実質的なデビューはドラマ「毎度おさわがせします」
1985年に放送されたドラマ『毎度おさわがせします』への出演が実質的なデビューであった中山美穂は、デビューから3年後の1988年、浅香唯、工藤静香、南野陽子と共に “アイドル四天王” と呼ばれる。しかしながら、多くの人にとって、中山の評価は、90年代に大ヒットを記録した「遠い街のどこかで…」や、「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS名義)で見せる情感豊かでプロフェッショナルな女性シンガーの印象が強い。
考えてみれば “アイドル四天王” にしてみても、プロ意識の極めて強い4人がそう呼ばれていた。『スケバン刑事』の過酷なアクションシーンに対しても真摯に向き合う浅香、南野のひたむきさや、中山、工藤のずば抜けた歌唱力が正当的に評価され、新しいアイドルのかたちが構築された時代だった。
中山美穂の大きな転換期だった1988年
“アイドル四天王” という言葉が一般化したのは、1988年以降から。ちなみに、このネーミングの起点は、テレビ情報誌『ザ・テレビジョン』(KADOKAWA)による特集記事からだとされている。この1988年は奇しくも中山にとって、大きな転換期であったことを記さなくてはならない。
それまでの中山といえば、『毎度おさわがせします』では、教室に男子生徒を集めてストリップの真似事をする性に奔放なトラブルメーカーのツッパリ少女 “森のどか” 役として、全国のボンクラ男子中高生を一気に魅了。翌年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』への出演では、森のどかのキャラクターとは相反する優等生で学校のマドンナという設定の “泉今日子” 役でファンの層を一気に拡大。
デビュー曲の「C」から「色・ホワイトブレンド」「クローズ・アップ」と順調にヒットを飛ばす。CMにも頻繁に登場していたので、マルチタレントの印象が強かった。しかし、一過性ではなく、息の長いタレントとしてその後の中山の方向性を決定づけたのが、シンガーとしてのひとつの到達点を見せたこの1988年だった。
この年の2月にリリースされた6枚目のオリジナルアルバム『CATCH THE NINE』で自身初のオリコンアルバムチャートで1位を獲得。同年にリリースされた3枚のシングル「You're My Only Shinin' Star」、「人魚姫 mermaid」、「Witches」の全てがオリコンチャート1位を獲得。『紅白歌合戦』に初出場を果たす。
シティポップブームで再評価された「You're My Only Shinin' Star」
昨今のシティポップブームで再評価される角松敏生作品である名バラード、「You're My Only Shinin' Star」、当時大ブレイクしていたデジタル・ファンク的なアレンジを導入した「人魚姫 mermaid」では、心地よく緩やかなメロディの中で、澄み渡る海を優雅に泳ぐ人魚のような中山のヴォーカルが秀逸だ。
そして「人魚姫 mermaid」の流れを汲みながら、よりフックを効かせたダンサブルな「Witches」で大衆性をアピール。この年に連発したヒットシングルでお茶の間を魅了した。
アルバムアーティスト中山美穂の軌跡の中でも重要な部分に位置する4作品がリイシュー
この度、8月30日にタワーレコードが企画する世界初のSACDハイブリッド化プロジェクトの第2弾としてリリースされる『ONE AND ONLY(+8)』、『Mind Game(+4)』、『angel hearts(+5)』、『Hide'n' Seek(+6)』の4作品は、この88年を軸として、この前後に発表されたものだ。つまりシンガーとしてのひとつの到達点を見せたアルバムアーティスト中山美穂の軌跡の中でもかなり重要な部分に位置する。
シングル曲を一切収録せず、中山自身も初めて選曲に関わった『ONE AND ONLY』は小室哲哉作曲の「Linne Magic」を含む全10曲。当時主流になりつつあるデジタルビートが主体のアレンジの中、表現力豊かなシンガーとしての中山の魅力を十人分に体現できる。
そして、「人魚姫 mermaid」が収録されジャケットには黒いハイレグビキニを着用した本人のイラストも大きな話題を呼び、88年にリリースされた『Mind Game』では、久保田利伸が数多くの楽曲を提供。このアルバムは、ヴィジュアル面でファンを驚かせながら、本格的なダンスミュージックと向き合い、アルバムアーティストとしての独自性を確立させた意欲作だ。
同じく88年にリリースされ、珠玉のバラード「Sweetest Lover」から幕を開ける『angel hearts』は、さまざまなタイプの楽曲が収録され、90年代に開花する本格的シンガーとしての道筋の序章とも感じ取れるだろう。
翌年の89年にリリースされた『Hide'n' Seek』では、中山の歌声が複雑なアレンジの中で楽器の一部のような印象を醸し出す。つまりグルーヴが素晴らしいのだ。全体的な印象としてファンクをフォーマットとしながら、中盤にアクセントのように収められたバラードも不思議な余韻を残す。当時中山は19歳。この年齢でこれだけのクオリティを残すということは、かなり早熟なシンガーだったと言えるだろう。
90年代以降の中山の活躍を俯瞰しながら、この時期のアルバムを聴いてみると、88年がいかに中山にとって意義深い年だったということが分かる。“アイドル四天王” という呼び名が定着した1988年は、本格派シンガーへと飛躍する門出の年だった。
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2023.08.27