1月21日

南佳孝「スローなブギにしてくれ」ジンに酔ったのはフィリップ・マーロウ?

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photo:NIPPON COLUMBIA  

角川映画「スローなブギにしてくれ」松本隆に提示されたふたつの条件


1981年3月に公開された角川映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌として発表された、南佳孝「スローなブギにしてくれ(I want you)」。

角川春樹から直々に作詞の依頼を受けた松本隆には、ふたつの条件が提示されたという。ひとつは、映画のタイトルを曲のタイトルにすること。もうひとつは、映画のストーリーに添ったハードボイルドな世界を見せること。

南佳孝から届いたデモテープには、あの鮮烈な歌い出し、「Want you」がすでに入っており、松本隆はそこからのストーリーを考えることとなる。そして、出来上がった歌詞は「Want you」で始まり「おまえが欲しい」で終わる。

そこだけを見ると、下手すればB級、いやC級のムード歌謡になりかねない。だがこの曲は、大人の雰囲気漂う上質なロッカバラードに仕上がっている。では一体、「Want you」と「おまえが欲しい」の間に、どんな魔法がかけられたのだろうか。

垢ぬけたロッカバラード、秘密はメロディーの符割り


まずは、歌詞が乗る前提としてのメロディーに注目しておきたい。この曲のリズムはシンプルなロッカバラード。12分の8拍子である。通常の4拍子の1拍の中に三連符がひとつずつ入る。

それまで、この曲以前に日本でヒットしたロッカバラードの曲といえば、平浩二「バス・ストップ」(1972年)、アン・ルイス「グッド・バイ・マイ・ラブ」(1974年)、細川たかし「心のこり」(1975年)、沢田研二「お前がパラダイス」(1980年)などが頭に浮かぶ。どの曲も歌いやすいメロディーで耳触りもいい。しかし、南佳孝「スローなブギにしてくれ(I want you)」は、頭ひとつ抜けて洋楽的とでも言おうか、どこか垢抜けている。

その秘密はメロディーの符割りにあると思われる。まずひとつは、ほとんどの歌い出しが小節の2拍目から始まっていること。これにより聴き手が、自然と裏拍にアクセントを感じる仕掛けとなっている。もうひとつは、休符を多めにとって音の余白をつくっていること。これは、歌い回しに十分な溜めを用意し、抑揚をつけやすくするためだろう。これらが巧みに作用し、日本の揉み手文化的なベタっとしたノリが消し去られているのだ。

同じ年の東京生まれ、南佳孝と松本隆が世界観を共有できたアドバンテージ


この休符を活かしたメロディーは、50年代のポップス、ポール・アンカの「あなたの肩に頬うめて」やプラターズの「オンリー・ユー」を彷彿とさせる。少年時代に兄姉の影響もあって、ジャズや映画音楽、ビートルズ上陸以前のアメリカンポップスをよく聴いたという南佳孝。その肥沃な音楽土壌で培われたメロディーセンスが、この符割りを、鼻歌でも歌うかのように自然発生させたのだろう。

邦楽離れした抜群のメロディーでも、これに日本語の歌詞を乗せるのは至難の技だ。しかも角川春樹からの “ふたつの条件” 付きである。だが、松本隆は、先日配信された『風街ちゃんねる』(※1)にて、このようなことを語っていた。

佳孝の曲の歌詞は自然体の自分で作ることができた。なぜなら彼とは、同じ年の東京生まれで、同じような風景を見て育ち、読んでいた本も映画も趣味がとても似ていて、何よりふたりとも都会的なものが好きだったから。

この曲のリラックスした雰囲気は、すぐに世界観を共有できるふたりのアドバンテージが、映画主題歌というプレッシャーを上回っていた証と言えよう。

重要な小道具でありキーワード、ジン


今一度、歌詞に着目してこの曲を聴き直してみると、松本隆は、メロディーに休符が多いことをむしろ逆手に取ったのでは… と思えてくる。次の言葉までの間に十分な余白があることで、まるで目の前の誰かに語りかけ、そして応えを待っているような、対話の情景が浮かびやすい。「おまえが欲しい」と女性を口説くまでのやり取りが、その行間には書かれているのだ。

そして、この歌詞の重要な小道具でありキーワードと思われるのが “ジン” である。「弱いところを見せちまった」言い訳として登場する「強いジン」。気になるのは、映画の劇中に出てくるお酒は “ソルティードッグ” だということだ。それは、浅野温子演じる主人公:さち乃から「ムスタングのおじさん」と呼ばれている中年男(山崎努)が、BARで注文するカクテルとして登場する。

“ソルティードッグ” のベースはウォッカでありジンではない。では何故、松本隆はこの曲に「ジン」を持ち出したのだろう。ただ単に語呂が良かっただけかもしれないが、私にはそうとは思えない。松本隆の頭の中では、この歌詞を書くときに、具体的な登場人物のモデルがいたのではないだろうか。

松本隆がイメージしたのはフィリップ・マーロウ?


