忌野清志郎と桑田佳祐は、日本のロックスター像の対極という見方もできれば、歴史上数少ない同志という見方もできる、面白い関係だと思う。
2人とも、たとえば矢沢永吉のように研ぎ澄まされたナルシズムはない。いくら派手な化粧をしても、いくらバイリンガル風に歌っても、そこには本来の自分との文化的距離を客観視した照れが “茶化し” として表れている。
清志郎が星の数ほど口にした「ベイベー」はその種明かしともとれるだろう。“別の何かになっている僕に、どうぞ騙されたフリして着いてきてね” という、ある意味プロレス的な暗黙の契りを観客と交わすステージングが、2人には共通している。
また細野晴臣や大滝詠一ほどの学術性・都会性といったものもないことから、RCサクセションとサザンオールスターズは黎明期の系譜のどこに配置しても収まりが悪い。そういう突然変異っぽさも共通していると思う。
清志郎は、ぼくの脳天を突き刺す。
その確固たる声の個性については “高い” より “明るい” が重要だ。サム・クック、スペンサー・ウィギンス、オーティス・レディングなどを聴いても思うことだが、声が明るいというのは流行歌手にとって大きな強みである。
日々の憂いや悲しみを乾いた娯楽に転化した音楽といわれるブルースやロックを素晴らしく歌うことなど、彼にとっては朝飯前だったのだろう。学生時代「おまえの声は黒人みたいだから、もっとそういう音楽を聴いたほうがいい」と友人のお兄さんに言われて方向性が定まったのだとか。そのお兄さんに心からの賛辞を贈る。
一方、桑田はぼくの腹をぶん殴る。
歌唱法はロカビリーの常套スタイルとされるヒーカップ唱法に近い。本来の同唱法は、節の語尾を小気味よくしゃくりあげるものだが。桑田の場合どこでしゃくったのか追いきれないほど至るところで次々と “波” が立ち、表情の乏しい日本語の音を踊らせていく。
他が真似たら気色悪いものになりかねないが、さらに彼の声には絶妙な聴き心地の “砂” がかぶさるのだ。波と砂の合わせ技。老若男女が四六時中聴いていたい希代の艶声が浜辺に近い町から生まれたことは、はたして偶然か必然か。ただのこじつけか。
競演歴は80年代に集中している。映像メディアに残されたところではやはり、様々な面から語り継がれている日本テレビの特番『メリー・クリスマス・ショー』(1986年・1987年)でのソレが代表的。
発起人の桑田が書きおろした曲「セッションだッ!」を2年連続、プロレス中継仕立てで披露した。また、1993年に泉谷しげるの呼びかけで開催された奥尻島チャリティコンサートでは「春夏秋冬」を、泉谷、清志郎、桑田、小田和正の4人で披露する一幕があった。その中で桑田から清志郎へのボーカルリレーが実現したときは、とりわけ鳥肌ものであった。
桑田は清志郎について「いつも会うとワクワクする人だった」と述べている。2009年ソロ名義で発表した大作「声に出して歌いたい日本文学」(文豪たちの作品の一部を歌詞として引用した長尺のメドレー曲)の中には、同年逝去した清志郎へのオマージュも含まれている。
ホンキートンク調に乗せてベイベーを連呼する「たけくらべ」。テレビで一度だけ披露した際には、桑田の容姿にはおよそ不釣り合いな清志郎コスプレも行っていた。その不謹慎ともとれる “茶化し” に、2人だけが共有していた流儀をみつけて余計にグッときたおぼえがある。
片や体制の外側で牙をむき、絶え間ない破壊を通じて時代を変えたロックスター。片や体制の内側に割り込み、絶え間ない創造を通じて時代を変えたロックスター。
それでも、忌野清志郎と桑田佳祐は歴史上数少ない同志である。
2018.02.26
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