時、友人と別れて彼の後を追う選択も頭によぎった。しかし、私と彼は同じ靴屋で出会った猫の森を知る仲間でいたかった。BUCK-TICKファンのような態度を見せたら彼が構えてしまうのが怖かったから…。
竹下通りに移転した丸玉商店、この時が最後の会話に…
しばらくした80年代の終わり頃、丸玉商店は同潤会アパートから原宿駅近くの竹下通りに移転した。
その頃、安全靴を履いていた若い子たちに “ドクターマーチン”、“ゲッタグリップ” は瞬く間に浸透していった。ラバーソールのコピー品も出回り、バンドマンの定番靴になっていった。レディースのラバーソールもどきも安価で手に入るようになる。
移転した丸玉商店はビルの2階にあった。ある日、新店舗の狭い急勾配の階段を上り出したら上からドアを開けて人が降りてきた。お互い目が合った。バンブー以来の櫻井敦司だった。ゆっくり階段を上りながら「お久しぶりです」と声をかけた。
「今日も行って来ましたよ」
「私も昨日行きました」
などと会話をしていると階段下から制服を着た女学生の声がした。彼女たちは「バクチクのあっちゃん!? マジで!?」と今にも狭い階段を上って来る勢い。「店に迷惑になっちゃうから行きますね…。田中さん今度また色々話しましょう」と、階段をゆっくり降りて行った。それが私と彼の最後の会話になるとはこの時は思わなかった…。
異空間にある猫の森に帰った櫻井敦司
それから時は経ち、私たちが足繁く通った同潤会アパートは取り壊され、文字通り井戸端会議した、あの井戸があった場所は表参道ヒルズの駐輪場になった。猫の森もなくなった。4匹の猫たち “丸” “玉” “商” “店” も、もういないだろう。
竹下通りの丸玉商店もなくなり、代わりに英国製から中国製になったドクターマーチンの店舗が増えた。それでも何処か猫がいる路上に彼がふと現れるのではないかと言う想いはずっと消えなかった。元祖ヴィジュアル系にして、男女共に魅入られる神々しい美しさを持つ彼は、常に猫のように存在が完璧であることを目指していたからだ。
櫻井敦司はきっと異空間にある猫の森に帰ったのだ。そこには彼が愛した沢山の猫たちに混じって “丸” “玉” “商” “店” もいるはずと信じている。
写真提供:ロニー田中
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2023.11.09