そのモデルとは、アメリカの作家、レイモンド・チャンドラーの小説に登場する主人公の探偵、フィリップ・マーロウである。シリーズの最高傑作といわれる1953年の長編作品「長いお別れ(The Long Goodbye)」は、妻殺しの容疑をかけられた男とマーロウとの友情を題材とした物語で、そのクライマックスに登場する台詞はあまりにも有名だ。「ギムレットにはまだ早すぎるね」(訳:清水俊二)。場面によって多種多様なお酒が扱われる中で、重要なシーンで現れるのがこの “ギムレット”。ジンベースのカクテルである。

物語全体のあらすじは割愛するが、松本隆がイメージしたのは次の場面ではないだろうか。

妻を殺した容疑をかけられた末、メキシコへ逃亡し自殺をした友人テリー•レノックス。後日、そのテリーからマーロウのもとへ手紙が届く。その手紙には「事件についてもぼくについても忘れてくれたまえ。だが、そのまえに、ぼくのために<ヴィクター>でギムレットを飲んでほしい」と書かれている。ヴィクターとは、ふたりが以前によく時間を共にしたBARの名前である。そして、マーロウは言われたとおりにヴィクターへ赴き、「ギムレット」を注文する。その夜、BARのカウンターに居合わせたのが、他でもない、のちにマーロウの妻となる女性、リンダ・ローリングだ。このふたりの出会いの場面。先に飲みはじめていたリンダのグラスにも、薄緑色のギムレットが注がれていた。

実際の物語では、マーロウはその場でリンダを口説くようなことはしていない。だが、強力に惹かれあう何かがあることは互いに感じている。そして、3ヶ月後の再会の際、リンダの口からは「抱いてほしかったのよ」と、マーロウの口からは「すぐ身をまかせる女だと思っていたら、<ヴィクター>のバーではじめて会ったときに口説いていたさ」と白状をする。そんなふたりの出会いのシーンこそが、この「スローなブギにしてくれ(I want you)」の原風景ではないかと私は思うのだ。

テリーの死で無力感に苛まれ、すっかり気を落としているマーロウの前に、突如現れた魅力的な女性。正直だが気が強く、一筋縄ではいかなそうな女。普段なら機知に富みクールな振る舞いを崩さないマーロウも、ダブルのギムレット3杯にはさすがに酔いがまわり、もしくは酔ったふりをして、強がりながらも女と話を重ねる。この歌詞がマーロウとリンダとの対話:ダイアローグだとすると、例えばこんな感じだったかもしれない…。

 Want you 俺の肩を 抱きしめてくれ
 ―― あなたのような人が随分唐突なこと言うのね

 生き急いだ男の 夢を憐んで
 ―― 死に急いだわけじゃないのなら、憐れむ必要はないでしょ。夢を全うしたんだわ、きっと

そう、テリーは “死に急いだ” のではなく、“生き急いだ” のだ。“生き急ぐ” 男の眼が見つめているもの、それは死ではなく希望である。松本隆はそれをここに書き記しておきたかったのではないだろうか。物語を知る人ならピンとくるかもしれない。何故なら、テリーは死んでいないのだから。

松本隆の遊び心を垣間見るハードボイルドな世界


チャンドラーの文学が時を越えて愛される中、ハードボイルドの代名詞ともなったフィリップ・マーロウ。その台詞には多くの名言があり、その中のひとつは、『スローなブギにしてくれ』より3年前の角川映画『野性の証明』のキャッチコピーにも起用されていた。

「男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」(※2)

当時の松本隆が、これに気が付いていないはずはないだろう。ウォッカではなく敢えて “ジン” を選び、マーロウを思い起こさせつつ角川映画の流れを汲む。衒いのない伏線だ。小説の中でくり広げられるマーロウの会話術に勝るとも劣らぬ遊び心が、ここに垣間見えるのだった。

この曲が映画とともに発表された1981年。麻布~青山の風街界隈には、カフェバーなるものが出現をはじめた。そこにたむろうのは、主義主張を貫くよりもすぐ目の前にある享楽を謳歌する “浮足立った男” たち。

松本隆と南佳孝のタッグによってつくられた「スローなブギにしてくれ(I want you)」の洒脱な世界は、マーロウにはとても成りきれないそんな男たちへ向けての、せめてもの手ほどきだったのではないだろうか。

※1:
2021年4月配信『風街ちゃんねる 第4回 プロデューサー・松本隆』(ゲスト:南佳孝 / 小西康陽)

※2:
レイモンド・チャンドラーの長編『プレイバック』より。清水俊二による翻訳では、「(私は)しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」

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2021.07.18
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カタリベ
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